三、
扉の向こうから、壁を破壊して入ってきたダゴンを見て、勇樹たちは言葉を失った。
呆然としている彼らに対し、ダゴンはその巨大な鉤爪を振り下ろした。
勇樹たちは散り散りにそれを回避し、次の攻撃に備えた。
ダゴンはわけのわからない叫び声をあげて、空いているもう一つの手で床をなぎ、椅子を、壁を、調度品を、その部屋のすべてを破壊した。
しかし、本当に壊すべき目標は今も健在だ。
「体がでかいとやっぱり攻撃も大振りになるからか?回避しやすいぞ」
「だからって油断するなよ?」
勇樹の言葉に、耕介は乾いた笑みを浮かべながら忠告する。
確かに、ダゴンは巨大だ。それゆえに小さなものを攻撃するにも――もっとも、理性と知性がダゴンにないことが前提の話だが――大きい動きをしなければならなくなる。しかし、たとえ動きが大きく、読みやすかったとしても、そもそも攻撃を行ってくる存在が巨大なのだ。
油断をしていれば、その巨大な鉤爪に引き裂かれることになることは目に見えている。そのことを考えての忠告だったのだろうが、勇樹はその言葉に手を振って返し、再びダゴンを見据えた。
「さっさと退治て、護たちを追いかけるぞ」
その言葉に答えてか、その場にいた全員がそれぞれの武器を身構えた。
ダゴンも、こちらが戦意喪失していないことを感じ取ったのか、雄たけびをあげ、めったやたらに両手のかぎづめをぶんぶんと振り回した。
すべての調度品が、その猛攻の犠牲となり、壁に、天井に突き飛ばされ、無残に破壊されていった。
しかし、勇樹たちはその嵐の中を生き延びた。いや、おそらく生き延び「させられた」。
どうやら、ダゴンは勇樹たちを本気で倒そうとしているようだ。
勇樹はそのことに気付き、にやりと笑った。一人の武術家として、相手と本気で戦えることがなぜかうれしく思っているのだ。
「……勇樹、なんだか顔が怖いよ?」
「そうか?すまん。どうにもこいつが本気になったみたいでな……本気で戦えると思うと、なぜかうれしくてな」
「それが怖いんだってば」
桜は溜息をつきながら、勇樹の言葉を返した。
生来の性格が穏やかで、争いを好まない桜からしてみれば、武術家としての勇樹の気持ちや彼の高揚感は理解しがたいものなのだ。
「怖い」という印象を受けても不思議ではない。
しかし、それは武に身を投じた人間と普通に生きている人間の間にある、永遠に埋まることのない溝だということを勇樹は理解していた。
それゆえ、彼女を責めるつもりは毛頭ない。
桜もまた、それを理解している。
だから。
「悪い悪い……気を取り直して、行くぞ!」
「うん!!」
二人はいつもと変わらないやり取りをできる。同じ敵と戦うことができる。
変わらないやり取りをした二人は、再び巨大な敵に立ち向かっていった。
その頃、護と月美は司祭が入っていった、儀式を行う部屋と思われる場所にいた。
二人の耳には、旧支配者を呼ぶため、術者たちが声高らかに唱える呪文の詠唱が響いていた。
それが不快でならず、二人は思わず顔をしかめていた。しかし、不快感に負けることなく、二人は儀式を行っている術者たちに気付かれない程度に距離を詰めた。
視認できたのは三人。
呪文の詠唱はまだ続いているようだ。今、儀式を止めれば、召喚そのものを止めることはできなくても、陰陽寮の術者で、人間の手で、どうにかする程度の存在にとどめさせることができるはず。
いずれにしても、完全な状態での召喚は阻止できるはずだ。
そこまで思考を巡らせた護は、月美に向かってハンドサインを向け、指示を出した。
人差し指で自分を指さし、親指で自分の背後を示す。そして、月美を指さし、親指で二度、月美の背後を指し示す。
月美はそのサインの意図を察し、一度うなずき、親指を上に突き出した。
そのサインを見て、護はうなずき返し、行動を開始した。月美もそれを見届けて、行動に移った。
「いあ、いあ、がとぅるぅあ、ふたぐん……」
「いあ、いあ、くとぅるふぁ、ふたがん……」
「いあ、いあ、くとぅるぅ、ふたぐん……」
二人が左右に回っている間も、詠唱は響き続けていた。
もっとも、発音はばらばらのようで、ところどころ、詠唱の中で噛み合わない部分があった。
――これ、召喚の手順大丈夫なのか?
詠唱を聞きながら、護は少しばかり彼らの魔術に関する教養について、不安を覚え始めていた。本来なら、これは喜ぶべき事態なのだろうが、洋の東西は異なるとしても魔術を扱う人間として、同業者の実力が少しばかり心配になってしまった。
しかし、その不安感はすぐになくなった。所定の位置につき、不安感よりも緊張感のほうが強くなり、自然と、自分が今集中すべきことに意識を向けられたためだろう。
護は懐から符を取り出し、身構える。
向こう側にいる月美も、霊具を顕現させ、いつでも鳴弦を放てるように身構えている光景が目に入った。
相方も準備を完了させたことを確認すると、護は空いた手で指を三本立て、順に折っていった。すべての指が折れ、握り拳ができた瞬間、鳴弦と符が同時に放たれた。




