【第23話】同じ薬を作る
天明六年、冬。
早朝。
華岡家の研究室。
青洲の前に。
三つの包みが並んでいた。
どれも。
曼陀羅華。
同じ名の薬草だった。
だが。
青洲には。
同じものには見えない。
一つは。
色が濃い。
一つは。
乾燥が強い。
もう一つは。
葉の状態が違う。
「同じ薬、か……」
青洲は。
一枚ずつ。
手に取った。
採取した場所。
採取した時期。
乾燥させた日数。
保存した期間。
その違いは。
すでに記録している。
それでも。
足りない。
机の横には。
一二八件の研究記録。
その中には。
眠りが深くなったもの。
浅かったもの。
呼吸が危険なほど弱くなったもの。
期待した作用が。
ほとんど出なかったもの。
様々な結果が残っている。
青洲は。
三冊の帳面を開いた。
【研究記録】
【実験番号:112】
【薬草配合:複合】
【投与量:基準量】
【結果:鎮静作用を確認】
【呼吸:安定】
【脈:軽度低下】
【刺激反応:低下】
【覚醒:確認】
【判定:経過良好】
次。
【研究記録】
【実験番号:117】
【薬草配合:複合】
【投与量:基準量】
【結果:強い鎮静作用】
【呼吸:著しく低下】
【脈:低下】
【刺激反応:著しく低下】
【実験:中止】
【覚醒:確認】
【判定:危険】
そして。
【研究記録】
【実験番号:123】
【薬草配合:複合】
【投与量:基準量】
【結果:鎮静作用】
【呼吸:安定】
【脈:安定】
【刺激反応:残存】
【覚醒:確認】
【判定:麻酔作用不足】
「同じ基準量」
青洲が呟く。
だが。
本当に。
同じだったのか。
重さを揃えた。
煎じる時間も。
水の量も。
できる限り揃えた。
それでも。
薬草そのものの中に含まれる成分まで。
同じとは限らない。
2025年なら。
薬は。
一定の品質で製造される。
含有量。
純度。
製造工程。
保存条件。
様々な基準を通ったものが。
医療現場へ届く。
だが。
1786年。
目の前にあるのは。
自然から採った植物だ。
土が違う。
日照が違う。
雨が違う。
季節が違う。
採取時期も違う。
乾燥も。
保存も違う。
「患者だけじゃない」
青洲は。
曼陀羅華を見る。
「薬の側も違う」
分かっていた。
当然。
分かっていた。
問題は。
それを。
この時代で。
どう管理するかだった。
「あなた」
加恵が入ってきた。
「もう起きていたんですか?」
「ああ」
「また朝餉も忘れているでしょう」
「まだ忘れてない」
「食べていないなら同じです」
「……そうかもしれない」
加恵が。
机を見る。
「曼陀羅華?」
「ああ」
「三つとも?」
「そうだ」
加恵が。
一つを手に取る。
「これは秋の初めに採ったものですね」
青洲が顔を上げた。
「分かるのか?」
「私が整理しましたから」
別の包みを取る。
「こちらは少し後です。確か、雨が続いた頃のもの」
青洲は。
包みに付けた記録を見る。
合っている。
「よく覚えてるな」
「あなたが何度も確認するからです」
加恵は。
三つの包みを見る。
「違うんですか?」
「違う可能性がある」
「薬の効き方が?」
「ああ」
青洲は。
実験記録を見せた。
「同じように作ったつもりでも、結果が違う」
「前にも言っていましたね」
「患者の身体が違うからだと思っていた。それも間違いじゃない」
「でも?」
「薬そのものの違いも、もっと細かく見ないと駄目だ」
加恵は。
しばらく考える。
「なら、同じところで採ったものだけ使えば?」
青洲の手が止まった。
「同じ場所」
「同じ頃に採って、同じように干して、同じようにしまっておく」
「……」
「違います?」
「いや」
青洲は。
小さく笑った。
「その通りだ」
未来の薬品工場は作れない。
成分分析装置もない。
薬草の中に。
有効成分がどれほど含まれているのか。
数字で測ることもできない。
なら。
測れない違いが入り込む余地を。
可能な限り減らせばいい。
採取場所。
採取時期。
植物の部位。
乾燥方法。
乾燥期間。
保存方法。
煎じ方。
水の量。
加熱。
そして。
使用する量。
「揃える……」
青洲は。
新しい紙を広げた。
そこへ。
一つずつ書いていく。
昼。
新吉が研究室へ来た。
「先生、呼びました?」
「ああ」
机の上には。
いくつもの薬草。
秤。
器。
帳面。
そして。
同じ形の包み。
「今日は患者じゃないんですか?」
「薬を診る」
「薬を?」
新吉が。
首を傾げる。
「これを量れ」
青洲が。
曼陀羅華を渡す。
新吉が秤へ載せる。
「これくらいです」
「記録」
「はい」
次。
「これも」
「同じですか?」
「同じになるよう量れ」
新吉が調整する。
「できました」
「本当に?」
「え?」
青洲が。
二つを入れ替える。
秤が。
わずかに傾く。
「あ……」
「今の秤で分かる違いにも限界がある」
「じゃあ、どうするんです?」
「限界を知った上で使う」
新吉が。
青洲を見る。
「正確じゃないから使わない、ではないんですか?」
「違う」
青洲は答える。
「正確じゃないものを、正確だと思って使うのが危ない」
どこまで分かるのか。
どこから分からないのか。
その境目を知る。
それも。
道具を使う医者の仕事だった。
午後。
三人で。
薬草を分けた。
採取場所。
時期。
乾燥状態。
保存期間。
条件が分かるもの。
分からないもの。
青洲は。
条件が曖昧なものを。
別にした。
「捨てるんですか?」
「捨てない」
「使う?」
「研究には使える」
「患者には?」
「今は使わない」
「どうして?」
「何が起こるか分からないものを、人には使えない」
新吉が。
分けられた薬草を見る。
麻酔薬を完成させたい。
だからこそ。
焦ってはいけない。
眠らせるだけなら。
すでにできる。
問題は。
起こすこと。
呼吸を守ること。
死なせないこと。
そして。
同じ条件なら。
できる限り。
同じ結果へ近づけること。
偶然うまくいった薬を。
医術とは呼べない。
青洲は。
新しい頁を開いた。
【研究記録】
【実験番号:129】
【試験区分:生体反応比較】
【目的:薬草条件による薬効差の確認】
【使用薬草】
【採取場所:記録】
【採取時期:記録】
【使用部位:統一】
【乾燥条件:統一】
【保存条件:統一】
【薬液調製】
【使用量:同一基準】
【水量:同一基準】
【加熱条件:統一】
【対象:小動物】
【投与前確認】
【体格】
【活動状態】
【摂食状態】
【呼吸状態】
【脈の状態】
【投与後確認】
【鎮静開始までの経過】
【呼吸変化】
【脈変化】
【刺激反応】
【覚醒までの経過】
【判定:未実施】
「先生」
「何だ?」
「これ、薬を作る記録ですよね?」
「ああ」
「薬より、見るものの方が多くないですか?」
青洲は。
少し考えてから答えた。
「薬だけ見ても、薬のことは分からない」
「どういう意味です?」
「効いたかどうかを教えてくれるのは、生き物の側だからだ」
青洲は。
頁の最後に。
一二九と書いた。
「始めるぞ」
「今日ですか?」
「条件を揃えられるうちにやる」
青洲は。
薬草の包みを一つ選んだ。
今回使うものは。
採取場所が分かっている。
採取時期も。
乾燥方法も。
保存状態も記録されている。
まず。
薬草を量る。
新吉が量り。
青洲が確認する。
次に。
水を用意する。
使う器も。
火にかける位置も。
これまでの記録と照らし合わせる。
「新吉」
「はい」
「火を見ろ」
「薬じゃなくて?」
「火も薬を変える」
強く煮立たせるのか。
静かに煎じるのか。
どれほど続けるのか。
それだけでも。
抽出されるものは変わる。
時計はない。
だから。
以前から試している。
水滴を落とす簡単な仕掛けを。
ここでも使う。
正確な時間ではない。
だが。
同じ条件を。
もう一度作るための目印にはなる。
一滴。
また一滴。
水が落ちる。
薬液の匂いが。
研究室へ広がっていく。
加恵が。
帳面へ記した。
「火加減、変化なし」
「水滴は?」
「同じ調子です」
「よし」
青洲は。
鍋を見る。
これで。
未来の製剤と同じになるわけではない。
それでも。
昨日より。
一つ。
不確かなものを減らせる。
やがて。
薬液ができた。
すぐには使わない。
冷ます。
状態を見る。
異物がないことを確認する。
そして。
今回の対象となる小動物を。
青洲は観察した。
動き。
呼吸。
餌の食べ方。
身体の大きさ。
目に見える異常。
まず。
青洲自身が診る。
「新吉」
「はい」
「お前も見ろ」
新吉が。
少し戸惑いながら観察する。
「動きは普通だと思います。餌も食べています。呼吸も……変な感じはしません」
「変な感じ、で終わるな」
「あ」
新吉が帳面を見る。
「一定です。苦しそうな動きはありません」
「それでいい」
青洲も。
もう一度確認する。
生命解析は。
まだ使わない。
先に。
自分たちで見る。
記録する。
考える。
それからだ。
新吉が。
投与前の欄を埋めていく。
【投与前確認】
【体格:中】
【活動状態:良好】
【摂食状態:良好】
【呼吸状態:安定】
【脈の状態:大きな異常なし】
青洲は。
その記録を確認した。
「始める」
薬液を。
あらかじめ決めた基準に従い。
慎重に与える。
新吉の顔から。
先ほどまでの軽さが消えた。
「ここからは、目を離すな」
「はい」
「眠るかどうかだけ見るな。呼吸を見る。動きを見る。刺激への反応を見る」
「脈も?」
「取れる時は確認する。ただし、それだけに集中するな」
一つを見て。
他を見失えば。
意味がない。
薬液が。
身体へ入った。
青洲は。
小動物から。
目を離さない。
一滴。
水が落ちる。
まだ。
大きな変化はない。
二滴。
三滴。
動いている。
呼吸も。
変わらない。
「先生」
「まだだ」
新吉が。
筆を構えたまま。
息を潜める。
さらに。
時間が経つ。
そして。
小動物の動きが。
わずかに。
鈍くなった。
「……先生」
「ああ」
青洲も。
気づいている。
「記録しろ」
新吉の筆が動く。
【投与後確認】
【活動性:低下開始】
【呼吸:現在大きな変化なし】
【刺激反応:確認中】
青洲は。
そこで初めて。
生命解析へ意識を向けた。
淡い青色の文字が。
視界の隅に浮かぶ。
【生命解析】
【対象生体情報を解析】
【薬物反応:開始】
【鎮静傾向:軽度】
【呼吸状態:安定】
【循環変化:現在軽微】
【継続観察を推奨】
青洲は。
表示を消した。
まだ。
答えではない。
実験は。
始まったばかりだ。
「新吉」
「はい」
「ここからだ」
眠るのか。
眠らないのか。
呼吸は保たれるのか。
刺激への反応は。
どこまで落ちるのか。
そして。
再び目を覚ますのか。
それを。
最後まで見る。
研究記録一二九。
未来の薬を持たない男が。
未来の薬学へ近づくための。
新しい比較実験が。
動き始めていた。




