番外編 ***とある、うさぎの追憶***
桃華視点で、時系列順
《桃華の独白》
自分たちは雨の日に生まれたらしい。
もちろん当時のことは覚えていないが、それでも確かなことが一つだけ。
傍らにはいつだって彼女がいたこと。
よく喧嘩をした。だが仲直りは早かった。
お互いに知っていたのだ。互いが傍にいないと駄目なことを。
文句を言いながらお菓子を分け合って、転んだら手を伸ばし、立ち止まったら背を叩き、泣いたときは抱きしめ合った。
それが私たちの生き方だった。
ずっとずっと続くと思っていた。
(ただ無邪気に信じていた日々)
《桃華・柚希、幼少期の会話》
柚「桃、桃華! 雨だよ。雨降ってきたっ」
桃「なあに。遊びになんて行かないわよ」
「なんで!? 雨だよ。雨、雨、雨、雨!」
「それより柚、いま何時だと思ってんのよ。早く寝ないと明日寝坊しちゃうでしょ」
「だってー、雨なんだよ?」
「分かったから。……しょうがないなぁ。じゃあまた明日、まだ降ってたらね」
「また明日? 約束だよ」
「はいはい。また明日、だからもう寝ましょう」
「うん。おやすみ、桃華」
「……おやすみ、柚希」
柚「ずっと一緒だよ」
桃「当たり前でしょ」
「ずっとだよ。大人になっても」
「当然。この先誰と出会っても、どんな大切な相手が出来ても、生まれたときから特別なのはお互いだけだもの」
(積み重ねてきた約束、だから絆は強くなっていった)
《高校進学直前、桃華・柚希の会話》
高校の進学先は別になる。自分と片割れでは成績が異なるのだ。
いつからか生まれた差異。
仕方がない。彼女(柚希)の天真爛漫さは愛すべきところだ。
寂しいとは言わなかった。言わずとも彼女は分かっているだろうから。
だって私が寂しいときは彼女も寂しいのだと、私も知っている。
桃「変わらずにいられると思う?」
柚「望む限り。大丈夫だよ」
「本当に? なんで言い切れるの」
「大丈夫。約束する。だって大好きなんだもん」
「……ずるい。私が言おうと思ったのに」
「知ってる。だから先に言っちゃった」
(無理に同じ学校に進学させるくらいなら、私がランクを落とせば良かったと後悔しても遅い)
《とある、雨の日。桃華・昴の会話》
(耳を劈くブレーキ音。放り捨てられた傘。双子と悲鳴、伸ばされた手。
世界がスローモーションで動く。――衝撃。
そして私は、漆黒の美しい死神と契約する。)
冷たい雨。固いアスファルト。飛ばされた傘。
バンパーのひしゃげた軽自動車は、少し離れたところで電柱に張り付いている。
雨の夜だ、野次馬はいない。気絶しているのか、運転手が外に出てくる気配はない。
スマートフォンは鞄の中に入ったまま、道路の先へ滑っていってしまった。
いますぐ鞄に駆けよってスマートフォンを取り出し、119番するべきだと頭の冷静な部分では分かっていた。
けれど、腕の中の体を放り出していくことがどうしてもできない。
温度のない体。雨のせいなのか、流れていく赤い血のせいなのか。
「……どうして」
自分と同じ顔の少女は、固く瞼を閉じたままぴくりとも動かない。
双子の片割れ。生まれたときからずっと一緒だった存在。
どうして目を開けてくれないのか。
「おや、そちらの子になりましたか」
降りしきる雨の音しかしなかったその場所に、場違いなほど穏やかな声が落ちる。
初めは気づかなかった。耳の奥には、先ほど聞いた車の急ブレーキ音と自分と片割れの悲鳴、双子が地面に叩きつけられる音がこびりついていたから。
何拍か置いて、そこに誰かがいることに気づき、顔を上げた。
助けを呼んでもらわなければ。
すぐそばに立ってこちらを見下ろしていたのは、真っ黒な男だった。髪や瞳はもちろんのこと、シャツもズボンも靴も底なしの闇のような黒だ。
夜の闇に溶け込むような全身の中、浮かび上がるように白い顔はこの世のものとは思えないほど整っていた。美しく尖った顎のライン、切れ長の涼やかな目元、高い鼻梁と酷薄そうな薄い唇。
死神だ。鎌は持っていなかったが、そう思った。
大雨の中、傘も差さずそこに立つ男は彼女たちを見下ろして微かに口角を上げた。
感嘆しているようにも、嘆いているようにも、哀れんでいるようにも見える笑みだ。
「本当なら死ぬのは君のはずでしたが、人の運命とは移ろい変わるもの。こういうことはよくあるんですよ」
死神は自分に言ったのだろう。意味がゆっくりと脳へ回ってくる。
本当なら、死ぬのは片割れではなく自分だったのだ。
あの瞬間、車が突っ込んできたのに気づいた片割れが飛び出したりしてこなければ、確かに死んだのは自分だっただろう。
「面倒ですが、臨機応変に対応するのも僕たちの仕事ですからね」
溜め息をつきながら死神が彼女の片割れに手を伸ばしてくる。
彼女はぐったりとして力の入らない双子の体を強く抱き寄せた。
手を伸ばしたまま目を瞬かせる死神を見つめ、桃華は雨の匂いのする空気をすっと吸い込んだ。
桃「私が死ぬはずだったの?」
昴「そうですよ」
「身代わりになったっていうの」
「双子の神秘ですね。君の方が分かっているでしょう」
「だったら、……だったら――――私が死ぬ」
もともと死ぬはずだったのは自分だ。
大事な片割れ。彼女を犠牲になど出来ない。
いまならきっと間に合うはずだ、この死神なら出来るのではないか。
いや、絶対にやらせてみせる。――必ず彼女を生き返らせる。
桃「柚希が庇わなければ、私が死んでた。そういう運命だったんでしょ」
昴「そうですよ。傷だらけのボロボロで転がっているのは君のはずでした」
「ならその運命、戻しなさいよ」
「はい?」
「その運命私に返して。私が死ぬ。あんた死神なんでしょ? そのくらい出来るわよね」
「無茶苦茶なことを言うお嬢さんですね。せっかく生き残ったんだから喜んだら良いじゃないですか」
「冗談じゃないわ。一生この子に負い目を感じて生きていくなんて嫌。私は純粋に柚希を好きでいたいの」
「代わりにこっちのお嬢さんに負い目を背負わせる気ですか?」
「……」
「まあ、それは僕の関知する問題じゃないですね。ただね、奇跡ってのを起こすのは死神の仕事じゃないんです。奇跡を起こせるのは人だけ。君は、彼女に生きて欲しいですか?」
「当たり前。さっきからそう言ってるじゃない」
「生まれながらに備わっている、生きたいと思う本能より強く。君が関わってきた人々が君に生きていて欲しいと思う気持ちよりも強く。周りにいる全ての人を不幸にすると分かっていても強く、彼女だけを優先したいと?」
「……思うわ」
父も母も、友だちも大事だった。ずっと彼らと生きていたかった。
けれども私にとっては、双子の片割れの方がずっとずっと大切なのだ。
「犠牲になるのは君の命ではなく、生き返ったこちらの子の心だとしても?」
「…………思う。柚希に生きていて欲しい。私の独りよがりでも、我が儘でも、この子が生きていてくれないと嫌。仕方ないじゃない。私、すっごく我が儘なのよ」
「君は類い希なる生気の持ち主ですからね、可能性なら在ると思いますよ。だから君の願いが奇跡を起こせるか、頑張ってみたら良いんじゃないでしょうか」
(この後、危なっかしい妹のため、現世に残ってうさぎになる)
《白うさぎ(桃華)・死神(昴)の会話》
昴「君はこれからどうするんですか?」
桃「どういう意味?」
「もう君は必要ないのでは」
「……」
「どうします?」
「まだ、……まだ駄目、まだ……」
(柚希が得た翔という支えは、いまだ任せるには心許ない)
《白うさぎの独白》
どうして(自分を大事にしないのか)、と言いたい。いいから(私のことを忘れても)、と伝えたい。お願いだから(生きたいと望んで欲しい)、と思う。
ただ私は、彼女に生きて欲しいのだ。
私を庇って死んだ片割れ。危ないことばかりすることに対しての憤りと、そこまで自分を想ってくれる喜び。
矛盾したこの醜い心が、いまもまだこの世界に私を留めている。
酷い雨だ。
私も彼女もあまり雨が好きではなくなったのだろう。酷く胸が騒ぐ。
決して諦めきれないものがある。死んだって絶対に諦められない。
だって彼女にとって私が唯一だったように、彼女は私にとっての唯一なのだ。
桃「絶対に、絶対に生かしてみせる」
(だからまだ、安心して成仏できない)
《白うさぎ・死神の会話》
昴「百の言葉よりも一回の抱擁。けれど触れあうことの叶わぬ相手には、ではどうすれば良いのでしょう」
桃「そんなの決まってる。百回だって千回だって、一万回だって伝わるまで言い続ければ良い」
「では声の届かぬ相手には? 想いだけが募り、膨れあがっていく。行き場のない心はどこへ向かうのか。君ならどこへ向けますか?」
「……そんなの、決まってる。一億回だって伝わるまで諦めない。彼女が生きてくれるまで。それだけが、私の願い」
昴「さて、厄介なことになってきましたが、君はどう動くんです」
桃「……」
「まあ、予定調和ではあるのでしょうね。君が危惧したとおりに」
「分かってる。あの子は私が守る。絶対に」
「でもそれでは前へ進めませんよ。君も、彼女もね」
「それも、分かってる」
(そして白うさぎは、雨上がりの夜明けに満足する)
了
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。




