6.
そこでは、さまざまな物・・・・丸太やら、板切れやら、葉っぱなどを、棒や手のひらでたたいて、リズムを作っていた。
それに合わせて、河童が跳ね、踊っている。ヌシも浮かれており、踊りに加わりたいようだ。
貴美はともすると、踊りの輪に入って行こうとするヌシの手をしっかりと握って、力いっぱい引っ張った。
「ナ、踊ろうよ」
ヌシはがまんしきれなくなって、貴美を引っ張った。
「ダメよ」
「どうして? さっき、踊っていたラ・・・・。それに、そのカシャカシャを鳴らしてくリヨ」
「だめ。これは計算する物で、音を出すための物じゃあないの」
「ああ、ソリ、すっごくフシギなんだナ。ああ・・・・ケイサンとかナ。ワシ、早くそれを見てみたいナ」
貴美はなんとか、いま来た方にもどろうとしたが、踊りの輪がどんどん広がってきいて、二人は踊りの中に取り込まれてしまった。
ヌシが「キキキキ」というような、奇妙な声を上げて笑ったので、ぎょっとして、貴美はヌシを見上げた。
そして、なんだか、他の河童に大きな声で言っていた。それは「さあ、踊ろう踊ろう」ということだろう。言葉は違うのだが、貴美にははっきりと意味がわかった。
ヌシは、貴美の手をつかんだまま、とうとう踊り出した。ヌシが無理矢理手を持ってはねるので、貴美のソロバンがカシャカシャ音を立て始めた。
河童たちのたたいている単調な音に比べて、ソロバンは、いくつかの音が合わさった、きめの細かい音を立てる。
それは、カシャシャシャ・・・・と、軽く、心地よく、やわらかな旋律となって、その場にしっくりととけ込んでいった。
自然、河童たちは、その音に注意を向けるようになった。
一人、二人と、はねるのをやめて、その音の主を捜そうと、耳をすます。
貴美はその気配に気づき、危ないと思った。なんとか。ヌシを止めなければ。ところが、ヌシはすっかり、踊りに没頭してしまって、はねるのを止めない。
大声も出せない。貴美は、あせった。
今まで、あんなに熱狂的になっていたのに・・・・、音を出す河童も耳をすまし、たたく手を止め、音を捜す。ソロバンの音が大きくなり・・・・、その音のありかを探る目が、ヌシと貴美に注がれていた。
さすがのヌシもみんなの視線に気がついた。でも、もうその時には、二人はすっかりみんなに囲まれてしまっていた。
貴美はますます恐ろしくなり、きつく風呂敷包を抱きしめ、ふところに、押し込んだ。帯に刺さったススキはボロボロ、帯もゆるんできていて、どろ人形のようになっていた。
だれとはなしに、貴美の方に手を差しだし、ソロバンを求めて、なにやら甲高い声を立て始めた。
貴美は激しく首を横に振った。
ヌシも必死になってみんなに訴えた。たぶん「何でもない、何でもない」と、わめいていたのだ。
無数の手が、貴美のふところめがけて伸びてきて、「ちょっと、見せろや」というようなことをわめき、貴美は、ちぢこまった。
思いがけず強い力で、ヌシが貴美をうしろからかばい、ぐいぐいと、輪の外へ、外へと逃げだした。
だが、こちらはたった二人。まわりには無数の河童だ。とても力で勝てるわけはない。
着物は引っ張られ、たもとは切れ、貴美の顔にも、腕にもひどい引っかき傷がつけられた。それでも、もう、がむしゃらに、二人は河童の群れを押し、進んだ。
と、一つのすばしこい手が、さっと貴美の手のすきまから風呂敷包みを奪いとった。
それは、河童の手から手へ、チャ、チャ、チャ、と、軽やかな音を立てて、はずみ、貴美の手の届かない方へ遠のいて行った。
「だめー! それは、あたしのソロバンよ! かえして! かえして!」
貴美は、とうとう大きな声で叫んでしまった。
まわりを取り囲んでいた河童たちが、ぎょっとして、お互いに顔を見合わせた。
「人間だ!」
あたりはしーんとなった。その隙に、貴美はもうがむしゃらに、風呂敷包みに突進していた。
と、その時、年老いた河童が、棒を振り回して、皆の間に入ってきた。
「やめろ! やめろ!」
それは、偉い河童でもあるようだ。みんなは、さーっと道をあけ、おじいさんの河童はゆうゆうと歩いてみんなの中心に立った。
「やめろ! こいつをケガさせたら、たいへんだ。こんな、若い娘・・・・。きっともう、人間達は捜し始めておるぞ!」
それは、人間の年寄りの声、しゃべり方と同じだった。低くおなかの底に共鳴する。
あたりは、しいんと静まり、みんなが老河童の声に耳を傾けていた。
「祭りはやめだ! ワシらが娘をさらってきたんでない、と言ったって、人間は、だれも信じてはくれん。見つかったらただ、殺されるだけだぞ!」
河童たちはこわい物を見るように、貴美を見つめた。その目の光には鋭く、冷たく、刺さるような痛さがあった。
「オメたちの、親、じいさん、ばあさんが殺されたことがあろう! 河童は悪もんにされるゾ」
ソロバンの包みが、静かに・・・・、チャ、チャ、チャ、と、貴美の手に返ってきた。それは、なんだか悲しいメロディーになっていた。
「ヌシ、オメがいけないんだ。オメが連れてけ!」
有無を言わさぬ、老河童の口調に、みんながみんなしんとなり、悲しそうに貴美を見つめた。
貴美は心が痛かった。あんなに楽しそうに、わき、踊っていたというのに、その祭を、自分はだいなしにしてしまった。
なんだか、こんなに悲しいことがあるのかと思えるほど、悲しかった。
こどもの河童は、遠まきに竹などで、貴美のほうを突っついてくる。だが、貴美が顔を向けると、恐ろしいものを見たように、さっと、隠れてしまう。
「早く帰れ、人間が捜しにきたら、つかまるド」
老河童の太く重い声は、河童たちの一人一人に届き・・・・、みなはがっかりとして、ぱらぱらと、どこかに帰り始めた。
貴美の目からは、大つぶの涙がこぼれてしかたがなかった。その涙で目がかすみ、頭は割れるように痛くなり、足も、手も、ひりひりと火が出るように痛かった。
ゲタのはなおは、指の間に食い込み、ささくれた板で、足の裏も傷だらけだった。
貴美が足をひきずると、ヌシと老河童が両側から、支えるように、貴美を歩かせた。
「ヤ、こいつ、すげえ、あついド。うひゃー、火の玉みたいダラ」
ヌシは、すっとんきょうな声をあげた。
貴美の身体にはもう力が入らず、おなかの下の方もキリキリと痛くなり始めていた。意識はもうろうとして、消えかけそうだった。
「オメ、背負え。背負って歩け」
老河童が言うと、
「でもー。あついド、オラ、かわいちゃう。かわくと、河童は死んド」
「なにを言ってるんだ。早くしないと、捜しに来る。できるだけ、ここから遠くに連れていくんだ」
ヌシのひんやりと冷たい甲らの感触を貴美は覚えている。それは、貴美の火照った身体を、しっとりと、やさしく、支えていた。
貴美の息は苦しくなり、夢の中をさまようように、ぼんやりとした意識が、とぎれとぎれに、細く、細く・・・・、つながって・・・・、また切れた。
貴美は、どさっと、土の上に下ろされた。「なにを、やってる、早く逃げるんだ!」
老河童の声。
「でも、オリ、ソロバン見てえヨ。ナ、ちょっとでいいから、見して、くリヨ」
「だめだ、逃げるんだ」
そして、河童が遠ざかっていくのに伴って、貴美はの身体は芯の芯までまで寒く寒く、冷え切っていった。おなかの底のほうからブルブルとふるえがきて、意識が遠く・・・・凍っていった。
5
「まちがいない。オレが会った河童と同じだ」
正太郎は、ぽつんと言った。
すると、祖母は、うれしそうに
「こりない、河童だなあ」
と、笑った。
「それで、ばあちゃんは、どうやって助かったの?」
すっかり、祖母の話しのとりこになっていた正太郎は、やっと話しの切れ目を見つけ、質問をした。
「見つかったのは朝だったんだ。もう、秋の終わりで、寒い日だったらしい。村の人は、夜中じゅう、たいまつを持って、やぶの中を捜して・・・・。夜が明けてからは、沼に船を浮かべて、たくさんの人が交代で水にもぐったそうだ。
水から上がった人は紫色になって・・・・。岸にはいくつも、大きな焚火がたかれ、大きな鍋に、豚汁が用意された。そういうみんなのおかげで、わしゃ、こんなに長生きできたよ」
それから貴美は、三日の間寝たままだったそうだ。寝言で、「河童・・・・」「ヌシ・・・・」などと言って、貴美の母を心配させた。
「あんたは神かくしにあったんだ・・・・、このことは、あんまり人に話すんじゃあない、と、きつく言われたさ。女の子はね、悪いうわさが立たない方がいいって、昔はそう言われていたんだよ。」
ふっと息をつくとき、祖母は何だか眠ってしまったように見えた。でも、またぼそぼそと話しが始まる。
「それに・・・・、わしはヌシのことが心配だった。もし、わしが話して、だれかが見つけに行ったら? つかまったら? そう思うと言えなかった。だから、いつか忘れようと思って、ずーっと黙っていたんだ」
「今まで、だれにも話したことはないの?」
「芋銭先生に聞いてもらっただけだ」
芋銭・・・・という名に正太郎ははっとした。
「小川芋銭?」
「そうだよ、一度、会ったことがあるんだ。それからも長いこと、わしのうわごとに『河童』っていうのが出てきて・・・・、お母さんが心配した。嫁に行く前に、すっかり気持ちをきれいにした方がいい・・・・。そうお母さんは言ったよ」
祖母が嫁に行ったのは二十歳の時だという。その前というと十九歳ころだろうか。
「昭和十二年ころだよ。雲魚亭という絵を描く場所を沼のほとりに新築なさっていた。芋銭先生なら河童の話しを集めているから・・・・、わしの手を引いて、母さんが連れて行ってくれたんだ。」
逆算すると小川芋銭はもう七十歳だ。今も牛久沼のほとりに残る「魚雲亭」というアトリエが新しく作られたばかり・・・・、芋銭は七十一歳で亡くなっているから、隠居生活に入ったころだ。
「ほかの人には話したしたことはないよ。芋銭先生は丸い眼鏡をかけて、白い長いひげをこう、手でなでて、やさしくて・・・・、だまって、静かにわしの話をじっと聞いて下さった。不思議なんだが、話すとその分、心が軽くなる。そして、心のもっと奥の深いところにしまえるようになるんだ。それから今の今までずーっとしまってきたんだから」
水戸の近代美術館で見た、丸めがねをかけた芋銭の顔を正太郎はぼんやりと思い出していた。
「それからは? その河童には会ったこと はないの?」
「いつだったかな・・・・、カゼかなにかで寝ていた時に、ほら、そこの庭の小さい池に来たよ。雨が降ってたな」
「この庭の?」
「そうさ。でも、うんと熱が高かったんだから、夢かもしれんね。どこでも水はつながると・・・・ヌシは言ってたけど、ほんとうだったんだな・・・・と、思ったよ」
「なにしに来たんだろう」
「まだ、ソロバンが見たかったのかなあ。でも、ひょっとしたら、わしの見舞いに来たのかもしれないねえ」
「じゃあ、ソロバンがどんな物かは、まだ見なかったんだね」
「さあな。他の人に見せてもらったかどうだかな。わしは、もう沼の近くにも近づかなかった。ずうっと、ずっと・・・・」
正太郎は、自分が会った河童こそ、そのヌシだと、確信していた。
「わしが店を取り仕切るようになってからは、それはもう忙しかった。店のこと、だんな様のこと、子供のこと、あれやこれやで、河童のことなんか、ほんとうに忘れてしまっていた。今まで思い出しもしなかったんだよ」
それからは、正太郎が話す番だった。川のほとりで見かけただけだから、大した話はなかったけれど、正太郎は、すっきりとした気持ちになれた。
「ソロバンを知っているんだから、ヌシだろうねえ。河童はカメと似て、長生きらしい、と芋銭先生がおっしゃっていらした。そりゃ、きっとヌシだよ」
祖母は、しょんぼりとため息をついて、しばらく二人は黙りこんだ。




