孤独少年、イノシシ娘を連れ出す
まだ朝の早い時間帯。
柚希が教室に飛び込むと、一番後ろの席には翔が座っていた。
きっとまた逃げられているだろうと思って荷物だけ置きにきた柚希は、想定外だった彼の存在に目をパチクリさせる。
昨日は最終的に拒否されたが、それでも昴に会わせたり仕事についてきてもらったりしたのは無駄ではなかったのか。
柚希は自分の机に鞄を置くと、本を読む翔に近寄った。
「高坂くん、おはよう」
挨拶するも返事はない。
顔さえ上げない翔にむっとして、柚希は彼の机を両手で叩いた。前回と同じで、若干手のひらが痛い。
学習能力の無い自分に密かに落ち込みながら、ようやく顔を上げた翔の瞳を覗き込む。
「おはよう」
「……はよ」
溜め息交じりながらも返された挨拶に、柚希は小躍りしたいのをぐっと堪えた。
懐かない猫に粘り勝ちした気分だ。
「あのね、無視はいけないと思うの。もう少し愛想良くしない?」
小首を傾げながら軽い調子で言ってみた柚希を見上げ、彼は眉間に深い渓谷を刻んだ。
地雷を踏んだわけではない、たぶん。
心の中で検討してみてくれているのだ、きっと。
「……」
「……」
「…………」
「ごめん! いまのは……」
冷や汗を掻きながら「いまのは無しで」と言おうとした柚希は、急に立ち上がった翔に首を竦めた。
「ちょっと来い」
そう言って翔は教室を出て行く。
予想外の展開に目を丸くした柚希は、さっさと廊下に出て行く翔の後を慌てて追った。
廊下には登校してきた生徒が数人、言葉を交わしながら行き来している。
連れだって歩く柚希と翔を驚いたように見てくる知り合いに誤魔化し笑いを返しながら、彼女は前しか見ない翔の背中を見つめた。
翔の背に拒絶の気配はないが、もちろん気安さも窺えない。
誰とも目を合わせず歩く姿は取り澄ましているようにも見えるが、柚希にはどこか緊張しているようにも見えた。
(緊張というより警戒?)
ふとそう思って首を傾げる。
学校生活になにを警戒するというのだ。
翔は一つ階を上がると、空き教室に入った。
柚希を奥へ行かせ、教室のドアを閉める。
「そこ、座れ」
机の一つを指さされ、意味が分からないながらも黙って従った。
翔は難しい顔のまま腕を組んで溜め息一つ。
「あの、高坂くん?」
「俺のそばに居れば少しはマシなんだったよな」
「え、なにが」
「出ろ」
「えっと……」
幽体離脱しろということだろうか。
言葉足らずな翔の理不尽に鋭い眼光にビビりつつ、柚希は目を瞑って体から抜け出した。
ふわりと体が浮く感覚。後ろを振り向くと机に突っ伏する自分がいる。
学校で抜け出したのはこれが初めてだ。
「……って、早っ!?」
少し気を取られている隙に、翔がさっさと歩き出していた。
教室から出て行く背中を慌てて追いかける。
後ろをついてきた柚希をちらりと一瞥して、翔は階段を降りていく。
どうやら五組の教室に戻るようで、彼が何をしたいのかいまいちよく分からない。
この時間帯に廊下を歩くと、登校してきた友人たちと朝の挨拶を交わすものだが、当然ながらいまは誰も柚希の存在に気づかない。
翔が教室を開けた。彼に続いて柚希も室内に入る。
「あれ?」
いつもの教室、いつもの朝の風景。
その中に違和感を覚えて柚希は首を傾げた。




