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朝焼色の悪魔-第1部-  作者: 黒木 燐
第4章 拡散
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5.少年たちとギルフォード

 由利子は案内された部屋でひとりぼうっと椅子に座って待っていた。予定では少年の顔を確認してすぐに会社に行けば充分始業時間に間に合うはずだったが、すでに完全に遅刻である。昨日の今日なので遅刻はしたくなかったのだが、仕方がないので届け出をしようと会社に電話した。すると、電話に出た総務部長が電車事故で遅れていると勘違いをしてくれたので、説明がめんどくさくなった由利子は理由をそれで通すことにした。たしかに、いつもだったら巻き込まれている時間なのだから。

 K署内は騒然としていた。情報が入るにつれ、事故にあったのが秋山雅之である可能性が高まった。昨日、由利子が黒岩の娘からゲットした情報も「秋山」で、苗字も一致する。やはり、あの少年とホームレス殺害事件とは関連があったのか。未だ半信半疑で考えを巡らせていると、葛西が写真を持って入ってきた。

「学校から送ってもらった秋山雅之の写真です。念のため確認してください」

 葛西は由利子の前に写真を置いて言った。修学旅行らしきスナップ写真で、楽しそうにピースをしている雅之が写っていた

「はい、この少年でした」

 少し声が震えた。傍で犯行を目撃していた少年が証言したのなら、今更自分に首実検させなくてもと思ったが、おそらく葛西の言ったとおり念のためなのだろう。

「それで、電車に轢かれたというのはやはりこの子だったのですか?」

 由利子は質問した。葛西は一瞬の沈黙の後に答えた。

「彼の母親が…確認したそうです」

 母親が、のところで声が少し裏返った。由利子も母親の気持ちを思うと胸が痛んだ。

「それで…」

 由利子が問うと、葛西は首を横に振った。秋山雅之は何故電車事故に遭ってしまったのか。事故なのか、ひょっとして罪の重さに耐えかねて自殺したのか。いずれにしても、馬鹿なことを…。由利子は雅之の写真を思い出しながら、持って行き場のない悲しさと怒りを覚えた。気がつくと左目から一筋の涙が流れている。しまったと思って急いで右手で涙をぬぐった。こんなことは滅多にない。気がつくと目の前にハンカチが差し伸べられていた。葛西である。

「あ、大丈夫です」

 由利子は照れ笑いをしながら言うと自前のハンカチで涙をぬぐったが、よく見ると葛西の目も潤んでいる。

「僕、人が泣くとダメなんです」と、葛西も照れ笑いをしながら言った。「実は、刑事になったばかりでして。甘いって、よく怒られるんですよ」

 そういうとまた笑った。人好きのする笑顔だった。良い意味で警官らしくない人だな、と由利子は思った。背が高いほかは、由利子の想像通りの人だった。

「すみません、調書を作らねばなりませんので、もう少し具体的に説明していただけないでしょうか」

 と葛西はノートパソコンを開きながら言った。

(まだ帰れんとですかぁ?)由利子はげんなりとした。とはいえ、拒否する程のものではないので由利子は金曜日のいきさつを簡単に話した。

「あと、住所と電話番号をお願い出来ますか?」

「それは、日曜に電話した時に言いましたし、電話はお教えした携帯電話の番号を書いてください」由利子は少しばかり苛ついて言った。

「で、それは悪用されたりネットで漏洩したりしないんですよね」

「もちろんです」

「以前、どっかの県警だか府警だかが個人情報を漏らしてますけど、大丈夫ですよね!」

「はい…、大丈夫だと思います」

「思います、では困るんですが」

「あ、はい、大丈夫です」

 由利子が問い詰めるので葛西はだんだん押され気味になった。これではどちらが刑事かわからない。ついでに由利子は気になっていたことを聞いてみた。

「あの、この事件はどうなるんですか?」

「おそらくですが、加害者が未成年の上に、亡くなってしまいましたから、書類送検後に起訴されても取り下げになるのではないかと思います。被害者に身内はいないようですので、民事で争うこともないと…」

「そうですか…」

 由利子は彼の両親のことを考えると安堵のような、それでいて、理不尽に殺されたホームレスに対しての憐憫のような、訳のわからない感情に襲われた。

「あ、篠原さん、念のため僕の名刺渡しておきますね」と、葛西は由利子に名刺を差し出した。由利子も会社の名刺を交換しようと定期入れから出したが、ふとリストラのことを思い出して一瞬ブルーになった。


 葛西は玄関先まで由利子を送ってくれた。迎える人がいるからついでだと言う。

「せっかくご協力いただいたのに、ショッキングなことになってしまって申し訳ありません。お気をつけてご出勤なさってください」

 と、葛西は丁寧に言った。

「ありがとうございます。お仕事がんばってくださいね」

そう言うと、由利子は軽く会釈して葛西に背を向けた。ところが2・3歩歩いた辺りでまた後ろから声がした。

「あの…、篠原さん」

振り返ると葛西がもじもじして立っている。

「すみません、何でもありません」

葛西がそう言ったので由利子は「? そうですか? じゃ」と言ってまた背を向けようとするとまた声がする。

「あの、またお会いできたらいいですね」

 冗談ではない。由利子は思った。こんなことは二度とごめんだ。

「出来るだけ警察とは関わりたくないものですが」

「そ・そうですよね。あの、でも、もし今日の件とかで何か困ったことがあったら電話して下さい」

「ええ、そうでないことを願ってますが」

 由利子がそう言うと、葛西は何故かしょんぼりしてしまった。その葛西の様子に由利子はとうとう吹き出してしまった。

「そうですね。ご縁がありましたら、また」

 そういうと、今度は笑顔で会釈し、由利子は再び歩き出した。葛西は会釈に敬礼で返し、そのまま直立不動で見送っていた。

 由利子が門の近くまで歩いた時、激しい爆音と共に大型のバイクがK署内に入ってきた。由利子にはハーレー・ダヴィッドソンだというくらいしかわからないが、白バイ顔負けの大型バイクだ。排気音を轟かせながらバイクは駐車場に止まり、乗っている大柄な男性がフルフェイスのヘルメットを取ると、ワイルドな白人の顔が現れた。ギルフォードだった。大学にいる時とはイメージが全然違う。もちろん由利子はこのガイジンが、自分がアクセス拒否を食らわせた、あの変なブログ読者であることは知らないが、あまりにも場所にそぐわない男の出現に驚いてあっけに取られて見ていた。ギルフォードのほうも、その女性が自分のお気に入りブログの管理人とは知らないまま、彼女のそばを駆け抜けながら軽くウィンクをした。さすがにドキッとして、ついつい由利子はそのまま彼を目で追った。

 彼はものすごい速度で玄関まで走った。葛西が彼を迎えるため近づいた。彼は葛西に何か聞くといきなり抱きしめた。意外なことの連続に由利子の目も点になったが、遠くからでも大男の背越しにじたばたする手が確認出来、葛西がとんでもなくあせっていることを物語っていた。その後彼は葛西と二言三言話すと、そのまま葛西の肩に手を置き、嬉しそうに建物内に消えていった。

「変な外人ねえ」

 由利子は肩をすくめてから歩き出し、K署を後にした。

 


 葛西は、由利子を見送りながら、来客を待っていた。すると、署内に大型バイクが入ってきて爆音をと轟かせながら署内の駐車場に止まった。バイクの男はヘルメットを取って小脇に抱えた。肩より少し長い金髪がバサリと広がった。男は由利子の傍を走り抜けると署の玄関に猛スピードで走ってくる。

(ひょっとして、あのヘヴィメタが来客かなあ? 確かに外国人とは聞いていたけど…)

 葛西は少し首を傾げたが、とりあえず彼を迎えに出ていった。男は葛西を見るなり親しげに笑いかけながら言った。

「Hi! Mr. Junpei Kasai?」

「Yes, I am. Welco...」

 葛西が言いかけると、いきなり大男は日本語でしゃべり始めた。

「アレクサンダー・ギルフォードです。お会いできてウレシイです、カサイさん」

 そういうと、いきなり葛西を抱きしめた。「うわぁっ!」っと、訳がわからずじたばたする葛西。

「何するんですか!?」

 葛西はギルフォードの腕からようようすり抜けて言った。すると、ギルフォードはにっこり笑って答えた。

「ロシア式挨拶ですが」

「イギリスの方とお伺いしていますが…」

 葛西は引きつりながらも笑顔で言った。

「まあ、細かいことは置いといて…」というと、ギルフォードは急に真顔になって言った。「早速ですが、例の男の死に際に近くにいたと言う少年達に会わせてクダサイ。その時の状況を聞きたいのです」

 そういうと、葛西の肩をがしっとつかみ、せかすように署内に入っていった。

「カツヤマ先生のところに行く途中に連絡が入ったんです。近くまで来てましたから、ドクターの代わりに僕が寄ることになりました。警察は嫌いなんですケド」

 ギルフォードは聞いてもないのに説明を始めた。

「でも来て良かったです。カサイさんとは仲良くなれそうな気がします」と、ポンポンと葛西の肩を叩いて言った。

「そうですか、それはよかったです」

 あまりの馴れ馴れしさに葛西は引きつりながら言った。イギリス人ってこんなに人懐こかったっけ?と葛西が疑問に思ったところで、祐一が待機している取調室の前に着いた。ギルフォードを出迎えに出て来た鈴木係長を見ると、ギルフォードは急に険しい顔をして言った。

「どうして、あの男と接触をしていた少年がいるコトを言ってくれなかったのですか?」

 鈴木はヤクザの脅しにもひるむことなく飄々と対応出来る程肝の据わった男なのだが、今回はガタイの大きいギルフォードの迫力に若干押され気味で答えた。

「昨日の段階では、まだ、はっきりとしたことがわかっていなかったのです。今朝、もうひとりの少年が電話をしてきて、始めて秋山雅之の存在がわかったのです」

「それでも、ひとりは出頭して来てたのでしょう? 少なくともインデックス・ケースかも知れない男と出会った少年の情報はあったハズです。あなた方はそれを教える義務がありました」

「インデックス・ケース?」

 鈴木は首をかしげて葛西を見た。葛西は小声で鈴木に言った。

「指針症例。感染症に罹った最初の患者のことですが、この事件と何かの感染症が関連しているのですか?」

 ギルフォードは葛西の方を見て「ほう!」と感心した様子だった。

「後で詳しいことを話そう」鈴木はそう葛西に言うと、ギルフォードに向かって言った。

「あの時は私の判断で、そのことを伏せたのです。出頭してきたのはまだ14歳の中学生でした。しかも、誰かを庇っているのではないかという様子が伺われ、慎重に対応していました。未成年者の扱いは慎重にせねばならないし、学校に未確定情報を知らせてパニックを招くことは避けねばなりません」

「だけどその結果、容疑者が…?」

「…事故で亡くなりました」鈴木が苦い顔をして答える。

「それも、電車事故でです!」ギルフォードはその後小さく「Shit!」と言って続けた。「もし、彼が感染していて、事故の際、彼の血液がエアロゾル化して撒き散らされていたら、どうなると思います!?」

 鈴木は心の中で、何故政府からテロ対策の顧問として直々呼ばれたはずの彼が、地方に飛ばされている訳がなんとなくわかったような気がするな、と思った。しかし、今ここで問答をしても時間の無駄だ。

「それについては後でゆっくりと。それより我々は出来るだけ早く西原祐一を解放してやりたいと思っています。尋ねることがあるのなら、早くお願いします」

 そういうと、鈴木はギルフォードを部屋に通した。その際小声で彼に念を押した。

「彼らは友人の死にショックを受けています。今はだいぶ落ち着いていますが、あまり無理をさせないでください。お願いします」

 ギルフォードは「そう努めます」と一言だけ言うと中に入っていった。その後に葛西が続く。彼らが部屋に入ったところで、鈴木の傍に黙って立っていた多美山が言った。

「係長! よかとですか? あげなとに勝手にさせとって」

「彼は司法解剖をお願いしている勝山先生の代理だ。特にこの事件は彼らの方が専門かもしれないんだ。餅は餅屋に任せよう。それに…」

 と言いかけて、鈴木は言葉を濁した。

「それに、何ですか?」

 多美山はすかさず尋ねた。鈴木は多美山より地位は上だが、年齢は多美山の方がかなり上である。警官としての経験は多美山の方がベテランで、鈴木も一目置いていた。

「上の方から彼に協力しろという達しが来ているんだ」

「ということは…」

「公安の方も動き出しているらしい」

「公安が? どうも胡散臭かですね」多美山は言った。


 ギルフォードと葛西が部屋に入ると、西原祐一と佐々木良夫が静かに座っていた。良夫は下を向いて泣いていた。先ほど署に着いて雅之の死を知らされたばかりだった。横には女性警官が座って慰めている。彼女は二人が入ってくると、席を立って迎えた。背はあまり高くなく、眼鏡をかけたすこしぽっちゃり型の若い婦警で髪型はボブというよりオカッパという感じだ。お人形のような可愛い顔をしている。

「少年課の堤みどりです。Mr.ギルフォード、お会いできて光栄です」

 そういうと彼女は右手を差し出した。

「こちらこそ、お会いできてウレシイです、ミドリさん」

ギルフォードはそういうと、にっこり笑って彼女の右手をとり握手をした。

(あれ、堤さんにはロシア式挨拶はないのか)

 葛西は少し不思議に思ったが、まあ署内だからだな、と勝手に納得した。

「ところでギルフォードさん、あの子たちにご質問なさりたいということですが、彼らはかなり精神的にダメージを受けています。慎重にお願いします。もし、彼らに負担がかかっていると判断した場合、即刻中止させてもらいます」

 堤は可愛い顔とは裏腹に厳しい口調で強面の大男に釘を刺した。ギルフォードは少し口を尖らせて「わかっていますよ」と言ったが、少年達の方を向くと表情を和らげた。

 部屋に入って来たギルフォードを見て、少年たちは一瞬固まってしまった。こんなところで予想も出来ないヘヴィメタロッカーのような外国人の大男が近づいてきたからだ。

「こんにちは。僕はアレクサンダー・ギルフォード。K大のカツヤマ先生の代理で来ました。君たちに少し質問したいのだケド、いいですか?」

 少年達は、目の前のガイジンの完璧な日本語に一瞬あっけにとられていたが、すぐにうなづいた。「ありがとう」と言いながら、ギルフォードは彼らの前に座った。葛西もその隣に座る。

「えっと君たち、名前は…」

 ギルフォードが言いかけると、祐一はいきなり立ち上がった。

「失礼しました。僕は西原祐一といいます。始めまして。それから彼は、友人の佐々木良夫です」

 良夫は祐一に紹介されるとぴょこんと立ち上がって礼をした。

「ユウイチ君にヨシオ君ですね。僕のことはエンリョなくアレクと呼んでください。早速ですが、嫌なことをお聞きしなければなりません。あの時のことを思い出すのはまだ生々しくて辛いと思いますが、ご協力お願い出来ますか?」

 ギルフォードの問いに数秒間沈黙が流れたが、すぐに祐一が口を開いた。

「わかりました、ギルフォードさん。僕がお話します」

 ギルフォードは彼が『アレク』と呼んでくれなかったことに若干落胆したらしく、軽くため息をついて言った。

「お聞きしたいのは、彼の死に際の様子ですが…」

 それを聞いて祐一と良夫は顔を見合わせた。二人とも顔色が青ざめている。それを見て堤が何か言おうとしたが、葛西が静止した。

「嫌なシーンなのはわかります。しかし、君たちの友人の死にも繋がる大事なことなのです」

 祐一はそれを聞いて言った。

「実は僕もそれがずっと引っかかってました。あの人の様子は確かにすごく変でした。お話しますから、ヨシオを別室に連れて行ってください。思い出させたくないので」

「大丈夫だよ、西原君。ギルフォードさん、僕はここにいます。もう逃げません」

 良夫の言葉にギルフォードはにっこり笑って言った。

「ヨシオ君、いい決心です。エライと思います。では、ユウイチ君、話してください」

 ギルフォードに促され祐一は話はじめた。公園で男が助けを求めてきたこと、それを雅之が蹴り上げたこと、それを止めようとした自分は一瞬の油断から雅之に振り切られ、倒れたところをヨシオがしがみついてきたため彼らに近づけなかったこと。男の言葉が急に劣化してきたこと。その後彼がいきなり雅之に襲い掛かったこと。男が黒い吐物を吐いたこと。男はその後に倒れ痙攣して死んでしまったこと…。時に辛そうに、時に声を詰まらせながらも、彼なりに一所懸命に説明した。ギルフォードは真剣にそれを聞いていた。聞きながら時折メモをしていたが、話を聞くにつれ、表情は深刻になっていった。

「あ、そういえば、思い出しました。彼はさかんに『赤い』と言ってました。雅之は街灯のせいだと言いましたし僕もそう思ってましたが…」

「あかい? Red?」

「そうです、色の赤です。でも、街灯の光はオレンジ色だったし、彼等はいつもそこに住んでいるはずだから、敢えてそんなこと言うはずがないんです。だから、後で考えたら彼には何かが赤く見えたのだろうと…」

 その時良夫が言った。

「僕、あの人が言ったの覚えています。『赤い、みんな赤い、ちくしょう、おれまで』。この声が僕には忘れられません…」

 ギルフォードは腕組みをしながら言った。

「『おれまで』ということは、他の犠牲者も同じ状態だったということですか」

ギルフォードは続けた。

「そして『みんな赤い』ということは、何かではなく全てが赤く見えたということでしょうか」

彼はそう言った後、腕組みをしたまましばらく考えた。

("彼の脳はかなりダメージを受けていた.視神経の方になにか障害が現れていたのか?")

 少年たちは不安そうにその様子を見ている。ギルフォードはそれに気がついて言った。

「ああ、黙り込んでしまってゴメンナサイ。それで、男に一番近くにいたのがマサユキ君で、君たちは少し離れて見ていたのですね」

「はい、そうです。正直言って恐ろしくて身動きも出来なかったです」

 祐一は答えたがその時の恐怖を思い出してしまったらしい。緊張した顔がさらに青白くなっていた。良夫も泣きそうな顔で下を向き、膝のあたりで両手の指をぎゅっと組んでいた。ギルフォードはさらに質問を続けた。

「最後の質問です。ガンバッて。これが一番大事なコトです。男が黒い吐物を吐いたとき、マサユキ君はそれに触れたりしましたか?」

 祐一はドキッとした。これは自分が一番引っかかっていたことだったからだ。

「雅之はおじさんから反撃を受けた時、手に引っかき傷を負いました。そこに吐いたものがかかったといって、それを落とそうと盛んに手を振っていました。制服のシャツも汚れていました」

 傷口に直接吐物が触れた?! ギルフォードは背筋が寒くなるのを感じた。

「君たちはその手に触りましたか?」

「いいえ、気持ち悪くてとても…。ただ、雅之が怪我をした手にハンカチを巻いた時、端を結んでやりました」

 と、祐一は素直に答えた。

「君たちの体調は悪くないですか?」

「僕は全然なんともないです」祐一は答えた。良夫も続けて言った。

「僕は寝込みました…。あの、体調が悪いとなにか?」

「39度から40度の高熱が出たりしましたか?」ギルフォードは質問に答えず、続けて聞いた。良夫は仕方なく答えた。

「僕はちょっとしたことですぐに熱をだすから…。でもそんなに高熱ではなかったし、熱はすぐ引きました。それよりただ怖くて、学校に行きたくなかったんです」

「そういえば佐々木君」葛西が横から言った。「秋山雅之君も寝込んでいたって言ってなかったかい」

 ギルフォードはいきなり立ち上がった。

「寝込んでいた! 本当ですか!?」

「あ、はい。僕も休んでいたからよくわからないのですが、僕にプリントとか持ってきてくれた友人がそう言ってました。僕と違って秋山君が休むのは珍しいって」

「雅之が朝送ってきたメールにも寝込んでいたと書いてありました」と、祐一も告げる。

「熱は? 高熱は出ていたのでしょうか?」

「そこまでは書いてませんでしたが、あいつが学校を休むくらいだから熱も高かったんじゃ…。今考えると、土曜日に一緒に帰った時も気分が良くなさそうでした。食欲もなかったし…。でも、前の夜の事件があったせいだと思っていました」

 秋山雅之はすでに発症していた!? ギルフォードは立ったまましばし呆然としていた。気がつくと心配そうな顔でみんなが見ている。ギルフォードは座り直した。

「あの、もう一つあの人が言ったことを思い出したんですけど…」

 と良夫が言った。

「思い出したことは何でも言ってください。彼の死に目に会った人間はあなたたちだけなのですから」

「最初に、あの人の仲間のひとりが熱を出して、熱に浮かされて暴れたのでみんなで止めたそうです。でも、その人は振り切ってどこかへ行ってしまい、そのまま行方不明になった。その後にみんなが高熱でバタバタと倒れた…。言葉がはっきりしてなかったんですが、たしかそんなことを言ってました」

 ギルフォードは再び勢いよく立ち上がった。

("最初死んだホームレスと今の話の男が同一人物なら、秋山雅之までが一本の線で繋がる!!")

 糸口を見つけたギルフォードは、そのまま少年たちに近寄り、二人の肩に優しく手を置いて言った。

「ありがとう、二人とも。よくがんばって話してくれましたね。おかげで重要なことがわかりました」

 少年達は、再び戸惑った顔をしたが、ギルフォードは二人の手を取ると彼らと同じ目の高さになるようにかがんでから言った。

「君たちのとった行動は、正しくなかったかもしれない。でも、結果的に現実から逃げないで真っ向から向き合いました。君たちは強い子です。これからいろいろあるでしょうけど、何があっても君たちなら乗越えていけるでしょう」

 ギルフォードの言葉に少年達はうなずいた。

「それから、ユウイチ君」ギルフォードは祐一の方を見て言った。「ひょっとしたら、ヨシオ君がしがみついて止めていてくれたおかげで、危険から逃れたのかもしれません」

 祐一はギルフォードの方を見、その後、良夫の方を見て言った。

「はい」

 彼らにはもうギルフォードが何を心配し調べているかがわかっていた。それは、あの日以来、自分らが否定しながらも何度も沸きあがってくる不安と同じだった。

「それから、杞憂だとは思いますが、もしこれから2週間…いえ、ひと月以内に高熱が出た場合、すぐに保健所に連絡してください。直接病院には行かないようにして。約束してくださいね。出来たら私にも連絡してください。あと、君たちが見た男と同じ症状の人を見た場合にも、私に知らせてください。名刺を渡しておきます」

「はい、わかりました」

 と、少年たちは、おのおの名刺を手にとってうなづきながら言った。二人とも、多分名刺をもらうのは生まれて初めてだろう。その上外国人からの名刺である。彼らは珍しそうに見入っていた。堤がやっと口を開いた。

「終わりましたか?」

「はい。最後まで中止をしないで下さってありがとう。貴重な情報が得られました。これから急いでカツヤマ先生のところに報告に行きます」

 堤はお別れの握手をしようと立ち上がって言った。

「質問は想像以上にストレートでしたが、それ以上に真摯な応対でしたので、口を挟む余地はありませんでした。後のケアは私たちに任せてください」

「よろしくお願いします、ミドリさん、いろいろありがとう」

 そういうとギルフォードは握手の後堤の両頬に軽くキスをすると、堤の後で握手をしようと立ち上がった葛西に向かい、

「カサイさん、またお会いしましょう」

 というと、いきなりまたぎゅっと抱きしめた。葛西はまた驚いて「うわぁっ!」と言った。

「それでは、みなさんありがとうございました。僕はこれにて失礼いたします」

 ギルフォードはそう言いながら西洋式のおじぎをして、取調室を去って行った。

「何で僕だけいつもロシア式の挨拶なんだ!?」

 葛西は、訳がわからずぶつぶつ言っている。少年たちはとんでもないものを見て、またまたあっけに取られていたが、堤は机に突っ伏して「くくく」と笑っている。

「何、笑ってんですか、堤さん」

葛西が仏頂面をして言った。

「おっ、おかしい。笑っちゃいかんと思うけど可笑しい。葛西君の顔ったらもう。鳩が豆鉄砲食らったような顔ってこのことをいうんやね。それに死に目とか杞憂とか、くっくっくっ、これにて失礼いたしますとか、くふふふ、ホントは日本人っちゃないと?金髪のヅラかぶった阿部ちゃんとか」

「全っ然、似てねえよ!」

 葛西は堤があまりにも笑うので、むっとしながら言ったが、気を取り直すと少年達と話すために椅子に座った。

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