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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅤ(かえ担当)
24/66

第三話

「あたしは銀月様を見損なったよ。

 睡蓮を振るなんて、一体どういう了見だか」


 睡蓮が飛び出していってから。

 部屋に取り残された女将・房子パンジャは、銀月に対する不満をあからさまに吐露。



「睡蓮の気持は、誰が見たって丸わかりじゃないか。

 当の銀月様が気づいていないわけがない、それなのに知らんぷりを決め込んでさ。

 銀月様が旦那候補に名乗りをあげさえすれば、睡蓮は迷うことなくあの方を選び、皆が納得して、八方丸くおさまるってのに。

 本当に、なに考えてるんだろう。

 昔は、少しは可愛らしいところもあったのに、今ではすっかり、底の知れない謎めいた男になっちまって」


 最後は、嘆息まじり。


「銀月様は、自分は特別だという思いがおありだったのでしょう。

 睡蓮を他の男と競い合い奪い合うなど、到底考えられなかったのではないかしら」

 珍しく蓮姫リョンフィが、とりなすような発言を。


 銀月の『裏の顔』を知っている蓮姫なればこそ。

 何故、銀月が『裏の顔』を持ったのか、知っているからこそ。

 蓮姫は少しばかり、銀月の報われなさが気の毒になったのだった。

 それは、朝露ほどの同情に過ぎないけれど。


 中途半端な蓮姫の同情は、房子の怒りに油を注ぐ。

「それを思い上がりと言うんだよ。

 女の子は花なんだ。

 とくに睡蓮は、おそろしいくらい繊細にできてる。

 惚れた男の仕草ひとつ、言葉ひとつで天国へ昇りつめもすれば、地獄へ突き落とされもする。

 その鋭敏な感受性があるからこそ、見る者すべてを釘づけにするほどの舞を披露できるんだ。

 あやうい花だよ、睡蓮は。

 いくら愛していても、その男にめちゃくちゃに翻弄されて壊されるくらいなら、他の男にさらわれたほうが、まだましさ」


「でも……それじゃあ睡蓮の気持は……」

 睡蓮の親友・英愛ヨンエが、おずおずと口を挟む。

「睡蓮は女よ、英愛。これ以上ないくらい、骨の髄まで、女」

 蓮姫は、房子が言い淀んだ後を引き継ぐ。


 さらに、冷徹な口調で。

「あの娘は、肉の誘惑に弱いわ。肌に触れられたら、それを心地よく感じてしまったら、逆らえないの」

「そ、そんなこと……!」

「あなただって気づいているはずよ、英愛。睡蓮に触れる機会は、多いほうよね?」


 たしかに、英愛が睡蓮に直接触れる機会は、酒楼の誰よりも多い。

 親友だし、昔は睡蓮の付き人として甲斐甲斐しく世話をした。

 正直、自分以外の誰にも、触れさせたくはなかった。

 できるなら、いつまでも、独占していたかった。


「睡蓮は肉の誘惑には滅法弱いし、なお始末の悪いことに、自分が相手かまわず強烈に誘惑してる事実にも一切、思い至らない。

 まるで子供が真剣をふりまわしているようなものだわ、危険きわまりないのよ。

 ねえ英愛、あなたは睡蓮と二人きりでいて、無防備に身を委ねる彼女をまのあたりにして、おかしな気分になったことが一度もなくて?」

 蓮姫の問いに、英愛はカッと頬に朱をのぼらせる。


 思い当たるふしが、あるからこそ。

 たった今、睡蓮と夢龍が二人きりでいることに、焦燥を覚えているのだ。


 後生大事に宝珠を抱く、龍の如く。

 睡蓮を、自分ひとりの手のひらの中に、ずっと閉じ込めておきたいという強い欲求に駆られたことは、何度もある。

 そして、そんな思いにとらわれるのは、自分だけではないだろうとも、容易に想像がついた。


 誰もが、手中におさめていたいと願う。

 睡蓮とは、そういう存在。


 とはいえ英愛自身は女だし、同性という縛りは越え難く、恥じらいも慎みも、また手放し難かった。

 けれど夢龍は、男。

 抑えのきかない、より欲望に忠実な、異性。

 本当は誰がなんと言おうと、力ずくで阻止されようとも、今すぐ部屋を飛び出して、夢龍と睡蓮の間に立ちはだかりたくてたまらない。


 ……あなたもずいぶんと真っ直ぐな気性だこと、英愛。

 とりつくろうことも、できないのね。

 加虐性を慈母の微笑で覆いつつ、英愛の返答を待たずに、蓮姫は続ける。


「あれで心まで真性の淫乱だったら、救いようがないところよ。

 男には玩ばれ、女には嫌われ、孤立して」

「り、蓮姫姐さん、いくらなんでも、あんまりだわ、睡蓮は、そんなのじゃないわ!」


「そう、そんなのじゃないから、あたしたちはあの娘を守ってきた」

 蓮姫の後を引き継いだのは、房子。

「睡蓮の放つ色香をうまい具合に調節して、舞へと昇華させて。あたしなんかはそれを利用して、儲けさせてもらったクチだ。お互い様と言えばそれまでだが、あたしはあの娘に恩を感じてる。だからこそだよ、あの娘には、幸福になってもらいたいのさ。

 睡蓮の惚れた銀月様が睡蓮を幸福にしないなら、他の男にしてもらうまでさ。

 あたしははっきり言って相手が誰であろうと構わないんだ、睡蓮が幸福になってくれさえすれば」


 心が叶わないのなら、せめて、身体だけでも。

 房子は最後まで言い切らずに、深いため息をついた。

 重苦しい沈黙が、垂れ込める。


「……身体だけなら、わたしが悦ばせてあげても良いのだけど」

 蓮姫が、ぽつりと呟く。

 がたん、と大きな音を立てて、英愛が椅子から転げ落ちた。


「あら、大丈夫?」

 手をさしのばした蓮姫を見て、英愛は床を、後ずさる。

 しらけた蓮姫は肩をすくめ、手を引っ込めて、

「安心して、英愛。あなたに食指は動かないから」


 ……それはそれで、ちょっぴり不愉快なのは、何故かしら。

 英愛は顔をしかめて腰をさすりながら、椅子の位置を元に戻して、座り直した。


 そのとき、二人の護衛に挟まれて、睡蓮が戻ってきた。

 女将・房子はしかつめらしい顔を作り、睡蓮へ厳しい一言。

「次の方がお待ちだよ。早くそこへお座り」


「はい……申し訳ありませんでした」

 睡蓮はしおらしく頭を垂れ、席に着く。

「ねえ……大丈夫?」

 英愛が睡蓮に、小声で訊ねる。

 睡蓮は、うん、とうなずいて微笑んでみせた。


 その微笑を間近で眺め、英愛は虚空を仰ぐ。

 睡蓮ったら、絶望的に、嘘が下手なんだから。

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