かぼちゃ色の満月
この小説は短編「ハロウィンの夜、電波塔の二人」の後日譚です。本作だけでも独立した作品として読めますが、短編にはタカハシがカボチャ人形になった経緯が書かれていますので、よろしければそちらも合わせてご覧になって下さい。
三浦ハナは空を飛んでいた。
それは夢の中の出来事でも、良くないクスリの影響でも、深夜0時をまわる連日の残業によって溶け出した脳みそが見せる幻覚でもない。
巨大なかぼちゃの様な橙色の月が浮かぶ夜空を、彼女は海を泳ぐ一匹の魚のように横切っていく。
冬の息吹が耳元で聞こえる夜は、頬にあたる風は冷たく鋭い。マフラーを顔全体に巻きつけたハナは、自然に流れてきた鼻水に気付いて鼻を啜った。
「ただ、ひたすらに、眠い」
そう呟いた彼女の言葉と吐息は、一秒前の過去に置き去りにされる。季節外れのタンポポの綿毛のように、白い靄は虚空を漂うと、宵闇に霧散する。
「シャワー浴びてすぐに布団に入れば、3時間は寝れるかな‥‥」
砲弾の様にアパートへ向かう直線距離を飛び続ける。この方法であればバスを使った帰路の三分の一の時間で、アパートに帰ることが出来る。
まあそもそも、こんな真夜中にバスなど走っていないのだから、選択肢として存在しないーー自分が置かれた労働環境を思って、ハナは自重気味に唇の端を上げて笑った。
三浦ハナは、魔女である。
祖母が言うには由緒正しい西洋の魔女の血を引いているらしいが、100年以上の月日が流れた現代においては、河原に捨てられてページが張り付いた週刊誌のように、意味も価値もなく眉唾物の裏設定でしかない。
ただ家族の中で唯一、自分だけは多少ながらも魔女の血が色濃く発現したらしい。ハナは空を自由に飛び回ることもできるし、何かしらの非現実的な『奇跡』を起こす事も出来る。
その奇跡の搾りかすみたいなものが、彼女が胸にしっかりと抱えた鞄の取っ手にぶら下がっている。
『三浦さん、落とさないでくれよ? 風が強くてめちゃくちゃ揺れるんだけど』
「え? 何ですか? タカハシさん」
『スピード出し過ぎだって! 落ちるから!』
「あ、すみません」
ハナは自動車レベルのスピードを自転車レベルまで落とした。鞄の取っ手に括り付けられたカボチャ頭の『奇跡の搾りかす』は、安堵のため息を吐いた。
カボチャ頭の人形ーータカハシは、生前はハナの職場の先輩でもあり、唯一心を許せる存在であった。
おかっぱみたいなショートヘアーで中学生のように小柄な体型、性格も引っ込み思案だったハナは、職場でもどこか浮いた存在だった。
揶揄われたり、虐められたり、そんな直接的な加害行為を受けていたわけではない。ただ、他の華やかな同僚達と比較し化粧っ気のない地味なハナは、自分と同僚の趣味嗜好の相違を弁え、自ら距離を置いていた。
そんな彼女が唯一心を許せた相手が、職場でも昼行燈扱いでイケてない、しかしハナをいつも気にかけてくれる優しさを持ち合わせた先輩、タカハシだった。
しかし、タカハシは事故に遭い、命を落とす。
そんなタカハシを蘇らせるため、ハナは風化していた禁術を唱える。
その結果誕生したのが、タカハシの魂だけが結び付けられた、カボチャ頭の人形。
タカハシを完全な状態で蘇らせる事、それが当面のハナの目標でもあり、同時に引っ込み思案なハナが乗り越えるべき壁でもある。
でも、そんな人生の主軸とは別に、しがないサラリーマンのハナには様々な横槍が突き刺さってくる。今のハナにとっては未来の大業な目標よりも、連日の残業の末に完成させた資料で、明日の社内プレゼンを成功させる事の方が最優先事項と言えた。
そんなこんなで、魔女の血を引く女と、カボチャ頭の人形は、日々の喧騒に飲まれながらも、のんびりしっかりと歩みを進めていた。
☆
車通りの少ない国道沿いのコンビニの裏手に、ハナはゆっくりと着地した。
海沿いを走る道と垂直に交わりっているこの国道は、東側へ向かえば連なる山の間を抜けて隣県へと通じている。
海と山が交錯するこの街は、数キロ程度の直線移動で大きくその様相を変える。日本海を望む港町と、山並みを仰ぎ見る城下町、異なる2つの素材を繋ぐ接着剤のように、間を取り持ち開発が進んでいく中心街。夏は茹だるような熱気が蠢き、冬は豪雪が門戸を閉ざす。様々な顔を持つこの街に越してきてから、ハナは何度目かの冬を迎えようとしていた。
国道沿いのコンビニは、周辺に干からびた田園と、背後には寝静まった住宅街が並ぶ。昼間は山越え前の車の休憩地点として賑わっているが、深夜0時を過ぎたこの時間帯は、アルバイトの大学生が止めているであろう中古の軽自動車が駐車場の隅にポツンと停まっている。
ハナはいつものようにコンビニで微糖の缶コーヒーを買った。
アルバイトの青年は小柄で少女然とした年齢不詳の女性が、深夜0時にスーツ姿で微糖コーヒーを買っている事実にさして興味も示さず、「あざっさー」という、文脈を配慮しなければ意味が通じない謎の声を発し、気怠そうに彼女を見送った。
コンビニの照明に慣れた目に、街灯の少ない街外れの夜は、濃く、そして深かった。
ここからアパートまで徒歩数分。
この僅かな時間を、コーヒーを飲みながらゆっくり、大事に味わうのが、ハナのナイトルーティーンとなっていた。
数日前までは秋の虫の鳴き声が聴こえていたが、気付けば乾いた風に舞う枯葉の音への移り変わっていた。新たな発見は、疲れ果てたハナの心へと染み込み、自然な笑みを生み出す。
吐いた息は相変わらず白かったが、それは缶コーヒーの湯気と混じり合いながら、まるで誰かの唱えた淡い願いのように、ゆっくりと黒い空へと上っていった。
「タカハシさん」
『なに?』
「昨日のお風呂の時なんですけど」
『うん?』
「私の着替え、見てましたよね‥‥」
『は!? いや、その、見てたっていうか‥‥三浦さんが風呂場の方に俺の顔を向けたまま放置するから、不可抗力っていうか!』
「やっぱり、見てたんですね!」
『うっ、で、でも仕方なかったんだよ』
「目、瞑ることも出来ますよね?」
『それは、まあ』
「いいんですよ、別に」
『ごめん‥‥』
「ううん、本当にいいんです。だって私達、いちおう恋人同士じゃないですか」
『それはそうだけど』
「こういうのも、全然気にならない関係性にならないと、多分タカハシさんを生き返らせることはできないんでしょうね」
ハナの使う魔法には条件がある。
蘇生に失敗した理由について、彼女が語った言葉をタカハシは思い出していた。
『そういうもんなのかな。あんまり無理しないでいいぞ。ゆっくりでいい』
「はい」
頷くと、ハナは黙った。
パンプスの足音が、静かな住宅街に響く。
「ちょっと、想像してみました」
『何を?』
「元の姿のタカハシさんに着替えを見られているってシチュエーションを。すみません、5回くらい頬を引っ叩いてしまいました」
『ひえっ』
「でも、私頑張ります」
『無理すんなって』
アパートの白い外壁が見えてきた。こんな時間だから、明かりのついている窓は一つもない。
ハナは大きなあくびをすると、鞄にぶら下がったタカハシを軽く叩いた。
「やっぱりまだ、今夜は、見ないで欲しいです‥‥」
タカハシは頷いたつもりだったが、そのカボチャ頭は、階段を登るハナの歩調に合わせて揺れるだけだった。
☆
俺が魔法を見たのは、これで3回目だ。
夜通しのゲームに疲れた俺は、パジャマにしているジャージの上からコートを一枚羽織って、コンビニへと向かった。
静まり返った深夜の住宅街は普段とは違った匂いを放つ。下校時の夕暮れ時に漂う夕食の匂いや、お風呂の換気扇から流れてくるシャンプーの匂いもない。遠くに聳える黒色の塊から吹き下ろされた風は、無味無臭で静謐な空気を運んでくる。
そんな静かで厳かな雰囲気が漂う、頬に張り付くような冷たい空気の中で、俺は魔法を操る魔女の姿を見た。
魔女は上空から舞い降り、俺が向かおうとしていたコンビニの中へと消えた。
俺が魔法を見たのは、これで3度目だ。
先の2回の時と同様、脳天に氷柱が突き刺さるような強い衝撃を感じながら、俺は立ち尽くしている。
そしてそんな俺を、かぼちゃ色をした月が見下ろしていた。




