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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅦ(りょう担当)
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第四話

 蓮姫の手下(てか)、春男と陸史の二人は、璃安中心部を駆けていた。ひとりは、月蝕に向かい、ひとりは月蝕に追われて。


 月蝕に追われた男、陸史は、野次馬でごった返した通りを抜けると、ことさらゆっくりと歩き始めた。目立たないための用心である。

 顔も、主人に用を言い付かった従僕のごとく神妙、先ほどの飄々とした印象などどこにもない。

 元ジュンガルの兵士である春男は、武で仕えるが、陸史の、彼の特技は、誰にも真似することが出来ない。

 例えば、どこかの屋敷に忍び込むとしよう。

 けれど、誰からも怪しまれない、皆が、以前からいた使用人と思い込む。

 だから陸史は、どんな場所へも入り込むことが可能だ、おそらく王太后の寝間にすら。

 平凡すぎる顔立ちのせいか、それとも生まれつきの異能なのか、わからなかったが、間者や盗人をするにはありがたい能力であっても、一人の人間として見てもらえぬ苦悩は計り知れない。

 だが、蓮姫は、陽花楼に使用人然と入り込んだ陸史を侵入者と見咎めた。

『見なれぬ男だが、酒でも飲むかと』と言って。

 それ以来、陸史は、蓮姫に心酔し、手下となっている。


(楊家か、いやな心持ちがしやがるぜ)


 陸史は、璃安中心部から一町(約百九メートル)ほど北方にある楊家別邸を見上げた。その豪奢さは、まともに役人をやっているだけでは到底、手に入ると思えない。

 しかも、陸史は、この家の主の評判を以前から聞き知っていた。

 清廉潔白と讃えられた前の礼部尚書が頓死したため後釜に座った人物であると。

 そして、前礼部尚書の頓死に蓮姫の妹・柚姫が深く関わっていることも。


(大姐もけったいな妹を持ったもんだぜ、くわばらくわばら)


 陸史は、楊家別邸の離れへと続くくぐり戸を開けると、何食わぬ顔で白砂利の敷かれた小道を歩き始めた。

 だが、小道を半分ほど来たとき、反対側から男と女の二人連れがやってきてしまった。

 柚姫と苦力(くーりー)の主従である。

 陸史は、あわてて建物の影に入りかけ、だが、一瞬の後、元の通りに歩き始めた。

 蓮姫の妹が自分をどう見るか知りたくなったのである。

 しかし、異形の男に手を引かれ、高名な占術師然と歩いてきた女は、陸史をちらとも振り返らなかった。


(けっ、なんとも高慢ちきな女だぜ。

 だが、大姐みたいな目は持ってねえらしいな)


 陸史は、にやりと笑った。

 しかも、薄いチャドル越しに見た“玉凰娘々(ゆぃふぉあにゃんにゃん)”という名の占術師は、蓮姫とほんの少しも似ていない。

 もちろん顔の造作は同じだ。

 けれど、見にまとう雰囲気が悪しきテングリと善きテングリほども違う。

 かつて、彼女達がまだ幼かった頃、ふたりを区別出来るのは、女将・房子だけだった。だが、今、二人を見間違えるのものなど誰一人としていないだろう。顔の傷のあるなしによらずとも。

 陸史は、そんなことをこもごも考えながら柚姫主従のカンテラの火が遠ざかっていくのを見送った。そして、彼らがずいぶん遠ざかったと認めると、柚姫が借り受けているという別棟へと歩き出した。


 そして陸史は、盗人よろしく裏口の鍵を開け、入り込もうとした。

 だが、なんとしたことか。扉は、ぴくりとも開かない。

 他の入り口や窓も試してみたが、同様。

 用心深い柚姫は、自分以外のものがこの建物内に入り込めないよう術をかけていったらしい。


(くそ、やってくれるぜ。これじゃあ、大姐に来てもらうしかねぇじゃねぇか)


 陸史は、への字に口をゆがめると、仕方なく楊邸を後にした。



 そして、こちらは、月蝕に向かっていった無口な春男。

 彼は、花街(かがい)の顔役の厩から駿馬を二頭選び出すと、一頭を引き、砂埃を巻き上げながら走り出した。

 目指すのは、チャルチャンの地下井戸(カレーズ)

 李銀月に、蓮姫からの口伝を伝えるために。

 春男の主人・蓮姫は、いまだ読みを誤ったことがない。彼女がいると言えば、必ずそこにいるのだ。だから、春男は少しも迷わなかった。

 春男はもともと忠誠心が厚い。悪党に攫われた愛娘を探し出してくれたのが蓮姫だからだ。

 その為、蓮姫の命にけして口を挟まない。すべて『()』の一言でやってのける。例え、死を命ぜられても顔色ひとつ変えず『是』と言うだろう。

 昨年、春男の最大の気がかりだった娘は、良縁に恵まれ、嫁いでいった。

 もともと父一人、娘ひとりの所帯、もはや気がかりはない。

 もし、蓮姫が命をかけて柚姫を退ける気になったなら、春男もそれに従うだけだ。

命の恩は、命でしか返せない。ジュンガル人である春男は、そう一途に考えていた。


「どう、どう・・・・」


 乗馬が小岩に足を引っ掛けたらしい。

 転びそうになった馬をどうにか立て直した春男は、馬から下りると、茶色のたてがみを撫でてやった。


「すまないな」


 馬は砂漠を走るのには不向きな動物。

 とらえどころのない砂地が馬の体力をこそげ取るからだ。

 だが、数十里を一気に駆けるためには無理をさせるしかなかった。


「後、もう少しだ。頑張ってくれ」


 春男は、馬の背を優しく叩くと、再び騎乗の人となった。

 その刹那、目前にきらきらと金の光が降りてくる。

 半時ほど続いた月蝕が終わりを告げたのだろう。中天にかかった満月が、砂漠に鮮やかな金波を創りだす。

 昼のごとき、明るさ。

 もう馬が転倒することはあるまい。


「はぁっ・・・・!」


 春男は、一声したのち、馬を走らせた。

 もはや目的地まで止まるつもりはない。春男は、人馬一体となり、走り続けた。


 どのくらい、駆けたときだろうか。

 頭上で煌々と光っていた満月が、西へ大きく傾きはじめているのを認めた。

 おそらく亥の刻近く、璃安をでてから二刻半ほど走っている計算になる。

 ふいに、乗馬が水の匂いを感じたのか、小さくいななく。

 目を凝らすと、半町ほど先に数十頭の駱駝の群れが見える。

 春男は、馬を下りると、駱駝の群れを怯えさせないように近づいていった。

 だが、その途次、鋭い誰何の声がした。


「誰だ・・・・!?」


 見るからに警護の武人といった態の男が、佩いていた剣を鞘からすらりと抜き、その刃先をこちらに向けている。


「夜分遅くに失礼します。

 わたくしは、李家からの使いのもの。銀月様に急用の儀これあり。

 主をお呼びいただけませんか?」


 春男は、こういった際の言い訳も蓮姫から教えられていた。

 そして、警護の男が警戒を緩めたと見るや、その手に銀粒をいくつか落とすことも忘れない。


「待っていろ」


 警護の男は、銀粒を懐にそそくさしまいこむと、貴人たちが寝ているパオに向かっていった。

 待つことしばし。

 深夜に近いというのに、一分の隙もなく身なりを整えた李銀月がやってきた。


「李家からの使いというのは、おまえか」


 銀月は、跪いている春男の顔を覗き込むと、訝しそうに訊ねた。


「いいえ、わたくしは、蓮姫様の手のもの。

 主よりの言伝をお伝えします。玉に変事あり」


 しかし、しばらく待っても銀月は、返事を返さない。

 まさか、言伝の意味がわからなかったわけではあるまいに。

 空白の長さに痺れを切らした春男が顔を上げると、なんとも奇妙な顔をした青年がそこにいた。

 逡巡というよりいっそ当惑。

 一刻も早く璃安に駆け戻りたい様でいながら、口唇をきゅっと真一文字に結んでいる。まるで、心を ふたつながらに引き裂かれたよう。

 春男は、目の前の青年が狂いだすのではないかと案じないではいられなかった。

 だが、李銀月は、頭を大きく振ると、血を吐くように叫んだ。


「わたしはおまえと一緒に戻ることは出来ない。

 おまえが、わたしと同じ男だというならこの気持ちをわかってくれまいか!」


 もちろん、春男だとて男。銀月の気持ちのわからないはずもない。

 戦場へ赴く春男を泣きながら見送る妻を幾度も置き去りにしたのは自分であったから。

 だが、主の、蓮姫のことを思えば、たとえ砂地に埋まろうとも白髪頭を下げずにはいられない。この男が戻らねば、主は、たった一人で柚姫に対峙せねばならないのだから。


「お願いです。

 どうぞわたしと璃安へお戻りください」


 春男は、がばりと平伏すると、砂地に頭をこすりつけた。


「あなた様が戻らねば、我が主は・・・・」


『たった一人で妹を滅しようとするでしょう』と、続けようとした春男であったが、自分の上に影が差したことに気づいた。

 小柄な肉付きのいい青年がこちらを見つめていた。

 銀月と同年輩と思われる青年は、春男に「立ちなさい」と声をかけると、銀月へ向かい声を荒げた。


「彼と一緒に璃安にお戻りなさい!」


 それでも、銀月が躊躇っていると青年は、

「きみの足は、どちらへ向かっていますか? マリカワトですか? それとも璃安ですか?」と、地面を指差した。


「あっ・・・・」


 己が足元を見つめた銀月は、愕然となる。

 ほんの僅かも動いている自覚などなかったのに、たたらを踏んだような足跡が砂地に残っていた。


「きみは身体のほうが正直なようですね。

 いいですか、銀月。大切な人を救わず、国を救ったとて誰がきみを尊敬するでしょうか?」


「ですが、綜官吏。わたしは・・・・」


「だから、大切な人を救い終えたらすぐ帰ってきてください。

 遷国は、きみなしでは進めることのできない大事業なのですから」


 綜水楊(ぞん・しゅいやん)は、銀月の肩を叩き、春男のほうへ押しやった。

 そこまで言われては、銀月ももはや意地を張ることが出来ない。


「ありがとう、水楊」


 と、礼を言って、駆け出した春男の後を追っていった。まるで水を得た魚のように。

 すぐに二頭の馬のいななく声が聞こえる。

 綜水楊は、照れたように鼻をこすってから璃安の方角を見つめた。


 李家の使いだとやってきた男、文官の自分にもひと目でわかるほど腕の立つ兵士だった。死線を幾度もくぐりぬけてきたほどの。

 その男が、矜持も何もかもかなぐり捨てて膝を折った。

 水楊は、彼にそこまでさせるほどの主に興味が湧いたと同時に、そこまでするほどの難事が銀月を待っていることを思わないではいられなかった。


「銀月、待っているよ、必ず帰っておいで」


 幼くして両親を亡くし、親類の家で邪魔者扱いされて育った故か、人を信じることが難しかった綜水楊を、初めて信じたいという気持ちにさせた男だったから、李銀月は。


 望月が天心にかかる。

 中華では、月には嫦娥(じょうが)という女神が住んでいると言われる。

 地上に住む愛しい夫を、永久に見守り続けているという女神が。

 水楊は、嫦娥が異国(とつくに)の神であっても初めて出来た友人をどうか守ってくれと願わないではいられなかった。

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