10・酔っ払いと二日酔い
夜中を過ぎた頃、賑やかに酔っ払いが帰ってきた。バタンと扉が閉まる大きな音。またバタン!……これは玄関先で倒れた音だな。
「いまかえったろぉ〜」
「アルコール飲めるんだ。しかも酔えるんだ」
「燃える水だからな!」
その理屈でいくと、石油も飲めることになるけど……?
「えーと、水、はダメなんだっけ?」
「てんねん…天然ガス…」
すでに悪酔い気味だわ。玄関で倒れ込んでるジンを引っ張って、何とか立ち上がらせる。
酒臭い。それもかなり強めの……
「あんた一体どれだけ何飲んだの」
「芋さいこう!」
ジンは煙のクセに意外と重かった。いや、筋肉質なのかも。ジンの服の下なんて見る気もないけど、絵本のランプの精はみんなムキムキに描かれていたような。
徒歩四歩のガス台まで何とか辿り着いて、点火スイッチを押そうと手を伸ばす。
その手をジンが鷲掴んだ。なに!?
「いいか、マツリ。しあーせになるのにためらうことなんてないんら。リスクばっかり見てたら、味わえたハズのしあーせが、逃げちまう。
勇気、ら。一歩踏み出すユーキを、出すんら!
無いなら俺が、俺が背中を押してやるー!」
「う、うん?」
なに?どうしたの酔っ払い。一体全体、小川主任とどんな話をしたんだか……。あ、恋バナか。
「お前のしあやせは、俺のしあーせに、つならってる!」
舌回ってないよ……
「はいはい、楽しく飲んで、小川主任に迷惑掛けたのは分かったから」
「マチハル……お前のしあーせもらぞ!」
マチハル……そういえば呼んでた。小川主任の下の名前か。
こりゃ明日、謝りに行かなきゃ……。
とりあえず掴まれてた手を取り返して今度こそ点火する。
ジンは上がった炎にすぐさま顔を突っ込んだ。ギョッとしたものの、焦げたり火傷する様子もなく。やっぱり炎の精なんだと納得する。しかも服は燃えないとか……どんな特注仕様なんだか。
「あ〝ー 生き返るー」
しばらく放置することにした。
次の日、ジンは何事も無かったかのように朝食を作っていた。二日酔いの気配すらない。都市ガス凄すぎでは。
お互い、昨日のことには触れずに出社した。
都合良く情報部方面へ行く用事が出来て、ついでに寄ることにする。
ウソ。行く用事は捻り出した。
あの小川主任が想い詰める相手は、たぶん情報部の誰か。ちょっとした野次馬根性もある。
小川主任は私より一年後に入社した、まだ三年目の若手。入社直後より、総務部人事課の独立に伴う新システムの構築と既存システムとの連携を主導し、見事やり遂げた。その実績で、二年目にして諸先輩を抑えて主任に昇格。嫉妬やっかみ等は微塵もなく、先輩方は喜んで部下になっているという。
情報部はモニターが所属人員以上に並び、部員のメガネ率は100%。空調も他部署より設定温度が低くて、二人いる女性社員は薄手のダウンベストを厚手のカーディガンの下にいつも着込んでいた。足元も抜かりなくモコモコしていたような。
彼女たちのどちらかが、小川主任が強火で推し活してる相手か……。
「あのー、小川主任、いらっしゃいますかー?」
滅多に来ないし、知り合いも特にいない部署だし、何だか緊張する。
そっと声を掛けたつもりでいたが、ほぼ全員がこちらを向いた。
「なん…っと!総務の黒猫嬢が我らが部に…!?」
「なんですと?小川主任ですと!?」
メガネ群の圧力に、やや引き気味で答える。
「ええちょっと…うちの部員が昨日ご迷惑をお掛けしたみたいで……」
「昨日!?小川主任!お客様でいらっしゃいますよ!」
どう見ても小川主任より年上っぽい社員が敬語調で話しかけてる。えーと、リスペクトの結果、なのかな?
ややあって真ん中のモニターの陰から、メガネ男子が顔を覗かせた。
顔色、わっる。入り口まで呼びつけるつもりはなく、小川主任の席に近づく。
「あのー、昨日はうちの陣野がご迷惑お掛けしたみたいでー」
「あ、いえ……」
「これ、もし良かったら」
腕に抱えた書類に紛れこませていた封筒を、そっと差し出す。
小川主任は青白い顔のまま、黙って受け取ってくれた。
ふと二週間くらい前のことを思い出す。同じことしてる。思わず顔がにやけた。
「では」
軽く会釈して、速やかに立ち去る。
封筒の中身は、二日酔いに効くドリンク剤だ。朝、コンビニに立ち寄って買っておいたヤツ。さすがビジネス街のコンビニ、二日酔い向けドリンク剤がものすごく充実してた。
ドリンク剤をもらって、また差し上げて。何だか変なやり取りだと思って、ひとり思い出し笑いをしてしまった。
だけど、ちょっと覗いただけじゃ、何も分からなかったな。
立ち去った後の情報部が何か騒がしかった気がするけど、気にしない。
総務の黒猫嬢って何…?いや、気にしない、気にしない……。
次回、小川主任のターン。最推しが自分を訪ねて来た件について




