第38話 空へ還る竜(下)
紅い巨体の影が、街の前に静かに伏していた。
ラグナは街の喧騒を背に、俺たちへと向き直る。
「癒やし手よ。
……ここより先は、我ひとりで帰る」
ミナが尻尾をぴたりと止めて言う。
「え……もう行っちゃうの……?」
リーネも名残惜しそうに爪を握る。
「もう少し休んでいけばいいにゃ……」
セレスも胸に手を置いて首を振った。
「ラグナさん。あなたも疲れているはずです……」
ラグナはゆるく、しかし誇り高く首を横に振った。
「我が傷は、もう癒えた。
オーリアの炎と……癒やし手の施術のおかげでな」
そう言った彼女の声は、どこか柔らかかった。
竜というより、友のように。
俺は一歩前へ出る。
「……ラグナ。
街の奴らも、最初は警戒してたけど……
今はもう大丈夫みたいだぞ?」
「我は古代竜。彼らの恐れは当然のこと。
……また恐れられなければならぬ」
ラグナの紅い瞳が、街のほうをちらりと見る。
「だが、案外……悪くないものだな。
このように、笑顔に包まれるというのも」
ミナが笑う。
「だってラグナ、いい奴だったもんね!」
リーネも頷く。
「ちょっと怖いけど……可愛いところもあるにゃ」
「……可愛い……?」
ラグナはわずかに眉間を動かし、俺を見る。
「癒やし手。
彼女の今の言葉は……侮辱ではないか?」
「いや、褒めてるぞ。
小さい姿の時なんて特に……」
ミナとリーネが思い出して微妙な顔になる。
「うっ……思い出したにゃ……」
「施術のときの……あの声……」
セレスは咳払いして頬を赤く染めた。
「わ、私は……見ないようにしてました……」
「人間の話は分からん……!」
ラグナが咳払いをするように翼を畳んだ瞬間――
俺の頭の中に、ふと何かが触れた。
(……ユージ)
声ではない。
脳に直接響く、澄んだ意識の波。
(これは……テレパシー?)
ラグナが俺だけを見つめていた。
『癒やし手よ。
そなたに、我が真名を伝える』
心臓が跳ねた。
竜が人に真名を明かす――
それは古代よりの契約であり、信頼の証であり、
一種の魂の共有ですらある。
『我が真なる名は――』
紅い光が視界の端で揺れる。
『――ラグナリア』
(ラグナリア……)
『そなたは、我を癒やした。
伴侶を救い、魂を導いた。
その恩を、我は忘れぬ』
ラグナリア――
その名は炎のように美しく、
どこか哀しみを帯びているようでもあった。
ミナが首をかしげる。
「ユ、ユージ……?
顔がちょっと……びっくりしてない……?」
「いや……ちょっとな」
真名の響きが胸に焼き付いて離れない。
ラグナは満足げに小さく頷き、空を仰いだ。
「では……空へ還る。
オーリアの眠る、あの頂へ」
紅い炎が、翼に灯る。
空気が震え、地が揺れる。
俺は思わず言った。
「ラグナ。
また来いよ。
……マッサージ、いつでもしてやるからさ」
「……ふん。
次は……もう少し加減して施術せよ」
ミナが呆れたように叫ぶ。
「ラグナ……気にしてたの!?」
リーネも手を口に当てる。
「可愛い……本当に可愛い竜だにゃ……!」
「言うなと言っておるだろう!!」
ラグナリアの紅い瞳が照れくさそうに光った。
そして――翼が空を裂く。
「癒やし手よ。
そなたと仲間たちに、竜の祝福を」
その言葉を最後に、
紅の竜は風を巻き上げ、
高く、高く飛び上がっていった。
空へ。
燃える雲の向こうへ。
ラグナリアは――
悠然と、誇り高く、そして少し可愛らしく、
空へ還っていった。
風がひとつ、俺の頬を撫でて抜ける。
「……行っちゃったにゃ」
「でも また来そう! 絶対!」
「ええ、そうですね……」
俺は深く息を吸って、言った。
「……さ、ギルド行くか。報告して、飯食って、寝る」
「うん、みんなで帰ろう!」
「ご飯にゃ ご飯にゃ」
「ゆっくり休めますね」
街の喧騒に足を踏み入れながら、胸の奥が静かに温まる。
迷宮の終わり。
竜との別れ。
そして日常の始まり。
俺たちは今日も歩きまた出すのであった。
〈第一部 完〉
◇◇◇
実験的に書き始めてみたこのお話ですけれど、
大冒険が終ったここで、第一部完とさせてください。
読みやすさを追求してみたこのお話ですけど、
まだ思い切りが足りない感じでした。
一度頭から、一話千文字程度にして
よりサクサク読めるように再構成した上で
新作として出してみようかなと。
では、また次のお話でお会いできることを!
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!




