きっと気のせいじゃない
「青の賢者がお呼びです」
「…そう」
一葉はため息を吐いた。
「まだ俺には触れられなくないですか?」
「いいよ。私も話したかったし。いつもどおり、私の都合はお構いなしだね」
「では、私も一緒に」
「うわ!」
前触れもなく現れたのは、黒装束のアシュリーだった。
「びっくりしたあ…。どこから来たの?」
「ドアからです」
「いやいやいや…。そんなわけないでしょ。ドアは閉まってたよ」
一葉は驚きとも呆れともよくわからない感情が起こった。
「詳しくは言えません」
「おまえに用はない」
「イヴァン様から、一葉さまのそばから離れるなと命令されておりますので」
カインとアシュリーはにらみあった。
「ちょっと、喧嘩しないでよ。…別に、アシュリーが来たって問題ないでしょ?」
「…それは…」
「お邪魔はいたしません」
アシュリーはそう言って、一葉の肩に手を置く。カインはため息を吐いた。
「…わかりました。では、行きましょう」
カインは二人の肩に手を置くと、呪文を唱えて、移動した。
「…ここに来るの、久しぶりな気がする」
いつもどおり、暑くもなく寒くもない、不思議な空間。夜なのか昼なのかもわからない。神殿のような場所。
「…ここが、伝説の七賢者が住まわれる場所なのですね」
アシュリーが周りを見渡す。アシュリーも戸惑っているようだ。
「よくぞまいられた」
青の賢者が杖を持って姿を現す。緑の賢者であるカメと、白の賢者であるウサギもいた。
「…久しぶりだね」
「見慣れぬものもおるようじゃな」
青の賢者はアシュリーに視線を向ける。
「お初にお目にかかります。私は一葉さまをお守りするためにまいったものです。影のようなものですので、お気になさいませんよう…。青の賢者様」
「…何故こんなものを連れてきたのじゃ」
青の賢者はカインに目をやる。
「排除するのも手間がかかりそうだったので」
「…わかった。もうよい。…一葉、座るがよい」
「うん」
一葉はいつの間にか出てきた椅子に座る。テーブルもあり、ウサギとカメも椅子に座った。
青の賢者は、一葉の前で膝をつく。
「…お待ちしておりました」
「何、してるの?」
一葉は露骨に顔を歪めた。
「あなた様は超獣使いとして、ここに戻られました」
「やめてよ、何言ってんの?」
一葉は椅子から立ち上がる。
「それに、超獣使いは私じゃなくてカインでしょ」
「その超獣使いは、その役目をあなた様に託されました。ですから」
「本当にやめてよ。いつもの調子でしゃべってよ、気持ち悪い」
「…では、そのように」
青の賢者は立ち上がり、椅子に座った。
一葉はカインとアシュリーを振り返る。
「二人とも、座ったら?」
「そうですね」
「私は結構です」
「いいの?」
「ええ」
カインは椅子に座り、アシュリーは拒否した。そのまま一葉の傍らに立つ。
「…それで、ここへ呼んだのはなんで?」
「なんで、とはおかしなことを言う。おぬしのほうが儂らに聞きたいことがあるのではないか?」
いつもの調子でいう青の賢者に、一葉はほっとしつつ呆れながら聞き返す。
「…そうだね。いろいろ聞きたいことはあるよ。まずは、セシリアのこと」
「…レスタントの修道女か。あれは気の毒であったな」
「何があったか知ってるんだ?」
一葉は青の賢者をにらむ。
「儂らはこの世界のことを魔石が映し出す鏡を持っておる。それで、何が起こったかを知ることができるのだ」
「…そう」
一葉はふう、と息を吐いた。
「飲むがよい」
白の賢者がそう言うと、テーブルの上に紅茶の入ったカップがソーサーに乗って出てきた。
「ありがとう。…うさたんに会うのも久しぶりだね」
「そうじゃな」
ウサギは目を細めた。
「かめさんも、久しぶり」
「久しいのう。おぬしに会わぬ間、おぬしにはいろいろなことがあったな」
「…そうだね」
一葉は紅茶を飲んだ。砂糖もミルクもない、紅茶のみ。今はそれがよかった。
「セシリアは、なんで死んだの? ブラッドはシアンが殺したって言ってたけど」
「まだ早い、とあのお方はおっしゃっていた」
「まだ早い? …どういうこと?」
一葉は首をひねる。
「あのままオスカーとラスティがぶつかっても、たいした死者は出ない。もっと二人の対立を国中に広めなければ、超獣の腹は満たされないとおっしゃっていた」
----聞きたくない。
一葉にとって、胸くそ悪い話だった。青の賢者は淡々と告げる。
「だから、セシリアを殺したの…」
「そういうことじゃ」
思い出すのは、シアンのやさしい笑顔だ。
一葉に見せたのは、シアンの本の一部。何が本当だったのだろう。彼のことを、知った気になっていた自分が愚かで惨めだと思った。
「みちるをオスカーに殺させたのはなんで?」
これも、また聞きたくない事実なのだろうか。
一葉は苦いものが喉までせり上がってくる気がした。
「…近しいものの中から、徐々に殺していくと」
青の賢者は目を伏せる。
「順番は、一葉に近しくて、大事にしている者の中で、少しずつ距離のあるものから。そうするのことで、おぬしに衝撃を与え、あのお方に対する負の感情を育てて自分を殺させるため…」
「もう、いいよ」
次は誰にしようか、とシアンは言っていた。
カインが殺さなければ、シアンはきっと一葉に近しい誰かを殺していったのだろう。
フェリシアかもしれない。ロビンかもしれない。ブラッドかもしれない。ラスティかもしれない。クラークかもしれない。誰まで殺せば、一葉は自らの手でシアンを殺したのだろうか。
…わからない。
何年も生き続けて、シアンの中では感覚が麻痺してしまったのだろうか。
近しい人を殺される痛み。それがわからないわけがない。
それでも超獣はシアンを生かし続けた。
何のためだったんだろう。
「…シリウスは、どういう存在?」
「どう、とは?」
「ずっと封印されていたって。しかも前の超獣使いの候補に。…何のために?」
「ああ…」
青の賢者はため息を吐いた。
「あの狼は、もとは賢者になる候補じゃった。だが、あのお方がふさわしくないとおっしゃってな。それで、あの場所へ封印されたのじゃ」
「…だったら、解放してあげて、普通の狼にしてくれたって…」
「あのお方があとは放置せよとおっしゃったのじゃ。仕方ない」
「仕方ないで済ませること? シリウスはずっと苦しんでたのに」
一葉が青の賢者をにらみつけたが、彼は視線をそらして何も答えなかった。
「本当にシアンのいうことしか聞かないんだね」
「それが儂らの役目じゃからな」
一葉は奥歯を噛みしめた。
何百年も封印されるなんて、地獄みたいな日々だ。助けてくれる人がいたってよさそうなのに、誰も何もしなかったなんて。
いや…結果だけ見てそんなことを言うのは簡単だ。
一葉だって、シリウスは危険な存在に思えて、関わり合いを避けようとしたんだから。
「…ジャックは?」
「ジャック?」
青の賢者は首をひねる。
「…あの子、年をとらないって言ってた。あの子もシアンと同じ、超獣の呪いを受けたの?」
「ああ…あの子供か。あの子は、あのお方に選ばれたのじゃ」
「選ばれた…って、どういうこと?」
青の賢者は紅茶を飲んで、ふう、と息を吐いた。
「教会へ来たあの子供も、親を亡くしてな…。弟と二人でいたが、幼馴染と一緒にあのお方に拾われた。そして、親が生き返るなら自分の命を女神に捧げてもいい、と7歳の子供が言った戯言に興味を持ち、超獣に命じて不老の体にしたのじゃ。あの子供と生きていくのも悪くないとおっしゃってな。永いこと一人で生きてこられた方じゃから」
「…そんな」
一葉はめまいがした。
「だって…そんな理由で、年をとらない体にしたの? ひどいよ。みんなが年を取っていくのに、自分だけ大人になれないなんて…」
「あのお方があの子供を選ばれたのじゃ。儂らにはどうしようもない」
「そんな…ジャックはそれを知らなかったんでしょ? シアンが自分を置いていくことも、勝手に年をとらない体にされたことも…」
子供のままでは、大人の姿よりずっと短い期間しか、同じ場所にいられない。
「あのお方は自分でそれに気づくまで、彼らを駒として使うとおっしゃっていた」
どこまでシアンは自分勝手なのだろう。それがシアンの本性だとは思いたくない。
いや、そう思いたくないのも一葉の勝手なのかもしれない。
シアンはいつも笑顔だった。
その裏に残酷な本性を隠していたのか。
シアンのことは本当に何を知っていたのだろうと一葉は思う。彼のことを本当に嫌な人間だと思いたくない。思いたくなかった。
いや、知っていた部分は全部作り物だったのだろうか。
もう…わからない。
「…オスカーを利用したのも、戦争を起こすため?」
「オスカーを塔に閉じ込めるように仕向けたのもあのお方であり、オスカーを塔から出すよう尽力したのもあのお方じゃ。もっとも、オスカーは自分が塔に幽閉された原因を知らぬ。あのお方を恩人だと思っているのじゃからな」
「…オスカーはシアンを信頼しているの? 利用されているのに?」
「そうだ。あのお方にとっては、オスカーも駒の一つに過ぎぬ。おぬしと同じじゃ」
一葉は奥歯を噛みしめる。
「私も駒の一つ…」
そうなのだろう。シアンにとっては。
「…超獣は人の魂を食べる。じゃあ、食べないとどうなるの?」
「普段は戦争を起こさずとも、寿命や事故などで死ぬものの命を食らえばよい。だが、それだけでは足りぬのじゃ。空腹が押さえきれなくなると、超獣使いを召喚する」
「…それで、争いを呼ぶの?」
「そうじゃ。魂を食らわねば、超獣も生きてはいけぬ」
…悲しい。
一葉は不意にそう思った。
いや、そう思うことも一葉の身勝手なのか。
人間だって、命を殺してそれを食して生きながらえているのに。
それでも、超獣の生き方は悲しいと思った。
「…シアンがときどき、具合が悪くなったりしたのは、超獣が空腹だから?」
「そうじゃ。超獣使いと超獣はつながっておる。おぬしが人を殺さなければ、そのぶんの栄養は超獣使いから摂取するのじゃ」
----では、今、私の体調がおかしくなるのは、何故?
契約したのはカインなのに。
「そして、あのお方はもう亡くなられた。今は、おぬしが超獣使いじゃ」
青の賢者は立ち上がり、再び膝をつく。
「やめてよ、私じゃないよ。カインだよ。また…」
「どうか、儂らにご命令を」
「何言ってんの? 気持ち悪い」
「儂らを作り出したのは、超獣使い。これから儂らがどうすればいいのか、指針をお示しくだされ」
一葉は目を閉じて頭を下げる青の賢者をじっとみる。
そして、ため息を吐いた。
「…私には関係ない。自分で決めて」
「しかし、それでは」
「自分のことでしょ。私から言われたからじゃなくて、自分のことは自分で決めて」
「…それでよいのか?」
「いいよ。この世界をずっと見守るのも、人間になって普通に暮らしてもいいし、勝手にして」
青の賢者は顔をあげる。
「我らに命じれば、オスカーを殺すこともできるのじゃぞ」
一葉は顔を強張らせた。
「それだけではない。レスタントとコルディアの争いを終わらせることもできる。圧倒的な力を持って」
「…それは、違う」
一葉はかぶりを振る。
「だって、圧倒的な力を使ったら、ラスティはいつまでもその力に頼ることになる…」
そう言って、一葉は気づいた。
「そうか…。だから、ラスティはできるだけ超獣の力に頼りたくないって…」
今更ラスティの言葉の意味が分かるなんて。
一葉は大きく息を吐いた。
「できるだけ、人には死んでほしくない。でも…あんたたちの力を使うのも違う」
「では、どうするのじゃ?」
青の賢者は立ち上がり、一葉に問う。
「きっと『正しい』のは、あんたたちの力を借りることなんだろうね。…犠牲は出てほしくない。でもきっと、誰も死なないなんておとぎ話だ。今もクラークたちは戦って…」
どくん、と一葉の鼓動が激しくなった。
体が熱い。胸が痛い。苦しい。一葉は胸を押さえた。
「うっ…」
隣に座っていたカインも胸を押さえる。
「くっ…」
「どうされたんです?」
アシュリーが一葉を支える。
「痛い…胸が、痛いっ…!」
一葉はそのまま、アシュリーの胸に倒れこんだ。
カインの声で、おかあさん、と聞こえたのは、気のせいだっただろうか。




