(序)一類感染症
20XX年6月6日(木)
「いったい、いつまでここにいればいいのですか!」
秋山信之は部屋に入って来た二人の男に対して、怒りと焦りをあらわにして怒鳴った。
「母と息子の遺体も僕が確認した後、そのままどこかにやられ、いつ返されるともわからず葬式の準備すら出来ない。妻は行方不明。いったい何がどうなっているんです!?」
「奥さんについてはまだ我々もわかりませんが、その他については一昨日、ここにお連れした時に説明しましたが…」
「あの時は、気が動転していて何が起こったのかほとんど理解出来なかったんです!」
信之は、妻からの妙な電話を受け、急いで大阪からF県の自宅に戻ったのだが、そこで息子の訃報を知らされ、息子が搬送された病院に向かったのだ。ところがそこで、母親の珠江まで前日に異常死していることを知らされた。両遺体を確認させられたその後、何がなんだかわからないまま妻諸共別の病院に移送されたのである。
「ここは、県内の感染症対策センターです。新型インフルエンザ等の重大な感染症の為の施設です」
感染防止用の医療用防護服にマスクとゴーグルをつけた初老の男が言った。
「私は院長の高柳と申します。そして彼は…」と隣にいる同じ装備の大男を指していった。
「Q大のギルフォード教授です」
紹介された大男は軽く会釈をして言った。
「ギルフォードです。はじめまして、アキヤマさん。ワタシが説明しましょう」
ギルフォードはツカツカと信之に近づいて行った。信之はぎょっとして数歩後退った。
「ダイジョウブ、取って食いやしませんから。どうぞ椅子におかけください」
ギルフォードは笑いながら言った。もっともその最強の笑顔は、マスクとゴーグルで相手にはほとんどわからなかったようだが。圧倒された信之は、言われるままに傍にあったサイドデスクの椅子に座った。
「ストレートに言います。あなたの息子さんであるマサユキ君は、学校の帰りにホームレスの男を襲撃しました。不幸にもその男はそれが誘因で亡くなりましたが、司法解剖時に彼の真の死因は重篤な感染症だった可能性が高いことがわかりました。彼の仲間たちも同じ症状で死んでいました。そして、ソレはマサユキ君にも感染しました。そして、彼と何らかの接触を持ったタマエさんが先に発症し、ショック症状をおこして急死、さらにおととい、発症していたらしい息子さんが発作的に電車に飛び込んでしまった。以上のことから、あなた方ご夫婦も感染している確率が高いので、念のためしばらくここで様子を見ることになりました」
「そんな…、人権無視もいいところだ。だいたい、うちの雅之が人を傷つけるなんて信じられない。何の証拠があって…」
「家宅捜索をしたトコロ、マサユキ君の制服の上着に被害者の男性の血液の付着を確認したそうです」
「家宅捜索……、そこまで…」信之は絶句した。
「マサユキ君がどうしてそういうことをしたのかはわかりません。しかし、彼の遺した書置きにもそのことが記されていたそうです。それから、ご両親に対するお詫びも書いてあったそうです」
「雅之…」
信之は息子の名前をつぶやくと、しばらく押し黙った。涙を必死で抑えているようだった。ギルフォードにはその姿が痛々しかった。しばらくして、信之はようやく口を開いた。
「それで、その新型インフルエンザかなにかの伝染病の菌は見つかったのですか?」
信之の問いにこんどは高柳が答えた。
「原因の病原体はまだ見つかっていませんが、血液像からあなたのお母さんと息子さんのお二人が細菌ではなくなんらかのウイルス感染をしていたことはわかっています。ただし、警戒されている鳥インフルエンザ変異型ではありません。であれば、もっと患者数は増えているでしょう。いま、お二人の血液を送って病原体の正体を調べているところです」
「…どれくらいでわかるんですか」
「既存のウイルスでもマイナーだった場合、遅くて2週間、もしも未知のウイルスであれば、正直どれくらいかかるかはっきり言えません」
「わからない? では僕はそれまで…?」
「あいにく今の私たちにはそこまで拘束力はありません。しばらく様子を見て特に異常がなければお帰しいたします」
「確かに雅之は高熱を出し、僕が近所の病院に連れていきました。しかし、病院に行ってだいぶ良くなったと思っていたんです…」
「雅之君を連れて行った病院も、すでに調べて状況を伝えております」
「アキヤマさん」ギルフォードが言った。「僕はあなたより奥さんの方が、感染している確率が高いと思っています。しかし、彼女はここから姿を消しました。あなたが逃がしたのではないですよね」
「馬鹿な!」信之は怒りを押し殺すようにして言った。「あれは、雅之の死から半狂乱で鎮静剤が必要なくらいでした。僕は妻に就き切りで、母と息子を失った悲しみにくれる余裕すらありませんでした。そんな状態の妻を病院から出すなど僕がするはずないでしょう? いいですか、妻は今朝、1人だけこの部屋から呼び出され、それきり帰ってこなかったんです。だから、不安になった僕はあなた方責任者を呼んで、どういうことか聞こうと思ってたんです」
それを聞いて二人は顔を見合わせた。
「そう簡単にここから出られるのですか?」
「軍隊や警官が守っているわけではないから出ようと思えば可能だろう。だが、そう簡単にはいかないはずだが」
「セキュリティをもう一度見直す必要がありますね」
「ううむ…」
高柳が考え込んでいると、「教えてください」と信之が二人に尋ねた。
「雅之はともかく、母の遺体はひどいものだった。一体その伝染病は何なのですか?」
ギルフォードはチラと高柳の方を見てから答えた。
「お母さんの場合は、お気の毒ですが、死後に食害されてああいう状態になったのです。ですからあれがそのまま病気の症状ではありません。私たちは一類感染症の恐れがあるとして届出ました。一類感染症とは、天然痘とペスト、そしてラッサやエボラなどの特に危険な出血熱が指定されています。僕はお二人の解剖結果と病気の進行の早さや死亡率から、出自は不明であるものの、エボラやラッサ熱レヴェルの危険な出血熱の疑いがあると判断しました」
「出血熱…!? そんな…、信じられない…」
信之は言葉を失った。
【設定紹介】
感染症対策センター(略称 感対センター)
鳥インフルエンザ等、深刻な感染症に対応するために作られた。平時は普通の総合病院として機能しているため、正式名称を県立病院DMCとしている。
福岡に実在する感染症対策専門の病院は、子ども病院・感染症センターです。1類感染症対応の病室もあります。まあ、いろいろ問題もあるようですが。




