堺 8
ー「第一師団から「堺奪還セリ」の報が入ったのは、「雲仙」が呉港に設営された中継基地で補給・整備をを受けている最中だった。
32中隊を収容し帰投してから3時間と経過していない。
「堺はもぬけの殻だったと」
芹沢の確認に対し、通信士が第一師団からの連絡内容を読み上げる。
「はっ、『堺突入後、各地に火災及び多数の民間人死傷者を認め、敵影を認めず。関西方面における本拠地と思しき堺市役所庁舎に迫るも、庁舎は既に倒壊、炎上しており、敵影反応を一切認めず。各所に移動の痕跡があった為、解放軍主力は焦土戦術を行い、退却した模様。また、追撃についても逃走方向不明及び民間人の救助を最優先とする為、断念せり』、との事です」
「『堅壁清野』か・・・」
いつも渋面を浮かべている芹沢が更に険しい顔をした。
「堅壁清野」、自軍占領地域が敵に占領される際にインフラ及び物資などを残らず破壊して撤退し、敵に利用価値のあるものを一切残さないようにする、いわゆる「焦土作戦」の中国版である。
本来の語源としては「城壁に囲まれた市街地内に人員を集中させ、城外は徹底して焦土化することで、敵に接収品を与えずに疲弊させる」という比較的合理的な戦術であった。
ただ、日中戦争時に用いられた「清野作戦」ともいわれるそれは文字通り「清野」になるまで建物なども含めた一切合切を破壊し、炎上させるという悪辣極まりないものであり、八路軍や新四軍を前身とした中国軍から解放軍は教導を受けている。
当然、彼らは中国軍の「教え」を忠実に守り、民間の施設や家、果ては市民への虐殺行為を厭わない。
下関の際には解放軍の展開範囲が狭かったこともあり解放軍に焦土作戦を行わせる前に早急に殲滅して芽を潰している。
しかし、今回は広範に配備されており、元より人口も多い地域だ。
既にミサイル攻撃の被害が大きかった神戸市周辺はともかく、大阪ではクーデター発生時に逃げそびれ、そのまま解放軍統治下で暮らす民間人も数多い。
当然、参謀本部立案の作戦も解放軍の焦土作戦を防ぐ為、精鋭の第一師団のみで海軍の強襲揚陸及び空中艦隊からの高高度降下を用いて急襲し、解放軍主力を速攻で殲滅する想定だった。
だが、現実として解放軍主力は都市部を徹底的に破壊し、民間人を虐殺した上で撤退に成功している。
「やはり、間諜が統合軍中枢に紛れ込んでいるようですね」
艦長席の隣で同じく報告を受けていた篠田がぼやく。
「大尉、滅多なことを言うな」
肩を竦める篠田を軽く睨みながらも、芹沢も同様の事を考えていた。
宮前の件といい、疑いようもなくこちらの動向について明らかに情報が洩れているようだ。
兵俑機の戦術など特にそうだったが、やはり彼らは統合軍の教本を参照している部分が多い。
密集隊形などについても、元はと言えば11型の戦技研究時に既に考案されているものだ。
ただ、11型に携わった人間は相応に多く、教本と機体データのリーク程度なら一般パイロットや整備兵でも容易に入手はできる。
とは言え、今回の作戦内容や宮前の件といい、中枢に近しい又は所属している人間でないと難しい。
ふと、海軍の下山少将は佐野少将を疑っていたことを思い出した。
佐野参謀本部の出入りはフリーパス、おまけに特務部隊指揮の関係で基本的にどこにいるかを軍から把握されることもなく、宮前の友人である事も要素としては大きいだろう。
とはいえ、間諜とするならばあまりに都合が良すぎるポジションだ。
宮前と旧友だった件も含めたとしても、部隊単位で独自行動が許される指揮官に対し、そもそも任命される前に秘匿性についての適性を問われるし事前に身辺情報を洗い出すのが常だろう。
実際に間諜だったとして、重要拠点である下関を奪還されるような解放軍補給線の徹底破壊などを麾下部隊にやらせるわけがない。
篠田らの32特務中隊などが行ってきた補給線に対する破壊活動などが特にそうだが、基本的に佐野主導の作戦は当該地域の奪還に大きく寄与している。
下関は九州に最も近い地域として両軍ともに最重要視されていた。
統合軍は本州への橋頭保として。
解放軍は九州への侵攻基地として。
最悪は海軍と空中戦艦群で迂回が出来る統合軍とは違い、海軍兵力が無い解放軍は大兵力を九州へと送り込むには陸路しかない。
解放軍にとっての下関は攻勢の為の最大の前線基地であると同時に、防御面においても本州奪還を抑えやすくする最重要地帯であった。
解放軍最大の失策は緒戦において、関門海峡及び関門トンネルという陸路を潰された事だろう。
それが後々に統合軍設立及び拡充整備の機会を与え、関西まで奪還される結果になったのは前述の通りだ。
そう考えるのであれば重要度の低い補給線への攻撃指示を出して被害を薄くするのが定石だし、戦果報告とて佐野の手元でいくらでも改竄できる秘匿性が高い部隊である。
だが、佐野はそれをしなかった。
その事実こそが芹沢が佐野を疑うに値しない理由だろう。
むしろ芹沢は呉からの因縁である下山少将の動向に強い疑念を感じていた。
「統合海軍の総意」と宣い、無茶苦茶な作戦介入によって比較的損害が少ない兵俑機のサンプルを喪失、挙句は無差別に等しい砲撃の結果、着弾地点は黒煙にまみれ、敵兵俑機部隊の遁走を許してしまった下山こそクロではないかと思っていた。
呉の作戦後にはわざわざ芹沢と篠田を呼び、「佐野は信用ならない」と言い切った上で参謀本部を通さない独断の捕縛作戦を提案し実行させるようにした事が引っかかるし、そもそも階級こそ上であれど、参謀本部直結である特殊戦略作戦室に対して海軍から独自に接触、依頼する内容は指揮系統の逸脱や越権行為でしかない。
ただ、先日に芹沢の判断で「雲仙」はステルスモードを起動して下山座乗の「むらさめ」の上空から動向を監視していたが、特段不審な行為は見られなかった。
篠田にしても明言こそしないものの下山の動向が不振である事についてはそれとなく伝えていた。
ー事件後、下山は実働部隊の指揮を行った佐野と共に参謀本部に呼び出され、作戦失敗の原因や状況報告の為、数日間に渡る聴取を受けている。
下山は参謀部に対して通達なく独自調査及び作戦立案した上に、半ば強引に特殊戦略作戦室の人員で突入部隊を編成させ、自身は後詰めと称し海軍の人員を供出して検問所を立てさせていた。
結果は前述の通り、宮前はその海軍の検問所ルートを難なく突破した上で海軍が歩哨を立てている埠頭まで届き、まんまと船で逃げ仰せている。
実際に後日、下山は実働部隊の指揮を行った佐野と共に参謀本部に呼び出され、作戦失敗の原因や状況報告の為、数日間に渡る聴取を受け、当然、下山には厳しい追及が行われた。
あまりにも急場な作戦で準備期間もろくになく、現地調査も宮前側に悟らせないようにと下山が厳命した為、実行部隊の特殊戦略作戦室の人員は海軍独自で事前に作成してきたビルの見取り図にて対応せざるを得なかった事。
また、爆破による突入部隊壊滅及びEMPパルス弾による連携の断絶もその後の追撃行動を困難にさせている事も失敗の原因としては大きい。
その際に追撃した篠田は埠頭にて戦機兵部隊の待ち伏せを受け、善戦をするも機体は中破、敵機も半数がそのまま撤退に成功し、彼女も負傷した。
そして芹沢には篠田から聞いた「下山の命令で急造された海軍の検問所が悉く機能せず、宮前を素通りさせていた」事実を聞き、より下山が手引きした可能性を疑っている。
仮に芹沢以外だろうと、状況証拠的には下山に疑念を抱くのが自然な反応だろう。
また、芹沢が佐野から聞いた情報によれば、下山は自身の肝煎で立案されているにも関わらず、呆れたことに作戦失敗の原因は特殊戦略作戦室の不備だと糾弾していたようだ。
後の調査から「現場で検問していた海軍隊員が、宮前の車を止めるも、ドライバーが参謀本部の念書を持っていて素通りした」事や「海軍が担当するはずだった埠頭の警護について、その日誰もおらず、篠田突入時に待ち伏せを食らった」事が次々と判明していった。
だが下山は「検問所が機能しなかったのは、EMPパルスの影響によって現場が混乱しており、その伝令書が正しいものかも判断が出来なかった」事、埠頭の件についても「爆発を観測した隊員たちが情報錯綜によってやむを得ず援護として現場に急行したが戦闘は既に終了していた」と主張。
もっとも佐野が特殊戦略作戦室の責任者でもあるので責任を取ることに対しては概ね仕方ない事ではあるのだが、今回は下山からの強い圧力をかけられてやらざるを得なかった部分も大きい。
篠田はそこまでの詳細は後に病室で芹沢から聞いている。
彼女とてその証言を聞いた上で改めて埠頭内の記憶を思い起こしても海軍の歩哨の影すら見ていなかった。
それよりも前に海軍検問所ルートを使って逃亡している宮前を追撃している時点である程度目算が付いていた訳だが、彼女なりに気を遣ってそのことは芹沢にしか伝えていない。
無いとは思いたいが「雲仙」内にも間諜はいる可能性を捨てきれない。
万に一つを考えてそういう想定で動いていた。
それに、先ほど彼女が捕らえた飯塚から詳細は聞き出せばいい話だ。
ー帰投時に機体の掌の上に載せられた飯塚は、芹沢と篠田の話が終わって間もなく篠田の趣味に付き合わされた。
1時間に満たない遊びであったが、飯塚は大人げなく泣き喚き、充分な情報は引き出せた。
結果分かったことは、「兵俑機の特務隊はヘリにて輸送される場合、統合海軍から権限を持った人間でないと分からないような情報及びルート指示によって警戒網を潜り抜けている事」、「兵俑機は主に中国本土からパーツごとに輸送され、統合海軍及び米軍の監視網を抜けるルートを予め選択して輸送している事」、「飯塚以外の別部隊に関しては何度か九州にも上陸し、作戦を行った事」だった。
彼の証言が真実なら対象は左官以上かつ警戒網を把握し対応している者に絞られる。
先ほどの撤退についても、海上ルートも使わなければ師団クラスを有し大規模拠点として利用していた大阪からの迅速な撤退行動は難しいだろうと彼女は思っている。
これも海軍で一枚嚙んでいるとすれば、下山が間諜である可能性は非常に高くなる。
決定的な証拠を抑えることが出来れば、一連の兵俑機輸送を抑えて解放軍の戦力増強を防ぐことが出来、加えて陸軍と協調路線を取らない下山の排除により、海軍における陸軍との連携をより強固にすることが出来、反攻作戦がより対応しやすくなるという副産物もつく。
特殊戦略作戦室は特殊任務が多い都合上、逮捕権も有しており、軍警察が表立って動けない内容などであれば先日の宮前捕縛の時のように秘密裏に出動して逮捕権を使って拘束できる。
ただ、彼女の興味そのものは下山の逮捕よりも解放軍の動向にある。
今回、敵は大阪で決戦を挑まず、温存する方針を固めてきた。
詰まるところ、兵俑機の数は現状、戦機兵のそれよりも少ないのだろう。
解放軍としても防戦一方になっているところで虎の子になり得る兵俑機部隊を損耗したくないし、そもそも信用していないと篠田は読んでいる。
理由は2つ。
彼女が交戦した兵俑機部隊というのも戦闘データ収集目的も多分にあるにしている事。
そして、そのデータ収集も含めた戦闘において現時点で戦機兵と交戦して勝利した記録がない事。
戦機兵の教本をベースとした戦闘データ収集時点ですら確実な戦果を出せていない機体をアップデートすることもなく配備だけが先に行われてしまうという歪な構図によって解放軍幹部は持て余し気味なのではないだろうか、と洞察している。
図らずもこの推測はおよそ的中しており、中国の共産党本部は機体性能を数で上回ることで互角以上に戦闘し、逆襲に転じることが出来る想定でいたが、実際に運用した解放軍からはおよそ攻勢向きの機体に非ず、という結論が出ていた。
機体コンセプトが11型のままであれば、成程21型のような高機動機に対しては防戦一方にならざるを得ない。
密集隊形になることで装甲を活かした少しずつの前進は可能だが、随伴する戦車や歩兵、ヘリなどの連携補助が不可欠であり、戦機兵のような単独での運用を求めるのは無理がある。
とは言え、統合軍とて未だに32特務中隊以外が兵俑機と交戦していない為、対兵俑機戦術は篠田の交戦記録た対11型との模擬戦などで少しずつであるがアップデートし続けているような状況で、それも多くて十数機程度の部隊規模に対する戦術の為、会戦レベルの戦闘が行われていた際の戦術構築はまだない。
特殊戦略作戦室にて現状得られた情報のみで試算をしたところ、戦機兵と兵俑機を用いた大規模会戦を行った場合、大型化した泥沼の歩兵戦でお互い決め手を欠いたまま長期間の膠着状態に陥る公算が大きいという結果が出た。
会戦場所にもよるが、統合軍が攻勢、解放軍が守勢となった場合で考えた場合、
統合軍は「周到に防御された陣地と兵俑機の待ち伏せによって戦機兵の被害が甚大、決定打を叩き込めずに消耗」し、解放軍も「防御陣地に対して次々と精密砲撃をされることによって守勢は維持できるものの、防衛線を下げ続けて抗戦することで損耗しつつも致命的な防衛線崩壊が起こらない」想定になる。
結局、供給が追い付かないほどの決定打を与えることが出来ない以上、補給能力喪失という搦手でしか統合軍にやりようはなく、それが困難であればズルズルと膠着化してしまうという試算なのだろう。
そしてこの試算は統合軍にとって不利な状況を導き出した。
中部地方など山岳部の多い地域であれば、解放軍が優位に立てるという事だ。
そういう意味では平野部且つ海上に面し、四方からの挟撃に対応が難しい大阪よりも関東にほど近い中部の山岳地帯に展開し、東海地区を抜けていく統合軍に対して常に圧力をかけ続けていた方が合理的な選択なのも頷ける。
ただ、これはあくまで統合陸軍だけで攻勢を行った場合を想定された防御形態だろう。
例えば統合海軍と連携して一気に関東圏へ急襲をかける戦術を取った場合、中部に展開する部隊は孤立するか、関東より逃げ落ちた部隊を抱えて長期的なゲリラ戦を強いる他なくなる。
そうなれば中部に押し込まれた時点で主要都市を落とされた彼らが日本開放の錦旗を振るう事が難しく、テロリスト組織程度の規模に成り下がればNATOやPKOの軍事介入を許し、目論見は潰える。
もっとも、統合軍にとっても介入をされることによる国家立て直しが難航する事は望ましくない。
西から順当に奪還していった経緯というのはそういった多国籍軍の介入による混沌化を防ぐために丁寧に潰してきている部分もあった。
仮に解放軍側が海軍の動きを念頭に入れていない防衛戦略を行っているとするならば、やはり海軍の、それも作戦主導を行うことが出来る誰かがクサいと見るのが正常な思考だろう。
ふと、下山と対談した時のあの嫌味な嘲笑が脳裏に映る。
できるならこの手で頭部を撃ち抜いて脳漿を床にブチ撒けてやりたい衝動がある。
とは言え前線指揮を執っている将官を逮捕すれば影響は計り知れない。
確実な証拠を掴まなければならないー、そう思いながら篠田は煙草を咥えZIPPOを取り出したところを芹沢に制される。
「吸うなら自室に戻れ」
彼女はきょとんとして、目線を口元の煙草にやる。
本人としてもどうやら無意識のうちに咥えていたようだ。
彼女は思わず咥えてしまった自分の滑稽さに少しだけ鼻で笑った後、そのまま艦橋を辞した。
・上級大尉
旧東側のような4階級制の軍隊で存在している階級。
過去に日本には存在しなかった階級の為、訳語としてのみ存在していた。
特殊戦略作戦室は任務の性質上、場合によっては中隊長以上の者が一時的に左官相当以上の指揮権が必要な場合がある為、特例として該当任務中のみ2階級上である中佐相当の指揮権を有することが出来る階級として創設している。
ただし通常の階級は大尉として扱われる歪な階級であり、恐らく篠田が士官学校を出ていない志願兵である為に左官クラスの昇格が認められない事による特例階級であるとも揶揄されている。




