五、
黒い靄をまとう何かは、カエルのようにこちらに飛びかかってきた。
「禁っ!」
襲いかかってくる塊に対し、護は刀印の切っ先を向け、短い言霊を紡いだ。紡がれた言霊は障壁を作り、靄を退ける。
障壁にぶつかった衝撃で靄が吹き飛び、隠れていた生き物がその姿を現した。
それは、一言で言い表すならば「鬼」だった。しかし、その姿はあまりにも醜悪だった。鬼というものは、一般的な認識として人の姿を模している。だが、この鬼の灰色がかった皮膚はただれ、所々に赤い肉が見えている。そしてその眼光は白く濁り、口からは黄ばんだ、鋭利な牙が顔を覗かせている。
悪意や邪念、殺意や恨みといった、心あるものが持つどす黒い感情を「人間」という器に無理やり詰め込んだような姿だ。
「……おいおい、ずいぶんと気持ち悪い姿してるな」
「あれを見てそんな感想を言えるだけ、まだまだ余裕そうだな」
清の率直な感想に、護は半ば呆れながら言う。ツッコミを入れることが出来るだけ、護も余裕そうだが、その顔は万単位の数の苦虫を一気に噛み潰したかのように歪み、額には脂汗が滲み出ている。
実のところは、正気を保つことでていっぱいなのだろう。
「さっさと終わらせる……これは見るに耐えん」
実際問題、後ろの方で明美が吐き気を堪えられなかったことを知らせる音が聞こえてきている。普通の、見鬼ではない人間がなんと表現したらいいのかわからない、醜悪な存在を目にして、精神的なショックを受けないほうがおかしいのはわかっている。
しかし、見鬼であり、なおかつ、非日常的な存在がもはや日常の存在になっている護からしても、この妖はあまり長いあいだ見ていたいものではない。
こちらに敵意を向けたことが伝わってきのか、鬼は先ほどと同じように犬のような体勢になり、足で地面を蹴り、こちらに飛びついてきた。
「不動縛!」
護は飛びかかってきた鬼に対し、縛魔の言霊を放つ。言霊は鎖となり、鬼の手足を縛り付け、鬼はそのまま地面に叩きつけられた。
護は続けざまに降魔の言霊を紡ぎ始めた。
「謹んで勧請奉る、其は邪悪を退ける刃、魔を降伏する剣なり。われに向かいし悪鬼を退け、災厄を払い除けたまえ!」
護が言霊を紡ぎ終えた瞬間、刀印の切っ先に白い光の球が浮かび上がった。護はそれに驚くことなく、刀印を袈裟に振り下ろす。切っ先に宿っていた光の軌跡は三日月の刃となり、鬼に襲いかかった。
鬼はなすすべもなく、刃に切り裂かれ、霧散した。
あっけないといえばあっけない終わり方だが、おそらく、その程度の相手だった、ということなのだろう。あるいは、こちらの手の内を探るために放たれた、使い捨ての斥候だったのか。いずれにしても、これ以上自分たちを追って来ている気配がないことを悟ると、護は月美のいる方に向き直った。
護の目には、怯え切った顔をした明美と、それを必死でなだめる月美の姿が写っていた。
「平野、大丈夫か?」
「……なんなのよ……」
護は返ってきた言葉に、予想通りか、といった感じで目を閉じ、明美の次の言葉を待った。
明美は護を、恐怖で見開かれた目で見つめながら、半ば叫ぶように続けた。
「さっきの変な奴もそうだけど、それを退治したあんたもなんなの?!あなたも化物なの?さっきのやつと同じ、化物なの?!答えてよ!!」
その言葉に答えることなく、護はそっとため息をついた。




