第六話
銀月と睡蓮。
祝福された二人は舞台を降り、用意されていた一頭の白馬に乗った。
白馬は華麗な装飾を施され、手綱は屈強な護衛の男に引かれ。
両脇にも、護衛が付き添い、紙吹雪が舞い歓声が響く広場を横切って、銀月の屋敷まで送り届ける。
白馬のあとを、興奮さめやらぬ睡蓮の熱烈な信奉者たちが、追いすがる。
彼らは銀月の住まいの玄関先まで、ついてきた。
「なんという馬鹿げた騒ぎなんでしょう、頭痛がするわ」
明華の娘、麗華が忌々しげに顔をしかめる。
「……卑しい、踊り子ふぜいが」
この家の敷居をまたぐなど、なんたる侮辱。
明華は皆まで言わず、剣呑な音を立てて扇子を閉じ、ぎりりと唇を噛みしめる。
どこの馬の骨とも知れぬ異国の踊り子を妻に迎えるとは。
李家の体面に泥を塗る行為としか思えぬ。
このわたしが今日まで守り抜いてきた、李家を。
あんな女に、引っ掻き回されるなど、耐えられない!
……せいぜい、今のうち、浮かれて美酒にでも酔うが良い、銀月。
いっそのこと、その女に、骨抜きにされておしまい。
油断したところを、狙ってやるから。
「このままで、いさせてなるものか」
陰険なまなざしで、明華たちに見下ろされているとは夢にも思わぬ睡蓮は、馬上で人差し指を立て、みずからの唇に当てて周囲を見渡し。
「みんな、ここは花街の広場じゃなくって、住宅街なのだから、騒いでは駄目よ。お住まいの方たちに迷惑がかかるわ。もう夜も更けたし、お家へ帰りましょうね。なんだったら花街へ引き返して遊んでくれてもかまわないけれどね、むしろ歓迎します、ふふっ」
どっと笑いが巻き起こりかけ、睡蓮は、しーっと人差し指を立て直す。
皆は慌てて口をふさいだり、小突き合ったりして互いを牽制。
「今夜は本当にありがとう。この素晴らしく幸福な日を、あたし、一生わすれないわ。さようなら、おやすみなさい、またね」
にこにこと手をふり、別れをうながす睡蓮をまのあたりにしては、取り巻き連中も引き下がるをえない。
三々五々、散ってゆく。
睡蓮と銀月は家に入り、護衛の男たちも白馬を引いて帰途に着く。
「おうちの方、起きてしまったのじゃないかしら。申し訳ないことをしたわ。お詫びとご挨拶をしたほうがいいわよね、銀月?」
軒をくぐって開口一番、背伸びをして銀月の耳に、睡蓮がささやく。
銀月は苦笑いをしながら、
「だれも起きて来たりはしないよ。挨拶は後日でかまわないだろう」
「でも」
あとに続く言葉は封じられた。銀月の熱烈な抱擁と、接吻で。
銀月の手が、睡蓮の胴を大胆に這い回る。
尻の丸みを、腰のくびれを、胸のふくらみを、たしかめるように。
「いっ、いん……ッ!」
いんゆえ、と接吻の合間でさえ、まともに名前も呼べない。
「だれも起きては来ない。挨拶など後でいい」
銀月の声は、冷静。
情熱的な愛撫とは、うらはらに。
口調は冷静でも。
睡蓮の耳にかかる息は、熱い。
熱い。火傷しそうなほど。
ああ。どうして。
銀月があたしを激しく求めていないなんて。
思い込んでいたのだろう。
表面が、氷のようだからって。
そんなうわべに、惑わされて。
銀月は、いつだって。
あたしを、守ろうと、してくれていたんだわ。
自分自身の、獣性からも、遠ざけて。
大切に、守ろうと、してくれていた。
触れられて、はじめて、骨身にしみた。
銀月から放たれる炎は、吐息のみに限らない。
銀月の手がふれた箇所も、火をつけられたかのように、熱い。
余韻が去らない。それどころか熱を増してゆく。
まるで、龍に巻きつかれたかのよう。
おかしくなる。こんな、玄関先で。
「わ、わかったわ、わかったから、もうお部屋へ連れて行って、お、おねがいよ、おねがいだから、いんゆえ」
絶え絶えの息の下、必死の懇願に銀月は、ようやく我に返って行為を中断。
あやうく、睡蓮を床に押し倒すところ。
こんな、玄関先で。
「…………」
彼女は初めてなのだ。丁重に扱わなくてはならないのに。
劣情を制御できなくなったおのれを恥じ、銀月は睡蓮の肩をやさしく抱いて歩みだそうとした、が、睡蓮は。
一歩も踏み出せないほど、足がすくんでいたのだった。
「……ごめんなさい」
銀月に抱きかかえられて廊下を進む睡蓮が、消え入りそうな声で、詫びる。
「なにを謝る。謝るべきはむしろ、このわたしだ……怖がらせてしまったね」
「ううん、平気よ」
睡蓮は、お決まりの強がりを口にする。
同時に、みずからへも強く言い聞かせる。
平気よ。だって、銀月だもの。
睡蓮はぎゅっと瞼を閉じ、銀月の服を引き寄せるようにして、その胸に顔をうずめた。




