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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅥ(りょう担当)
30/66

第一話

 祭りの後 ―――――― 。

 三々五々と散っていく仲間たちのうえに目が覚めるほど鮮やかな朝焼け。

 それは胸に染みいるほど美しく、夢龍(ムロン)の足をその場にとどまらせた。

 ふと苦い笑いがこみ上げる。

 もし、夢龍が女ならば、一晩中泣き通しても構わぬのだろうか。自身を袖にした男の名を呼び続けて。

 だが、夢龍は男だ。安っぽい同情を寄せられるのを我慢できようはずもない。人前では常と変らぬ顔をして浴びるほど酒を呑み、時が悲しみを拭い去ってくれるまで、口唇を噛みしめて待つしかないのだ。

 

 それにこの結末は予想の範疇でもある。

 銀月との行き違いで揺れに揺れていた睡蓮を抱きしめ、束の間、彼女が我がものになるかもしれぬという儚い空想ができただけで良しとしなければならない。

 だが、そう言い聞かせてみたところで、この悔しさが薄れるわけではなく、銀月を恨めしいと思う気持ちは時を追うごとに募っていく。

 銀月が今時分、睡蓮と床を共にしていることを考えればなおさらだ。

 もし、あの場に銀月が現れなければ、睡蓮のなだらかな肢体に手を這わせ、甘い声をあげさせているのは自分だったはずなのだ。夢龍は強く奥歯を噛みしめる。


 もしできることなら、すぐにでも新床へ乱入し、睡蓮を奪い取ってやりたい。

 そして、彼女から銀月の痕跡を残らず拭い去って自分の(しるし)を刻みつけるのだ。つと、そんな狂暴な想像が胸がざわめかせて、夢龍は体を大きく震わせる。


(ああ、本当にそんなことができたら、俺はどんなにか救われるだろう)


 だが、結局、夢龍は夢龍でしかなく、今まで培ったきた伊達男の評判も、銀月の親友の座も放りだすことができない。

 夢龍は自身をどうしようもなく情けない男と罵しらないではいられなかった。

 そして、そんなふがいない自分にできることといえば、家に戻り、浴びるほど酒を呑むくらいだ。目覚めた時、目交に睡蓮の面影が浮かばなくなるその時まで。

 夢龍は再び苦笑すると、朝焼けの向こう側にある我が家への道筋を辿りはじめた。

 いや、辿ることはできなかった。ほんの少しの間に立ちこめた朝霧によって。


 初夏、夜間の冷えた空気が夜明けとともに温められ、薄い(もや)となることはままあるが、鼻を抓まれてもわからぬほど霧が立ちこめるなど砂漠の国では稀だろう。

 夢龍は自身の重ねての不幸に笑いを禁じ得なかった。

 だが、この一寸先も見えぬ朝霧の中を常と変らぬ足取りで近づいてくる人影がひとつ。

 その人物を随分と大きな男だと思った刹那、当て身を喰らわされ、男の懐に倒れこんでいた。

 そして、意識を失った夢龍はあっという間に男の背中に背負いこまれる。

 だが、いきなり現れた男は夢龍の他に恐ろしい瘤まで背中に背負いこんでいた。俗に言う傴僂(せむし)である。

(傴僂とは、背骨が弓なりに曲がり、前かがみの体形になる病気。背中にできる瘤が虫を背負っているように見えたことからせむしと呼ばれた)


 おそらく、彼のごとき奇形は白昼であれば、人目を引かずにはおられなかったであろう。だが、今は人気のまったくない明け方、しかも街は朝霧に沈み込んでいる。男が夢龍を攫うのに何の躊躇もいらなかった。

 いや、彼は生来、複雑な感情とは無縁な質なのだろう。まったくの無表情で当て身を食らわせ、顔色一つ変えることなく、もと来た道を戻っていく。

 街の中心部、富裕層が軒並み屋敷を連ねる一角へと。


 大男は小半時ほど歩き、ひときわ豪奢な屋敷の前で、ふいに足をとめた。

 そして、あたりをきょろきょろと見回すと、従業員用のくぐり戸から別棟へと歩いて行く。

 途次、百花繚乱といった態の花々が庭園に咲き乱れていたが、気にもとめない。

 なぜなら、男の足を止めることはできるのはただ一人、彼の帰りを今や遅しと持っている主人だけだからだ。


 ふいに庭園の端で何かがうごめき、そちらに目をやった男は石像のごとき顔を綻ばせた。美しい主がこちらに向けて手を振っていた。おそらく、背負っている夢龍に気づいたのだろう。


「よくやったわ、苦力(クーリー)


 中庭に張り出した露台に置かれた椅子から労いの声がかかると、苦力は夢龍の存在を忘れ、地べたに跪いた。

 美しい主人とは陽花楼の蓮姫(リョンフィ)に瓜二つの顔をした若い女。だが、蓮姫のようなむごたらしい傷跡は見当たらない。

 何故なら彼女は、十年前陽花楼を追放され、奴隷商人に売り渡された蓮姫の双子の妹・柚姫(ユヒ)その人であった。



 *****



 夢龍を足止めした霧は卯の刻には晴れ、砂漠の太陽は地表を焼き焦がさんばかり。今日も茹だるような暑さとなるだろう。

 けれど、一匹の蜜蜂だけは涼しいうちに働かねばと焦ったのか、小池の周りを忙しげに飛んでいた。

 この砂漠の国・蔡で自邸に池を設けることができるなど、屋敷の主は豪商か、国の中枢部に位置する高官のみ。

 遥か天竺のものと思われる開口部の高い屋敷。室から室への戸といったものはなく、夏の暑さをまず配慮したと思われるつくり。

 丸い柱の間には人目をさけるためか、色とりどりの更紗が風にはためき、奥の間からは子供が戯れに鳴らしているだろうあえやかな鈴の音。真夏の砂漠にいると思えない涼やさだ。

 だが、蜜蜂は涼しさよりも気になることがあるとみえ、屋敷のいっそう奥まった方へと飛んでいく。


 おそらく、別棟。本邸とはまた趣を異にする、そこだけ切り取られたような異国情緒に、蜜蜂は吸い込まれるがごとく、ぶんと高い翅音をたてた。

 白壁で造られた棟は遥か西方にあるされる胡の国のものだろう。

 東方諸国は木造建築が多いのに比べ、西方諸国は石造りの建物を主とする。目の前のこの棟も果てし てそうだった。

蜜蜂はその中の一室。昼なお暗い部屋の片隅に置かれた香炉を目指していた。

 けれど、ようよう辿りついた途端、その翅音はふいに途絶えてしまう。花よりなお甘い香りにはるばる吸い寄せられてきただろうに。


 刹那、紗で飾られた豪奢な寝台からきしりと音がして。どうやら若い女が寝台の端に腰をおろしたようだった。

 目にも鮮やかな藍の濃淡で染め上げられたサリーを身にまとった女は衣装に負けず劣らず美しかったが、彼女の笑みは人を和ませるといった種類のものでは断じてない。

 額にしるされた赤いビンディよりもなお紅い唇が微笑みの形に作られていたとしてもどこか禍々しい。


 女は少しだけ体を起こすと、寝台に置かれたものから目を離すことなく、自身の下僕に呼び掛けた。


「ねぇ、苦力。この男、夢龍といったかしら。 あの人に、(セイ)に似ていやしないこと?

 ああ、おまえはあの人を、青を知らなかったわね」


 そういいざま女は、犬でも追い払うかの如く袖を振り、自身の足元に控えていた男を下がらせた。

 追い払われたのはもちろん、朝霧の中、夢龍を攫った傴僂の大男である。

 どうやら、この女の命で、夢龍を攫ってきたらしい。何の故に夢龍をかどわかさなくてはならぬのか知らぬまま。


 女は下僕が室を出ていったのを認めると、腰をかがめ、昏睡したままの夢龍に口唇を寄せた。男らしく厚みのある口唇へと。

 束の間、ふたりの口唇が合わさり。だが、その刹那、夢龍が苦しげなうめき声をあげた。


「ううッ・・・・」


 最前、蜜蜂の生命を奪った香炉には、人を昏倒させる作用の香と暗示にかかりやすくするといった類の香が焚かれていたが、夢龍はどうやらそういったものが効きやすい質らしく、この室に運び込まれて以来、繰り返し悪夢を見ていた。

 だが、傍らの女、柚姫は夢龍のうめき声が耳に入らなかったものか、少しも躊躇わず朱唇を重ねる。今度は歯列を割るほどに強く。


「愛していてよ、青」


 蜜のように甘い言葉。

 それがもし自身に向けられていたなら、昏睡したままの夢龍だとて目覚めたかもしれない。

 けれど、他の男の、しかも死人(しひと)の名を呼ばれては、なお悪夢の淵に沈んでしまうだろう。


 だが、柚姫は少しも気にした様子がない。ほうと艶めいた溜息をこぼすと、夢龍の胞を手慣れた仕草で肌蹴させていく。

 もしかしたら、本当に恋人と見過っているのではないか。そう考えてしまうほど、柚姫の手は優しく恋人への愛にあふれていた。

 白いたおやかな手が胞の上衣をはだけさせ、下衣を丸めて室の隅に放り投げる。すると、放蕩三昧している割には広くて厚みのある胸があらわれた。

 再び、ほうというため息。

 ふたつの突起が伸ばした爪の先で弾かれ、上から下へと何度も転がされる。すると、そこは待っていたように自己主張を始めた。


「ああっ・・・・」


 夢龍の逞しい喉から耐えかねたような溜息があがり。気をよくした柚姫は執拗に同じ作業を繰り返す。もちろん、うなじや首筋に舌を這わすのも忘れない。

 そして、濃い桜色に色づいた小さな果実を交互に口に含み、舌で転がしてやると、大きな身体がぴくんと震えた。

 男であってもこれほどに熱く尖るのかと思うほどしこった突起を存分に弄んだ後、下方へと触手を伸ばす。

 刹那、柚姫ははっとして夢龍の股間を見つめた。

 そこは手の感触が伝えてきたとおり、強く「男」を主張していた。

 刹那、柚姫の喉がごくりと鳴り、白い太腿をくすぐるように赤い爪が幾度も彷徨い、彼女の手がようようその地点に達した時、夢龍は「ああ」と切なげな吐息をもらした。

 柚姫の手が下帯の隙間から夢龍の男に触れ、まるで焦らすかのようにゆっくりと上下する。

 例えて言うなら、猫が鼠をいたぶるように生かさず殺さず、夢龍が柚姫を欲しがり、彼女の手をたっぷりと濡らすまでそれは続けられた。


「ああ、頼む。それ以上焦らさないでくれッ」


夢うつつのまま、夢龍が縋るように叫ぶ。

その言葉に満足し、笑んだ柚姫は男の下帯をもしゅるりとはぎ取っていく。


 ぱさり・・・・。

 半裸となった夢龍の傍らで、柚姫が濃紺のサリーを脱ぎ捨て、天女のごとき裸体をあらわにする。

 それはどこまでも白く、蜜蜂のようにくびれた、死の間際の老爺でさえ起き上がってきかねない艶めいた肢体だ。

 柚姫が淫靡に長い髪をかきあげると、それにしたがって豊かな双乳がふるりと震え、香炉のそれとは違う甘い香りが室の中を漂っていく。


 ぴちゃ・・・・。

 淫らがましい水音がして。

 まさか香炉に媚薬が交じっていたわけではあるまいに、彼女の女がすぐさま夢龍を受けいれることができるほどに潤っていることを教える。

 柚姫は惜しげもなく両足を開いて夢龍にまたがると、夢龍の男に手を添え、自身の中に迎え入れようとした。

 けれど・・・・。


「すいれん・・・・」


 他の女を呼ぶ切なげな声。

 柚姫は裸体のまましばし凍りついた。甘やかな夢を中途で摘み取られたような心持ちで。


 ばしッ・・・・!  

 夢龍の頬が大きく鳴る。

 眉を吊り上げ、唇をわななかせた柚姫に思いっきり頬を張られたのだ。

 それでも夢龍は一向に目を覚まさない。束の間、痛そうに顔を顰めたものの、すぐに夢の底に潜っていってしまった。

 おそらく、辛い現実より儚い夢に溺れていたいのだ。

 それを見てとった柚姫は夢龍を叩いたことをわずかばかり悔やんだ。

 お互いがお互いを想い人の代わりとしたのだ、哀れな夢龍だけを責めることはできまい。

 しかも、自分は幾人も、いや無数の男を青の代わりとして抱いてきたのだ。その男がほんの少し青と似ているならば、どこの誰であろうとも構わずに。

 柚姫は藍で染め上げられたサリーを再び身に纏いながら、ほろ苦く笑った。

 それに、この男が睡蓮に深く心を残していることは柚姫の謀事にとって都合がよい。この男は復讐のための大事な大事な駒なのだから


 柚姫はつと立ちあがると、丸いギアマンの窓から花街の方角を見やった。

 そこには最前から悪夢に囚われている夢龍の、想い人である陽花楼一の舞姫・睡蓮がいる。

 もし、彼女が闇に堕ちたならば、陽花楼の女将・房子(パンジャ)は間違いなく大打撃を受けるだろう。

 それが柚姫が最初で最後、心から愛した青を無慈悲に殺した房子への復讐の第一歩となるのだ。


「房子、お前もわたしと同様に愛する者を亡くし、ぼろ屑のごとき屍となるがいい!

 おまえが非情にも追い出した青と同じ、いいえ、それ以上に悲惨な末路を辿らせてやるわ」


 柚姫はそういいしな、丸窓にこぶしを思いっきり叩きつけた。

 房子への復讐を果たすこと、それがたったひとつ柚姫のできる亡き恋人・青への手向けだったから。

 そのため柚姫は苦力に夢龍を攫ってくるように命じた。夢龍を睡蓮と李銀月の間に打ち込む楔とするために。

 もし、睡蓮が恋人の親友に我がものとされ、不幸のどん底に落ちたと知ったら、睡蓮を我が娘の如く愛する房子と、妹の如く可愛がる蓮姫はいかばかり悲しむだろう。

 いや、そればかりではない。陽花楼は睡蓮という看板を失い、経営さえ危うくなるだろう。

 その上、睡蓮が夫の親友に寝取られるという醜聞は大掛かりな芝居を催した後だからこそ、陽花楼の信用を完膚なきまでに失墜させるだろう。

 例え、姉、蓮姫が花街の裏役であろうとも、一度落ちた信頼を回復させることなどできはしないのだ。


「おまえの母のように花郎女(ふぁらんにょ*最下層の遊女のこと)になるというのも楽しいのではなくて、房子。

 少しばかり薹がたちすぎて、売り物にはならないかもしれないけれどね」


 柚姫はうっとりと微笑むと、夢龍の胞を元通りに直してやった。

 そして、夢龍の唇に再び朱唇を重ねる。

 彼のこれからの働きをねぎらうかの如く・・・・。

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