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世界No.1の外科医、異世界転生!?  作者: 阿門 甲斐吽


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11/22

【第11話】妻・加恵


 天明(てんめい)五年(ごねん)、秋(あき)。


 華岡青洲(はなおかせいしゅう)が京都(きょうと)から故郷(こきょう)へ戻(もど)り、すでに幾月(いくつき)かが過(す)ぎていた。


 父(ちち)・直道(なおみち)を亡(な)くし、華岡家(はなおかけ)の医業(いぎょう)を背負(せお)うことになった青洲(せいしゅう)の日々(ひび)は、以前(いぜん)にも増(ま)して忙(いそが)しくなっていた。


 朝(あさ)から患者(かんじゃ)を診(み)る。


 昼(ひる)になれば薬(くすり)を調合(ちょうごう)する。


 往診(おうしん)を頼(たの)まれれば村(むら)へ出向(でむ)き。


 夜(よる)になると、研究室(けんきゅうしつ)へ籠(こ)もる。


 眠(ねむ)る時間(じかん)さえ惜(お)しい。


 2025年(ねん)。


 華岡蒼真(はなおかそうま)として生(い)きていた頃(ころ)と、何(なに)も変(か)わらない。


 いや。


 むしろ今(いま)の方(ほう)が忙(いそが)しいかもしれない。


「あなた」


 声(こえ)がした。


 青洲(せいしゅう)は筆(ふで)を止(と)めた。


「ん?」


 振(ふ)り返(かえ)る。


 そこに一人(ひとり)の女性(じょせい)が立(た)っていた。


 加恵(かえ)。


 青洲(せいしゅう)の妻(つま)だった。


「夕餉(ゆうげ)の支度(したく)ができています」


「ああ。もうそんな時間(じかん)か」


「もう、ではありません」


 加恵(かえ)は少(すこ)し呆(あき)れた顔(かお)をした。


「とっくに夜(よる)です」


 青洲(せいしゅう)は窓(まど)を見(み)る。


 確(たし)かに外(そと)は暗(くら)い。


「すまない」


「今日(きょう)もです」


「今日(きょう)も?」


「昨日(きのう)も同(おな)じことを言(い)いました」


「……そうだったか?」


 加恵(かえ)が小(ちい)さく息(いき)を吐(は)く。


 青洲(せいしゅう)は苦笑(くしょう)した。


 どうやら。


 自分(じぶん)は2025年(ねん)から何(なに)も変(か)わっていないらしい。


 手術(しゅじゅつ)が始(はじ)まれば時間(じかん)を忘(わす)れ。


 研究(けんきゅう)を始(はじ)めれば食事(しょくじ)を忘(わす)れる。


 医者(いしゃ)としてはともかく。


 夫(おっと)としては。


「失格(しっかく)かもしれないな」


「何(なに)がです?」


「いや、何(なん)でもない」


 青洲(せいしゅう)は立(た)ち上(あ)がった。


 加恵(かえ)の後(うし)ろを歩(ある)きながら。


 ふと不思議(ふしぎ)な感覚(かんかく)に襲(おそ)われる。


 華岡青洲(はなおかせいしゅう)の記憶(きおく)。


 華岡蒼真(はなおかそうま)の記憶(きおく)。


 二(ふた)つはすでに自分(じぶん)の中(なか)で混(ま)ざり合(あ)っている。


 だから。


 加恵(かえ)という女性(じょせい)を知(し)っている。


 だが同時(どうじ)に。


 蒼真(そうま)としての自分(じぶん)にとっては、まだ知(し)らない部分(ぶぶん)の多(おお)い女性(じょせい)でもあった。


 青洲(せいしゅう)が京都(きょうと)で医学(いがく)を学(まな)んでいた間(あいだ)。


 加恵(かえ)は華岡家(はなおかけ)を支(ささ)えていた。


 そして青洲(せいしゅう)が帰郷(ききょう)してから。


 二人(ふたり)の夫婦(ふうふ)としての時間(じかん)が、本当(ほんとう)の意味(いみ)で始(はじ)まった。


 夕餉(ゆうげ)の席(せき)。


 加恵(かえ)が青洲(せいしゅう)を見(み)る。


「最近(さいきん)、また薬草(やくそう)が増(ふ)えましたね」


「分(わ)かるのか?」


「分(わ)かります」


「なぜ?」


「庭(にわ)まで薬草(やくそう)だらけになっていますから」


「あ……」


 青洲(せいしゅう)は言葉(ことば)に詰(つ)まった。


「申(もう)し訳(わけ)ない」


 加恵(かえ)が笑(わら)った。


「怒(おこ)っているわけではありません」


「そうなのか?」


「ただ」


 加恵(かえ)の表情(ひょうじょう)が少(すこ)し変(か)わる。


「何(なに)を作(つく)っているのです?」


 青洲(せいしゅう)の箸(はし)が止(と)まった。


「薬(くすり)だ」


「それは分(わ)かっています」


「……」


「何(なん)の薬(くすり)です?」


 青洲(せいしゅう)は少(すこ)し考(かんが)えた。


 いずれ。


 加恵(かえ)には話(はな)さなければならない。


「眠(ねむ)らせる薬(くすり)だ」


「眠(ねむ)らせる?」


「ああ」


「眠(ねむ)れない人(ひと)のためですか?」


「違(ちが)う」


 青洲(せいしゅう)は首(くび)を振(ふ)った。


「手術(しゅじゅつ)を受(う)ける患者(かんじゃ)を眠(ねむ)らせる」


 加恵(かえ)が瞬(まばた)きをする。


「手術(しゅじゅつ)の間(あいだ)?」


「ああ」


「そんなことができるのですか?」


「まだできない」


 青洲(せいしゅう)は正直(しょうじき)に答(こた)えた。


「だから研究(けんきゅう)している」


 加恵(かえ)は黙(だま)った。


 青洲(せいしゅう)は続(つづ)ける。


「外科(げか)では、身体(からだ)を切(き)らなければ救(すく)えない患者(かんじゃ)がいる」


「はい」


「だが、切(き)れば痛(いた)い」


 今日(きょう)まで。


 何人(なんにん)もの患者(かんじゃ)を治療(ちりょう)してきた。


 傷(きず)を縫(ぬ)った。


 膿(うみ)を出(だ)した。


 患部(かんぶ)を切(き)った。


 そのたびに患者(かんじゃ)は痛(いた)みに耐(た)えていた。


「もし患者(かんじゃ)を眠(ねむ)らせたまま手術(しゅじゅつ)ができれば」


 青洲(せいしゅう)は言(い)った。


「もっと大(おお)きな手術(しゅじゅつ)ができる」


「救(すく)える人(ひと)が増(ふ)える?」


「ああ」


 加恵(かえ)はしばらく考(かんが)えていた。


「それなら、素晴(すば)らしい薬(くすり)ですね」


「完成(かんせい)すればな」


 青洲(せいしゅう)の声(こえ)が低(ひく)くなる。


「危険(きけん)なのですか?」


「かなり」


 加恵(かえ)の表情(ひょうじょう)が曇(くも)った。


「人(ひと)を眠(ねむ)らせるほど強(つよ)い薬(くすり)だ。量(りょう)を間違(まちが)えれば、眠(ねむ)るだけでは済(す)まない」


「……死(し)ぬ?」


 青洲(せいしゅう)は答(こた)えなかった。


 その沈黙(ちんもく)だけで。


 加恵(かえ)には十分(じゅうぶん)だった。


「だから」


 青洲(せいしゅう)は言(い)う。


「急(いそ)いではいけない」


 異世界(いせかい)の神(かみ)から与(あた)えられた能力(のうりょく)がある。


 生命解析(せいめいかいせき)。


 完全記録(かんぜんきろく)。


 超高速学習《ちょうこうそくがくしゅう》。


 医神(いしん)の眼(め)。


 それでも。


 命(いのち)を扱(あつか)う研究(けんきゅう)に近道(ちかみち)などない。


 翌朝(よくあさ)。


 青洲(せいしゅう)は庭(にわ)へ出(で)た。


 そこには研究用(けんきゅうよう)の薬草(やくそう)が植(う)えられている。


 曼陀羅華(まんだらげ)。


 草烏頭(とりかぶと)。


 そして、さまざまな薬草(やくそう)。


「あなた」


 振(ふ)り返(かえ)ると。


 加恵(かえ)がいた。


「これは?」


 加恵(かえ)が曼陀羅華(まんだらげ)を見(み)ている。


「触(さわ)らない方(ほう)がいい」


「毒(どく)なのですか?」


「薬(くすり)にもなるが、毒(どく)にもなる」


「同(おな)じものなのに?」


「ああ」


 青洲(せいしゅう)は植物(しょくぶつ)を見(み)つめた。


「薬(くすり)と毒(どく)の境目(さかいめ)は、思(おも)っているほど遠(とお)くない」


 加恵(かえ)はその言葉(ことば)を聞(き)きながら。


 曼陀羅華(まんだらげ)を見(み)つめた。


「では、その境目(さかいめ)を探(さが)しているのですね」


 青洲(せいしゅう)が振(ふ)り返(かえ)る。


「え?」


「あなたが毎晩(まいばん)していることです」


 加恵(かえ)は言(い)った。


「人(ひと)を救(すく)う薬(くすり)になるところと、人(ひと)を傷(きず)つける毒(どく)になるところ。その境目(さかいめ)を探(さが)しているのでしょう?」


 青洲(せいしゅう)は驚(おどろ)いた。


「……そうだ」


 まさに。


 その通(とお)りだった。


「加恵(かえ)」


「はい?」


「頭(あたま)がいいな」


「今(いま)ごろ気(き)づいたのですか?」


 青洲(せいしゅう)は笑(わら)った。


 加恵(かえ)も笑(わら)う。


 その日(ひ)の午後(ごご)。


 青洲(せいしゅう)が診療(しんりょう)を終(お)えて研究室(けんきゅうしつ)へ入(はい)ると。


 机(つくえ)の上(うえ)が整理(せいり)されていた。


「あれ?」


 乾燥(かんそう)させていた薬草(やくそう)が。


 種類(しゅるい)ごとに分(わ)けられている。


 そこには小(ちい)さな紙(かみ)まで添(そ)えられていた。


 採取(さいしゅ)した日(ひ)。


 採取(さいしゅ)した場所(ばしょ)。


 乾燥(かんそう)を始(はじ)めた日(ひ)。


「これは……」


「私(わたし)です」


 後(うし)ろから声(こえ)がした。


 加恵(かえ)だった。


「昨日(きのう)のお話(はなし)を聞(き)いて考(かんが)えました」


「何(なに)を?」


「同(おな)じ薬草(やくそう)でも、採(と)った時期(じき)や場所(ばしょ)で違(ちが)うのでしょう?」


 青洲(せいしゅう)は目(め)を見開(みひら)く。


「なぜそれを?」


「あなたの研究帳(けんきゅうちょう)に書(か)いてありました」


「読(よ)んだのか?」


「少(すこ)しだけ」


「……」


「怒(おこ)りました?」


「いや」


 むしろ。


 青洲(せいしゅう)は感心(かんしん)していた。


「助(たす)かる」


「本当(ほんとう)ですか?」


「ああ」


 薬草研究(やくそうけんきゅう)で重要(じゅうよう)なのは再現性(さいげんせい)。


 同(おな)じ薬(くすり)を作(つく)っても。


 原料(げんりょう)の状態(じょうたい)が違(ちが)えば作用(さよう)が変(か)わる。


 そのため。


 採取時期(さいしゅじき)。


 保存状態(ほぞんじょうたい)。


 乾燥状態(かんそうじょうたい)。


 使用部位(しようぶい)。


 そうした情報(じょうほう)を残(のこ)す必要(ひつよう)がある。


「では」


 加恵(かえ)が微笑(ほほえ)んだ。


「これから私(わたし)もお手伝(てつだ)いします」


「しかし……」


「患者(かんじゃ)を診(み)ることはできません」


 加恵(かえ)は言(い)った。


「医学(いがく)も分(わ)かりません」


 そして。


 机(つくえ)の上(うえ)の薬草(やくそう)を見(み)る。


「でも、薬草(やくそう)を育(そだ)てたり、整理(せいり)したりすることならできます」


 青洲(せいしゅう)は黙(だま)った。


 2025年(ねん)。


 研究(けんきゅう)には多(おお)くの人間(にんげん)が関(かか)わっていた。


 医師(いし)。


 看護師(かんごし)。


 薬剤師(やくざいし)。


 研究者(けんきゅうしゃ)。


 技師(ぎし)。


 決(けっ)して。


 一人(ひとり)で医学(いがく)を作(つく)っていたわけではない。


 だが。


 この時代(じだい)へ来(き)てから。


 自分一人(じぶんひとり)で何(なに)もかもしようとしていた。


「そうか……」


 青洲(せいしゅう)は呟(つぶや)いた。


「俺一人(おれひとり)でやる必要(ひつよう)はないのか」


「何(なに)か言(い)いました?」


「いや」


 青洲(せいしゅう)は加恵(かえ)を見(み)る。


「では、頼(たの)む」


「はい」


「ただし」


「はい?」


「草烏頭(とりかぶと)だけは勝手(かって)に触(さわ)らないでくれ」


 加恵(かえ)が首(くび)を傾(かし)げる。


「そんなに危険(きけん)なのですか?」


「かなり危険(きけん)だ」


「分(わ)かりました」


 その瞬間(しゅんかん)。


【SYSTEM (システム)】


 青(あお)い画面(がめん)が現(あらわ)れた。


【研究協力者《けんきゅうきょうりょくしゃ》を確認(かくにん)】


【対象(たいしょう):加恵(かえ)】


【研究補助適性《けんきゅうほじょてきせい》:確認(かくにん)】


【長期研究(ちょうきけんきゅう)プロジェクトを更新(こうしん)】


【麻酔薬研究(ますいやくけんきゅう)】


【研究期間(けんきゅうきかん):未定(みてい)】


【安全性確立(あんぜんせいかくりつ):未達成(みたっせい)】


 青洲(せいしゅう)は画面(がめん)を見(み)つめた。


「研究協力者《けんきゅうきょうりょくしゃ》……か」


 加恵(かえ)には画面(がめん)は見(み)えていない。


「どうしました?」


「何(なん)でもない」


 青洲(せいしゅう)は微笑(ほほえ)んだ。


「よろしく頼(たの)む」


「はい、あなた」


 この時(とき)。


 青洲(せいしゅう)はまだ知(し)らなかった。


 これから続(つづ)く研究(けんきゅう)が。


 一年(いちねん)や二年(にねん)で終(お)わるものではないことを。


 何度(なんど)も失敗(しっぱい)し。


 何度(なんど)も配合(はいごう)を変(か)え。


 安全(あんぜん)と危険(きけん)の境界(きょうかい)を探(さが)し続(つづ)ける。


 長(なが)い年月(ねんげつ)。


 そして。


 その研究(けんきゅう)の先(さき)で。


 今(いま)、目(め)の前(まえ)で笑(わら)っている加恵(かえ)が。


 青洲(せいしゅう)にとって最(もっと)も大切(たいせつ)な存在(そんざい)であると同時(どうじ)に。


 麻酔薬完成(ますいやくかんせい)への道(みち)を大(おお)きく左右(さゆう)する存在(そんざい)になることを。


 夕暮(ゆうぐ)れ。


 庭(にわ)の曼陀羅華(まんだらげ)が風(かぜ)に揺(ゆ)れていた。


 青洲(せいしゅう)はその花(はな)を見(み)つめる。


「必(かなら)ず作(つく)る」


 患者(かんじゃ)を眠(ねむ)らせる薬(くすり)。


 痛(いた)みを感(かん)じさせない薬(くすり)。


 そして。


「必(かなら)ず目(め)を覚(さ)ます薬(くすり)を」


 その言葉(ことば)を。


 加恵(かえ)は青洲(せいしゅう)の隣(となり)で静(しず)かに聞(き)いていた。


 二人(ふたり)の長(なが)い研究(けんきゅう)の日々(ひび)は。


 ここから始(はじ)まろうとしていた。



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