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世界No.1の外科医、異世界転生!?  作者: 阿門 甲斐吽


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15/25

【第15話】治した、その先


 天明(てんめい)六年(ろくねん)、盛夏(せいか)。


 朝(あさ)から蝉(せみ)が鳴(な)いていた。


 容赦(ようしゃ)なく照(て)りつける日差(ひざ)しに、華岡家(はなおかけ)の庭(にわ)に植(う)えられた薬草(やくそう)の葉(は)も、どこか疲(つか)れているように見(み)える。


「先生(せんせい)、おはようございます!」


 診療所(しんりょうじょ)の戸(と)が勢(いきお)いよく開(ひら)いた。


「声(こえ)が大(おお)きい」


「あ……すみません」


 新吉(しんきち)だった。


 あれから毎日(まいにち)のように華岡家(はなおかけ)へ通(かよ)っている。


 最初(さいしょ)は患者(かんじゃ)の症状(しょうじょう)しか見(み)ていなかった男(おとこ)が、今(いま)では診察(しんさつ)が始(はじ)まる前(まえ)から帳面(ちょうめん)を開(ひら)いて待(ま)っていた。


「今日(きょう)は何(なに)を書(か)きます?」


「まだ患者(かんじゃ)も来(き)ていないのに何(なに)を書(か)くんだ」


「それもそうですね」


「まず掃除(そうじ)からだ」


「はい」


 新吉(しんきち)が箒(ほうき)を手(て)にする。


 青洲(せいしゅう)は小(ちい)さく笑(わら)った。


 教(おし)える。


 最初(さいしょ)は奇妙(きみょう)な感覚(かんかく)だった。


 だが。


 誰(だれ)かに説明(せつめい)しようとすると、自分自身(じぶんじしん)の理解(りかい)が曖昧(あいまい)だった部分(ぶぶん)まで見(み)えてくる。


 なぜ、この脈(みゃく)を見(み)るのか。


 なぜ、この質問(しつもん)をするのか。


 なぜ、この薬(くすり)を選(えら)ぶのか。


 当(あ)たり前(まえ)に行(おこな)っていたことを言葉(ことば)にする。


 それもまた。


 青洲自身(せいしゅうじしん)の学(まな)びになっていた。


「先生(せんせい)」


「ん?」


「昨日(きのう)の患者(かんじゃ)の記録(きろく)をまとめました」


 新吉(しんきち)が一冊(いっさつ)の帳面(ちょうめん)を差(さ)し出(だ)す。


 青洲(せいしゅう)は頁(ページ)をめくった。


 以前(いぜん)とは比(くら)べものにならない。


 症状(しょうじょう)。


 発症時期(はっしょうじき)。


 食事(しょくじ)。


 脈(みゃく)。


 呼吸(こきゅう)。


 薬(くすり)。


「悪(わる)くない」


「本当(ほんとう)ですか?」


「ああ」


 新吉(しんきち)の顔(かお)が明(あか)るくなる。


「ただし」


「……やっぱり何(なに)かあるんですね」


「薬(くすり)を出(だ)した後(あと)がない」


「後(あと)?」


「患者(かんじゃ)がどうなった?」


 新吉(しんきち)が黙(だま)った。


「治(なお)った……のでは?」


「なぜ分(わ)かる?」


「え?」


「薬(くすり)を渡(わた)した。それで治療(ちりょう)は終(お)わりか?」


「……」


「薬(くすり)を飲(の)んだあと、良(よ)くなったのか。変(か)わらなかったのか。悪(わる)くなったのか。それがなければ」


 青洲(せいしゅう)は帳面(ちょうめん)を閉(と)じた。


「その薬(くすり)が正(ただ)しかったのかさえ分(わ)からない」


 新吉(しんきち)の表情(ひょうじょう)が変(か)わった。


「治療(ちりょう)した後(あと)まで……」


「見(み)る」


「はい」


「むしろ、そこが大事(だいじ)だ」


 その時(とき)だった。


「青洲先生(せいしゅうせんせい)!」


 外(そと)から男(おとこ)の声(こえ)がした。


 青洲(せいしゅう)と新吉(しんきち)が同時(どうじ)に振(ふ)り返(かえ)る。


 戸(と)が開(ひら)き。


 三十代(さんじゅうだい)ほどの男(おとこ)が入(はい)ってきた。


 腕(うで)には。


 五歳(ごさい)ほどの少年(しょうねん)を抱(かか)えている。


「お願(ねが)いします!」


「どうしました?」


「息子(むすこ)が……!」


 男(おとこ)の腕(うで)の中(なか)で少年(しょうねん)はぐったりしていた。


 青洲(せいしゅう)の表情(ひょうじょう)が一瞬(いっしゅん)で変(か)わる。


「寝(ね)かせて」


 新吉(しんきち)が布団(ふとん)を敷(し)く。


 少年(しょうねん)を横(よこ)たえる。


「名前(なまえ)は?」


「太吉(たきち)です」


「いつから?」


「昨日(きのう)から腹(はら)を下(くだ)していて……」


「何回(なんかい)?」


「分(わ)かりません。夜(よる)から何度(なんど)も」


「吐(は)きましたか?」


「二度(にど)ほど」


 青洲(せいしゅう)は少年(しょうねん)の額(ひたい)に触(ふ)れる。


 熱(ねつ)は高(たか)くない。


 だが。


 皮膚(ひふ)が乾(かわ)いている。


「太吉(たきち)」


 呼(よ)びかける。


 少年(しょうねん)が薄(うす)く目(め)を開(あ)けた。


「先生(せんせい)……」


 声(こえ)が弱(よわ)い。


 青洲(せいしゅう)は脈(みゃく)を取(と)った。


 速(はや)い。


 そして。


 弱(よわ)い。


「水(みず)は飲(の)めていますか?」


「飲(の)ませても、すぐ吐(は)いてしまって」


「最後(さいご)に小便(しょうべん)をしたのは?」


 父親(ちちおや)が固(かた)まった。


「……分(わ)かりません」


「今朝(けさ)は?」


「していないと思(おも)います」


 青洲(せいしゅう)の目(め)が細(ほそ)くなる。


 口(くち)の中(なか)を見(み)る。


 乾(かわ)いている。


 目元(めもと)。


 皮膚(ひふ)。


 呼吸(こきゅう)。


 意識(いしき)。


 頭(あたま)の中(なか)で。


 いくつもの情報(じょうほう)が一本(いっぽん)につながった。


【生命解析(せいめいかいせき)】


【対象(たいしょう):小児(しょうに)】


【体液量(たいえきりょう):低下(ていか)】


【循環状態(じゅんかんじょうたい):不安定化傾向(ふあんていかけいこう)】


【全身状態(ぜんしんじょうたい):注意(ちゅうい)】


【警告(けいこく)】


【状態悪化(じょうたいあっか)の可能性(かのうせい)】


「水(みず)が足(た)りていない」


 青洲(せいしゅう)が呟(つぶや)く。


 新吉(しんきち)が少年(しょうねん)を見(み)る。


「水(みず)……?」


「腹(はら)を下(くだ)したことで、身体(からだ)から水(みず)が失(うしな)われている」


「では水(みず)を飲(の)ませれば」


「一度(いちど)に飲(の)ませるな」


 青洲(せいしゅう)の声(こえ)が鋭(するど)くなる。


 新吉(しんきち)の手(て)が止(と)まった。


「吐(は)く」


「……はい」


「少(すこ)しずつだ」


 青洲(せいしゅう)は加恵(かえ)を呼(よ)んだ。


「加恵(かえ)」


「はい」


「湯(ゆ)を冷(さ)ましたものを」


「分(わ)かりました」


 父親(ちちおや)が青洲(せいしゅう)を見(み)る。


「先生(せんせい)、息子(むすこ)は大丈夫(だいじょうぶ)でしょうか」


 青洲(せいしゅう)は答(こた)える前(まえ)に。


 もう一度(いちど)、少年(しょうねん)を見(み)る。


 大丈夫(だいじょうぶ)。


 その一言(ひとこと)を。


 簡単(かんたん)に言(い)ってはいけない。


「弱(よわ)っています」


「そんな……」


「ただ」


 青洲(せいしゅう)は父親(ちちおや)を見(み)る。


「まだ反応(はんのう)はあります」


 できることをする。


 今(いま)は。


 それしかない。


 加恵(かえ)が水(みず)を持(も)ってくる。


 青洲(せいしゅう)は少年(しょうねん)の身体(からだ)を少(すこ)し起(お)こした。


「太吉(たきち)」


「……はい」


「少(すこ)しだけ飲(の)めるか?」


 少年(しょうねん)が頷(うなず)く。


 ほんの一口(ひとくち)。


 飲(の)ませる。


 待(ま)つ。


「もう一口(ひとくち)」


 また待(ま)つ。


 新吉(しんきち)が見(み)ている。


「先生(せんせい)、もっと飲(の)ませた方(ほう)が早(はや)いのでは?」


「早(はや)く戻(もど)したいからと、一度(いちど)に飲(の)ませて吐(は)かせたら意味(いみ)がない」


「……はい」


 少量(しょうりょう)。


 休(やす)む。


 また少量(しょうりょう)。


 青洲(せいしゅう)は脈(みゃく)を確認(かくにん)しながら繰(く)り返(かえ)した。


 だが。


 しばらくすると。


「うっ……」


 少年(しょうねん)の顔(かお)が歪(ゆが)む。


「桶(おけ)!」


 新吉(しんきち)が慌(あわ)てて桶(おけ)を差(さ)し出(だ)した。


 少年(しょうねん)が吐(は)いた。


 父親(ちちおや)の顔(かお)から血(ち)の気(け)が引(ひ)く。


「太吉(たきち)!」


「慌(あわ)てないで」


 青洲(せいしゅう)は少年(しょうねん)の背中(せなか)を支(ささ)える。


 吐(は)いた量(りょう)を見(み)る。


 呼吸(こきゅう)。


 意識(いしき)。


 脈(みゃく)。


【生命解析(せいめいかいせき)】


【体液量(たいえきりょう):さらに低下(ていか)】


【循環負荷(じゅんかんふか):上昇(じょうしょう)】


「……まずいな」


 青洲(せいしゅう)の声(こえ)が漏(も)れた。


「先生(せんせい)?」


 新吉(しんきち)が青洲(せいしゅう)を見(み)る。


 青洲(せいしゅう)の脳裏(のうり)に。


 遠(とお)い記憶(きおく)が蘇(よみがえ)った。


 点滴(てんてき)。


 透明(とうめい)な管(くだ)。


 静脈(じょうみゃく)へ直接(ちょくせつ)入(はい)っていく液体(えきたい)。


 あの頃(ころ)なら。


 迷(まよ)うことすらない。


 血管(けっかん)を確保(かくほ)して。


 失(うしな)われた水分(すいぶん)と電解質(でんかいしつ)を補(おぎな)う。


 必要(ひつよう)なら検査(けんさ)を行(おこな)う。


 だが。


 ここにはない。


 針(はり)も。


 輸液(ゆえき)も。


 正確(せいかく)な電解質測定(でんかいしつそくてい)も。


「知(し)っているのに……」


 方法(ほうほう)がない。


 その事実(じじつ)が。


 胸(むね)を締(し)めつける。


「先生(せんせい)」


 新吉(しんきち)の声(こえ)がした。


「どうすれば?」


 青洲(せいしゅう)は目(め)を閉(と)じた。


 考(かんが)えろ。


 ないものを見(み)るな。


 あるものを使(つか)え。


 水(みず)。


 塩(しお)。


 糖(とう)。


 身体(からだ)が失(うしな)ったもの。


 腸(ちょう)が完全(かんぜん)に働(はたら)かなくなったわけではない。


 一度(いちど)に入(い)れれば吐(は)く。


 なら。


 もっと少(すく)なく。


 もっと慎重(しんちょう)に。


「加恵(かえ)」


「はい」


「塩(しお)を」


「塩(しお)?」


「それと甘味(あまみ)になるものを少(すこ)し」


 加恵(かえ)は何(なに)も聞(き)かず動(うご)いた。


 青洲(せいしゅう)は分量(ぶんりょう)を考(かんが)える。


 正確(せいかく)な製剤(せいざい)は作(つく)れない。


 だからこそ。


 濃(こ)くしすぎない。


 少量(しょうりょう)から。


 状態(じょうたい)を見(み)ながら。


 慎重(しんちょう)に。


「何(なに)をするのです?」


 新吉(しんきち)が聞(き)いた。


「水(みず)だけではなく、失(うしな)われたものを少(すこ)し戻(もど)す」


「失(うしな)われたもの?」


「今(いま)は説明(せつめい)している時間(じかん)がない。記録(きろく)して」


「はい」


 少量(しょうりょう)を飲(の)ませる。


 待(ま)つ。


 脈(みゃく)を取(と)る。


 また少量(しょうりょう)。


 待(ま)つ。


 吐(は)かない。


 さらに少量(しょうりょう)。


 一刻(いっこく)。


 二刻(にこく)。


 診療所(しんりょうじょ)の中(なか)で。


 時間(じかん)だけが静(しず)かに流(なが)れていった。


 夕方(ゆうがた)。


「先生(せんせい)」


 新吉(しんきち)が少年(しょうねん)の脈(みゃく)を取(と)っていた。


「少(すこ)し……強(つよ)くなった気(き)がします」


「気(き)がする、では駄目(だめ)だ」


「はい」


 新吉(しんきち)はもう一度(いちど)確認(かくにん)する。


 青洲(せいしゅう)も脈(みゃく)を取(と)る。


 確(たし)かに。


 朝(あさ)より触(ふ)れやすい。


【生命解析(せいめいかいせき)】


【循環状態(じゅんかんじょうたい):改善傾向(かいぜんけいこう)】


【体液量(たいえきりょう):回復傾向(かいふくけいこう)】


【危険度(きけんど):低下(ていか)】


 青洲(せいしゅう)は。


 ようやく小(ちい)さく息(いき)を吐(は)いた。


「太吉(たきち)」


「……先生(せんせい)」


「喉(のど)は?」


「かわいた」


「よし」


 青洲(せいしゅう)は笑(わら)った。


「もう少(すこ)し飲(の)もう」


 父親(ちちおや)がその場(ば)に座(すわ)り込(こ)んだ。


「ありがとうございます……」


「まだです」


 青洲(せいしゅう)は言(い)った。


「今夜(こんや)はここで見(み)ます」


 父親(ちちおや)が顔(かお)を上(あ)げる。


「もう良(よ)くなったのでは?」


「良(よ)くなり始(はじ)めただけです」


 青洲(せいしゅう)は新吉(しんきち)を見(み)る。


「治療(ちりょう)は?」


 新吉(しんきち)は少(すこ)し考(かんが)える。


「……その後(あと)まで見(み)る」


「そうだ」


 夜(よる)。


 新吉(しんきち)は帰(かえ)らなかった。


「お前(まえ)も残(のこ)るのか?」


「見届(みとど)けたいです」


「なら、眠(ねむ)くなったら寝(ね)ろ」


「先生(せんせい)は?」


「患者(かんじゃ)がいる」


「では私(わたし)も起(お)きています」


「明日(あした)の診療中(しんりょうちゅう)に倒(たお)れるぞ」


「……少(すこ)しだけ寝(ね)ます」


「それでいい」


 深夜(しんや)。


 少年(しょうねん)が目(め)を覚(さ)ました。


「お父(とう)……」


 父親(ちちおや)が飛(と)び起(お)きる。


「太吉(たきち)!」


「小便(しょうべん)……」


 その言葉(ことば)を聞(き)いた瞬間(しゅんかん)。


 青洲(せいしゅう)の表情(ひょうじょう)が緩(ゆる)んだ。


「新吉(しんきち)」


「はい!」


「記録(きろく)」


「あっ……はい!」


 新吉(しんきち)が慌(あわ)てて筆(ふで)を取(と)る。


 尿(にょう)が出(で)た。


 小(ちい)さな変化(へんか)。


 だが。


 今(いま)はそれが。


 何(なに)より重要(じゅうよう)だった。


 翌朝(よくあさ)。


 少年(しょうねん)は自分(じぶん)で身体(からだ)を起(お)こした。


「お腹(なか)すいた」


 父親(ちちおや)が泣(な)いた。


 加恵(かえ)も笑(わら)っている。


 新吉(しんきち)は。


 黙(だま)って帳面(ちょうめん)に書(か)いていた。


 青洲(せいしゅう)が覗(のぞ)き込(こ)む。


 発症(はっしょう)。


 下痢(げり)の回数(かいすう)。


 嘔吐(おうと)。


 脈(みゃく)。


 意識(いしき)。


 飲(の)ませた量(りょう)。


 吐(は)いた時刻(じこく)。


 その後(ご)の変化(へんか)。


 尿(にょう)。


 食欲(しょくよく)。


「どうですか?」


「昨日(きのう)よりいい」


「本当(ほんとう)ですか?」


「ああ」


 新吉(しんきち)が笑(わら)う。


「ようやく少(すこ)し医者(いしゃ)の記録(きろく)になった」


「少(すこ)し……」


 肩(かた)を落(お)とす。


 青洲(せいしゅう)は笑(わら)った。


 その瞬間(しゅんかん)。


【SYSTEM (システム)】


【症例記録(しょうれいきろく)の継続観察(けいぞくかんさつ)を確認(かくにん)】


【治療前後比較(ちりょうぜんごひかく)データを取得(しゅとく)】


【完全記録(かんぜんきろく)】


【蓄積症例(ちくせきしょうれい)との照合(しょうごう)を開始(かいし)】


 青洲(せいしゅう)の視界(しかい)に。


 これまでとは違(ちが)う表示(ひょうじ)が現(あらわ)れた。


【新規機能(しんききのう):予備解放(よびかいほう)】


【経過比較(けいかひかく)】


「経過比較(けいかひかく)……?」


【説明(せつめい)】


【同一症例(どういつしょうれい)における時間変化(じかんへんか)を自動整理(じどうせいり)します】


【治療前(ちりょうまえ)】


【治療中(ちりょうちゅう)】


【治療後(ちりょうご)】


【症状変化(しょうじょうへんか)】


【処置(しょち)との関連性(かんれんせい)を記録(きろく)】


 青洲(せいしゅう)の目(め)が見開(みひら)かれる。


 完全記録(かんぜんきろく)は。


 ただ覚(おぼ)える能力(のうりょく)ではなくなり始(はじ)めている。


 治療(ちりょう)と結果(けっか)を。


 結(むす)びつけ始(はじ)めた。


【進化条件達成率《しんかじょうけんたっせいりつ》:上昇(じょうしょう)】


【完全記録(かんぜんきろく)】


【次段階(じだんかい):未解放(みかいほう)】


 青洲(せいしゅう)は表示(ひょうじ)を閉(と)じた。


 急(いそ)ぐ必要(ひつよう)はない。


 この力(ちから)も。


 医学(いがく)も。


 一日(いちにち)で完成(かんせい)するものではない。


 患者(かんじゃ)を診(み)る。


 治療(ちりょう)する。


 その後(あと)を見(み)る。


 結果(けっか)を残(のこ)す。


 そして。


 次(つぎ)の患者(かんじゃ)へつなげる。


 それを。


 何百回(なんびゃっかい)。


 何千回(なんぜんかい)と繰(く)り返(かえ)す。


「先生(せんせい)」


 新吉(しんきち)が声(こえ)をかける。


「何(なん)だ?」


「昨日(きのう)の患者(かんじゃ)が、今日(きょう)の先生(せんせい)になるって言(い)いましたよね」


「ああ」


 新吉(しんきち)は帳面(ちょうめん)を抱(かか)えた。


「今日(きょう)、少(すこ)し分(わ)かった気(き)がします」


 青洲(せいしゅう)は微笑(ほほえ)んだ。


「だったら忘(わす)れるな」


「はい」


 蝉(せみ)の声(こえ)が。


 再(ふたた)び診療所(しんりょうじょ)の外(そと)から聞(き)こえてきた。


 華岡青洲(はなおかせいしゅう)の医学(いがく)は。


 まだ始(はじ)まったばかり。


 だが。


 一人(ひとり)の患者(かんじゃ)を治(なお)して終(お)わる医術(いじゅつ)から。


 その経験(けいけん)を次(つぎ)の命(いのち)へつなげる医学(いがく)へ。


 小(ちい)さな変化(へんか)が。


 確(たし)かに始(はじ)まっていた。



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