第1話【 剥がれ落ちる虚栄 】
神楽坂連合の事務所は、古びた喫茶店の奥、鍵のかかった扉の先にある。真壁は、かつての暴走族の旗揚げのような荒っぽさは卒業していた。今の彼は、スーツの襟に皺一つ寄せない「管理者」だ。
「加藤が泣き言を言いに来た」
真壁は、煙草の煙を吐き出しながらそう言った。全東信の代表取締役・加藤は、もはや組織の駒というよりは、干からびた木片のような男だ。
先週、加藤の隠れ家であるマンションに顔を出したとき、彼は高級な家具に囲まれながら、スーパーの半額弁当を箸で突いていた。かつて銀行員として煌びやかなオフィスを闊歩していた男の成れの果てだ。
「金が回らないと、夜も眠れんのです」
加藤の言葉は震えていた。高級な腕時計はとっくに質に入り、手元には九条から支給された、最低限の生活費だけが残されている。加藤にとって、全東信の破綻は「終わりの解放」ではない。警察という巨大な顎に、自分という肉片を差し出す「儀式」への恐怖でしかなかった。
「加藤、お前はただの財布だ」
真壁は冷たく言い放った。加藤の精神が限界に近いことは、真壁にも分かっている。だからこそ、破綻の日は一刻も早く訪れなければならない。加藤が壊れ、口を割る前に、全てを燃やし尽くす必要があるからだ。
「お前がやるべきことは一つだ。全東信の決済システムが、誰の差し金であるかを微塵も悟らせないこと。お前が個人的な野心で粉飾し、行き詰まったという筋書きだ。それが崩れれば、お前だけでなく、俺たちも、そして……九条さんも困るんだよ」
真壁は加藤の肩を軽く叩いた。その手は、まるで壊れかけた機械を点検するような、無機質な温もりを帯びていた。
同じ頃、加藤は自分のマンションに戻り、窓の外を眺めていた。都会の夜景が、まるで自分を嘲笑うように輝いている。
机の上には、特捜部へ提出するための「遺書」の草案がある。自分が主導した粉飾、誰も知らない架空の闇取引、そして、すべては自分の独断だったという供述。
彼はグラスに並々と注いだウィスキーを煽った。胃の腑が焼ける。だが、恐怖は消えない。九条という男は、自分が死ぬことすら許さないのではないか。そんな悪寒が、彼の神経を蝕んでいた。
加藤の生活感は、すでに崩壊していた。かつては銀座のクラブで豪遊し、成功の階段を駆け上がっていた男が、今は薄暗い部屋で、ただ警察の足音に怯えるだけのネズミになった。
彼が握りしめるスマートフォンには、九条からのメッセージが一つだけ表示されている。
『あと、三日だ』
破綻の時が、すぐそこまで迫っている。その冷たい宣告を眺めながら、加藤は自分の命が、電子データの消去と同じくらい安っぽく扱われていることを、ようやく、痛いほど理解していた。
11/13 19:10 に投稿します。




