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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅤ(かえ担当)
26/66

第五話

 いよいよ旦那を決定する、当夜。

 熱烈に、望まれるままに。

 睡蓮は、夢龍ムロンを、選んだ。


 酒楼の前に設えた野外舞台。

 衆人環視のもと、睡蓮は夢龍をその壇上へと導く。


 睡蓮のまとう衣装は、純白のチマ・チョゴリ。

 茉莉花の花冠、手にも茉莉花の枝。

 二十三夜以来の、清純なる艶姿。



 今宵は、朔月。

 夜空には、降るような天の川。

 睡蓮は、天を仰がない。

 牽牛と織姫に、嫉妬して。


 彼らは年に一度だけでも、逢瀬を許される。

 睡蓮は自分も周囲も偽り、よりにもよって最愛の男の友人に、操を捧げる決意を固めた、不実な女。

 一夜たりとも真実の愛を交わすことなど、許されはしない。


 最愛の銀月インユエは、夢龍の家を訪ねることが、あるのだろうか。

 ……笑止。

 夢龍の自宅だろうと、酒楼の席だろうと、銀月とは、もう今までのような間柄では、いられないのに。


 松明に照らされる、壇上の二人。

 ゆらめく炎は、睡蓮の端正な美貌に陰影を加え、自嘲を凄絶な微笑へと変化させる。


 祝福と羨望が混在する熱気を孕みつつも、大衆がぐるりと取り囲んでいるにしては、妙に静か。

 厳か、と言ってもいい。


 夢龍は睡蓮を熱いまなざしで包み込み。

 睡蓮は淑やかに、うつむく。

 はじらうそぶりで、夢龍の瞳を、巧妙に避ける。


 ……うしろめたい。

 この期に及んで、脳裏をよぎる影は。

 夢龍では、なかったから。


 これから、ずっと、あたしは。

 このひとを、騙して、生きていくのだろうか。

 いつまで、あたしは、本心を、隠していられるだろう。

 それとも。

 いつの日か、夢龍を心から愛せるようになるのだろうか。


 今、こんなにも揺れている、この気持が、いつか。

 揺るぎなく、夢龍だけに、定まる日が、来るだろうか。


 時の流れは優しくて、そして残酷。

 父さんに焦がれた胸は、銀月が癒してくれた。

 銀月を失った痛みは、夢龍が、鎮めてくれるだろうか。


 ……あやうい、賭け。

 それでも、今さら、引き返せはしない。


 それに。

 いっそのこと、この程度の軽い想いでいるのが、丁度いいのかもしれない。

 睡蓮の片頬に、皮肉な笑みがひろがる。


 夢龍が妓楼に通ったとしても、睡蓮はそれほど傷つきはしない。

 銀月と夢龍が「そういう」友人関係なのは、とうに知っていた。

 花街の誰もが、それは知っていた。


 ……あたし、なんて、ずるいんだろう。

 自分が、傷つかないでいるためには、なんだって利用するんだわ。

 夢龍の、真心までも。


 偽悪的な感情に囚われながらも睡蓮は、だれもが見惚れるほどの優雅な所作で、片手を夢龍へ差し伸べた。

 夢龍は陶然として、その手を取ろうとした……刹那。


「待てッ!」

 群衆を掻き分けて、銀月が舞台へ駆け上がった。


 先刻までとは性質の異なる沈黙が、降りる。

 張りつめた弦のような、緊張感。

 大勢が、詰めかけていながら、ざわめきも、しわぶきひとつ、起こらない。


 聞こえるのはただ、銀月の激しい息遣い。

 これまで取り乱す隙など一度も見せたことのない李家の嫡子が、公衆の面前で、汗をしたたらせ、獣のように荒い呼吸を繰り返す。


 なにか喋ろうとくちびるを動かすけれど、言葉にならない。

 心臓が破れそうなほど、必死で走ってきたに違いない。

 銀月は言葉を発するかわりに、むせ込んでしまい、無様にも、その場へがくりと膝をつき、背を丸くして、うずくまる。


「銀月……ッ!」

 この場の状況も、我をも忘れて銀月へと駆け寄ろうとした睡蓮の手首を、夢龍は掴んで離さない。


 睡蓮は、よろけ、小さく悲鳴を上げた。

 反動で、夢龍の胸へ、倒れ込んだのだ。

 抵抗する睡蓮が銀月の瞳孔にうつる。

 銀月は息苦しさも失念して、夢龍から睡蓮を奪い返そうと立ち上がる。


 夢龍は睡蓮の手から茉莉花の枝を奪い取り、それを鞭として銀月の頬を思いきり張り倒した。

「遅かったな、銀月」

 夢龍は憎々しげに言い放ち、睡蓮のこめかみに、くちびるを寄せた。


 そして素早く、こうささやいた。

「よかったね、睡蓮」

 その声は、睡蓮の耳にしか、届かなかった。


 カッとして向かってくる銀月に、夢龍は睡蓮の身を投げ与えるようにして、抱きとめさせた。


 夢龍は睡蓮を突き放す直前、彼女の頭から花冠を奪っていた。

 それをおどけるようにして、みずからの頭に、ちょこんと乗せる。

「夢龍……」

 銀月は、複雑な表情で、ただ呆然と、友の名をつぶやく。


 夢龍は照れたような笑みをこぼし、くるりと背を向けて、颯爽と舞台を降りた。

 枝を肩に下げ、花冠を斜めにかぶり、茉莉花の歌を口ずさみながら。


 好 一朶(花) 美麗的 茉莉花

 好 一朶(花) 美麗的 茉莉花


 芬(香)芳 美麗 滿枝芽

 又香 又白 人人誇


 讓我來 將儞(汝)摘下

 免被風雨打


【訳】

 誰もが好きだという香り高い純白の茉莉花。

 咲いたばかりのその一枝をわたしが摘み取りましょう。

 雨や風に打たれぬように。


 夢龍の深く清々しい歌声は、朗々と夜空に響き。

 観衆の間からは、誰からともなく、拍手が巻き起こる。

 舞台上の恋人たちへ、そして潔く身を引いた恋仇へと、惜しみなく。


 睡蓮と銀月の関係、銀月と夢龍の関係、それらは璃安中が知るところ。

 なにせ睡蓮は当代随一と謳われる踊り子、銀月と夢龍はともに一、二を争う豪商の子息。


 睡蓮は隠しごとなど一切できぬ性質。

 銀月を慕っていることは、誰の目にも明らか。

 旦那候補のお歴々とて、この騒動は一夜の夢を見たさの余興と割り切っての参加。


 いや、無論、あわよくば……という下心が皆無であったわけではないにしろ。

 それもこれも、当の銀月が煮えきらぬゆえ。


 とどのつまり、おさまるべきところへおさまった、という安堵が、その場の全員の溜飲を下げたのだった。

 結局、睡蓮が幸福でさえあれば、睡蓮を愛する皆が、幸福感で満たされるのだ。


 英愛ヨンエは舞台の袖で夢中になって手を叩き、はしたなくも口笛まで吹き鳴らす。

 姉たちも妹たちも、手を取り合って喜びを分かち合う。

 音楽が奏でられ始め、酒楼の娘たちは輪になって踊りだす。


 房子パンジャは杯をあおりながら、やれやれ、とことん気を揉ませる二人だよ、本当に世話がやけるんだから、と、ぼやきつつも相好を崩す。

 蓮姫リョンフィは露台の影で見守りながら、絵札をもてあそび、ほくそ笑む。

 手にした札は、太陽。


 壇上の二人は満ち潮のように押し寄せる祝福の拍手に包まれ。

 銀月は、感情のあまりの振幅に翻弄されて動揺を極め、号泣する睡蓮の頬に、やさしい接吻の雨を、注ぐ。

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