イノシシ娘、一年前からの願い
白うさぎは酷くびしょ濡れで、ふわふわだった表面の生地が萎び、きっと中の綿もへたっているのだろう。
柚希は翔を押しのけてぬいぐるみに駆けよった。
ぎゅうっと抱きしめてデスクに座る昴を睨む。
「なんでこれがここにあるの!? 今日は私、持ってきてない、家にあるはずなのにっ」
「何でだと思います?」
デスクに頬杖をつく昴が、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべる。
いつも通りの死神の態度だが、柚希はいつも以上に頭にきた。
こめかみがズキズキと痛い。色々なよく分からないものが頭の方に上ってくる。
顔を真っ赤にする柚希の頭に、翔が給湯室の方から持ってきたタオルを掛ける。
「相澤、落ち着け。そのぬいぐるみが呼びに来なかったら、俺はあそこに行けなかった」
宥めるように言う翔にまでカチンとくる。
「頼んでないもん! 昴さんの馬鹿っ、桃華のぬいぐるみ勝手に使わないで!」
前半は翔を、後ろは昴を罵る。
昴はデスクから立ち上がると、柚希の眼光などものともせずに近づいて、彼女の腕からおもむろに白うさぎを取り上げた。
「それは、まあ。これをどうしようと柚希くんの許可など必要ありませんし? お嬢さん、いい加減ぬいぐるみ離れしたらどうです」
揶揄するように言われ、絶句する。
一気に反抗心が高まり言い返そうとしたタイミングで、昴は柚希の口に飴を放り込んだ。
呑み込んでしまいそうなのを堪えると、同時に文句を呑んでしまう。
唖然とする柚希に構わず、昴は翔にも舐めるよう薦める。
翔が素直に飴を口に入れるのを見ていて、ようやく柚希の味覚が正常な働きをし始めた。
口内に林檎の甘い味が広がる。
もう何を考えていいか分からず、柚希はソファーに勢いよく身を投げ出した。
靴のままソファーの上で膝を抱え、頭に乗ったタオルを引き寄せて顔を隠す。
「濡れたソファーの片付けは柚希くんがやってくださいね」とだけ薄情に告げて、昴はうさぎを掴んだままデスクに戻った。
頭上で溜め息を吐き出す音がした。
さらに柚希が身を縮込めていると、伸びてきた手がタオル越しに柚希の髪を掻き混ぜる。
「……っ、……ぅ、うぅー」
柚希が呻くとようやく手が止まる。
布の隙間から目を上げると、目の前に首にタオルを掛けた翔が呆れた顔で立っていた。
落ちかけた自分のタオルを引き寄せて、赤くなっているだろう目を隠す。
「……昴さん、桃華、いた」
「おや、そうですか」
柚希の決死の言葉も、昴は興味なさそうに相づちを打つ。
「苦しそうだった。許さないって、わたし……」
「どうするつもりです?」
「……わたし、諦められない。やっぱりどうしても諦められないよ」
「それはそうでしょうね。簡単に諦められるくらいなら、そもそもちょっと見かけただけの僕を見つけ出したり出来るわけありませんしね」
飄々と言ってくれる昴が恨めしくなる。これでも柚希は、いろいろな覚悟を決めているつもりだ。
「相澤?」
何かを感じてか、訝しげに翔が柚希を呼ぶ。
柚希は彼の目を見ることを避け、さらに深く抱えた膝に沈み込んだ。
「わたし、……桃華を生き返らせたい」
翔が息をのむ音がする。
柚希はぎゅっと目を瞑った。
あの日、独りで目を覚ましてしまった柚希の願いは、一年前からただそれだけなのだ。
***
「絶対に、絶対に生かしてみせる」
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