十、
部下を引き連れ、何名かの人間を異形どもが住まう建物から連れ出した酒呑童子は、自分が根城としている場所で、連れ出した人間たちの肉を喰らい、血を啜っていた。
実際のところ、あそこから連れ出さずとも、酒呑童子一人分ならば、何日かは狩りにでなくても十分な量があった。しかし、最近は茨木童子をはじめとする多くの鬼たちの食欲が異常なほどに増しているため、こうして外に出て狩りに行かなければならない状況が続いていた。
こうなる前は、まだ良かった。適当な相手を神隠しという形でさらっていれば良かった。しかし、あの異形が目覚めてから、神隠しでさらうことのできる人間の数が減ってしまった。
そもそも、あの異形を配下においている巨体も気に入らない。
具体的に何が、というのはないのだが、妖である自分ですら不快感を植えつけられる感覚があった。
――まったく、本当に……何者なんだ、あいつは
大いなるもの、九頭龍というものは。
酒呑童子は手にした盃に盛られた酒をぐっとあおり、思考を巡らせた。
妖たちのなかで、九頭龍に関して、不快感や猜疑心を感じていたのは、酒呑童子だけではなかった。最も顕著だったのが、九尾を代表とした日本妖怪たちや怨霊たちだった。
だが、あえて九頭龍とその配下の行動を放棄している。「東京」という場所を人間から取り戻せた時点で当初の目的の半分は達成できたも同じだった。そのため、ここからさらに裏切り者が出てきたとしても、九尾たちからしてみれば、障害でもなんでもない。
――もっとも、不快ではあるが、な
九尾は不機嫌そうに、尻尾を一房、ぱさりと振った。
――いずれにしても、東京は一部を除いては取り戻せた……あとは、他の地を制圧するのみか
だが、あの少年が再び、我らのその行為を妨げるだろう。
九尾の脳裏には、護の姿が浮かんでいた。神狐の力をその身に宿す、この国の若き方士。その目には、普通の人間ではありえない、強い意志の力を感じた。
おそらく、彼はその命を賭して九尾から、いや、妖がこの国を支配することを止めるだろう。
――もっとも……たとえそうであっても、我らは全力で当たらせてもらうがな
九尾は再びその瞳をとじ、眠りについた。
いつになるかはわからない、護たちとの再戦に備えて。
その頃、陰陽寮では妖に支配された東京の様子を見てきた修行僧から、情報を聞き出していた。もっとも、それは幹部三名がある程度予想していたものだった。
彼らが興味のある情報は、修行僧が放った式神の持ち帰った情報だ。
そのことを理解していた修行僧は、幹部たちに向かって頷くと、手のひらを上に向けた。すると、天井から一匹の蜘蛛が、彼の手のひらに降りてきた。
修行僧はそれを確認すると、口の中でぶつぶつと、蜘蛛は水晶の玉へと姿を変えた。
「これが、こいつが見てきた全てです」
そう言って、修行僧は彼らの目の前に、水晶玉を置いた。
水晶玉の中には、蜘蛛が覗いてきた、建物の中の様子が鮮明に映し出された。
「……これは……」
「……なるほど、あまり見ていたくない光景だな」
「……最悪ね」
翼、保通、吉江の三人はその光景から目をそらした。
しばらくして、翼は口を開いた。
あの光景に怯み、先に進めなくなってしまうという事態は避けたい。避けなければならない。そのような強い使命感に近い何かが、彼の精神を支えていた。
「……あの半魚人のような異形、あれについて知るにはやはり、」
「あぁ……読むしかいないのだろうな、かの悪名高き魔導書を」
翼と保通は憂鬱そうなため息をついた。
出来ることなら、読みたくない。それが二人の正直な意見だ。
科学で様々なことが解明できる、と豪語されているこの世界には、まだ科学では解明できない、いや、解明できそうにもないものが存在している。その知識を、この世界の裏側の真相を書き記した書物が存在した。それが、いわゆる「魔導書」と呼ばれるものだ。
その中でも、『アル・アジフ』、いや、『ネクロノミコン』と呼ばれる魔導書は、魔導書の中でも最も邪悪で、冒涜的な知識が詰め込まれている。
その魔導書を呼んだ人間は、たちまち正気を失うとさえ言われている。
好き好んで、読むようなシロモノではない。
「……はぁ、昨今の男性の情けないこと。いいわ、ネクロノミコンについては、私の方でどうにかしましょう」
もともと、あれは私のところで管理していたものでもあるし。
吉江は、重いため息をつくとそう告げた。
ネクロノミコンは、そこに記された魔術的知識を求めている多くの研究機関によって、数多くの写本が保管されている書物でもある。宮も、その研究機関の一つだったことは、言わずもがな。
そのため、宮の職員だった人間の中には、ネクロノミコンに記された、冒涜的な知識に対する耐性を持った職員も多く存在している。
「ならば、この建物とそこを占拠している連中については、市原さんに一任しよう……我々は、ほかの連中への対策を講じなくては、な」
不敵に微笑みながら、翼は立ち上がった。
だが、その瞳は決して笑ってなどいない。いや、むしろこれから喧嘩を楽しみにしているような光が宿っていた。




