♞7♞ 今度はオレから。
下町の一般の商店街と職人工房が隣接する職業混在地域に、その小さく古い教会はひっそりと建っていた。
「あら、わたくしの勘違いかしら。キース様には先日友人関係を解消されたと記憶しているのですけれど」
アメリア嬢に教えられた場所でその背中を見つけて、呼び止め、振り向いてくれたリリア嬢は、三日前に一緒に飲んでいたときとは比べるべくもない冷たい視線と声音でオレと相対した。
いやまぁ、好意を持って接してくれた相手に言い訳を重ねて、卑屈になって、突き放した相手に取る態度としては当然だわな。そう思った瞬間背中に嫌な汗が流れ、包帯が巻かれた方の手に力が入る。
……ああ、大丈夫だ。ちゃんと痛む。彼女を傷付けて逃げたオレには、あの聖女か堕天使か分からんお嬢ちゃんに授かった罰がある。これでまた尻尾巻いて逃げ帰ったりしたら次は去勢でもされそうだ。
「いいや、勘違いじゃねぇな」
「ふふふ、こちらの記憶違いでなくて良かったですわ。ではこのお話はこれでおしまい。わたくし、午後の授業が始まる前に昼食をとらねばなりませんの」
お上品な口調で頬に手を添えて小首を傾げる姿に、一瞬上司の屋敷に乗り込んでお嬢ちゃんから彼女の居場所を乞うた熱が下がるが、この状況を作ったのが自分の煮え切らない態度のせいだと分かっている。
ここはまだ口をきいてもらえただけマシだと思うべきだ。会話ができるってことは、まだ詰みきったわけじゃない。
「もう関わりのない方とお話することもありませんし、大したご用がおありでないのでしたら、もう失礼してもよろしくて?」
「駄目だ、よろしくない。オレはあの日のことであんたと話がしたいんだ」
「は……こんなときに舌打ちができないのは残念ですね。あの日お別れする前に教わっておくべきでしたわ。でも、わたくしにはもう貴男と話すことなどありませんの。お帰りになって下さいませ」
そう言って顔を歪めた彼女が踵を返そうとするも、そうはさせまいとその細い手首を掴んだ。ビクリと華奢な肩が跳ね、こちらを振り向いたことで翻る真っ直ぐな栗色の髪と、驚きに見開かれる少しくすんだ緑の双眸。
取り立てて美しいわけではないのに、ひどく惹かれた。オレの汚れたこの手で触れたところで消えたりしない強さを感じるところに。
「離して下さらない?」
「嫌だと言ったら?」
「叫んで助けを呼びますわ」
「そうか。それでも構わない」
ここに至って諦め悪く食らいつくオレに困惑した表情を浮かべる彼女を前にしても、いまこの手を離して逃げられるくらいなら、その表情のままで動きを止めてくれる方がずっと良い。
二人で不穏な雰囲気で立ち止まっていると、不意にガヤガヤとしたガキ共の声が聞こえてきて表情がはっきりと分かる距離まで近付くなり、こちらの一種異様な空気に気付いたのか歩みを止めた。
ガキ共の視線に気付いた彼女が咄嗟にオレの手から逃れようと身を捩る。その動きに細い手首を掴む指先に力を込めるべきか悩んで……離した。下手に力を入れたりしたら、折れそうで怖い。
「よー、先生もいまから飯だろ? そっちのオッサンは、先生の知り合いか?」
一番年長者らしいガキが進み出てチラリとオレとリリア嬢の距離感を測る。不審者を見る目の鋭さに大人も子供もないもんだ。
彼女を探しに来たってよりは、単に午後の授業までに昼飯を食いに家に戻ろうとしていただけなんだろうが……どうしてだか、オレはこういうときに運がない。ジリジリと近付いて来た年長者のガキがその隙に彼女の手を取って、向こう側の陣営に引き込んだ。
「お昼を食べに行くところというのは間違っていないわね。だけどこの人が知り合いかと聞かれたら“いいえ”よ。知っている人だけれど、もうただの他人だわ」
「え……だったら先生をつけ回してる変質者じゃないの?」
「せんせーいじめたら、だめなのよ」
「オッサン、悪い大人か!?」
「だったらオレたちで退治してやろーぜ!」
「やっちまおー、兄ちゃん!」
「だな。よし、女子はさっき帰った職人地区の奴等も呼び戻してこい。あと巡回中の騎士も。俺達がオッサンの足止めしてる間に先生も逃げろ」
将来的にゴロツキにでもなられたら非常に厄介な相手になりそうな年長者のガキの号令に、姉妹っぽい女児と少女が身を翻し、はしっこそうな悪ガキ共が一斉に飛びかかってくる。
生命力の有り余ったガキ共に群がられて脛は蹴られるわ、腕や首にぶら下がられるわ、腰に体当たりされるわの猛攻を受けるばかりか、同僚にこの姿を見られるとか……あとで何を言われるか分かったものじゃない。
しかもこっちは大人で相手は所詮ガキ。避けも殴りもできるがそれをやったら人間として終わってる。
「おいおいお前ら待てっての。流石にこの人数でかかられるとオレでも重いんだよ。加減を考えろよ加減を。それから巡回騎士は呼ぶな。サボってんのがバレたら上司にどやされるだろ」
急所に入りそうな攻撃だけ躱しつつそうボヤけば、オレとガキ共の攻防を見守っていた彼女の肩がが小さく震えている。どうやら笑っているらしい。
「ん、んふふ……その姿、懐かしいわね。みんな庇ってくれてありがとう。その人本当はわたしの知り合いなのよ。ついこの間ケンカしたから、少し意地悪したくなっただけ。もう大丈夫だから、みんなもお昼を食べにお家に戻って。また一時にここで会いましょう」
リリア嬢の一声でガキ共からの攻撃はあっさりと止んで、スーッとこっちの格好を上から下まで観察してくる。そうすることで結論が出たのか、それぞれ――、
「マジかよ……確かによく見たらそれ騎士の制服じゃん。先生も痴話喧嘩ならもっと早く止めろよ。悪かったなオッサン」
「ウソ、もっとよく見せてよ!」
「うげ、着崩しすぎててわかんねーよこんなん。だったらさ、もしかして怒られるのオレたちじゃねーの?」
「オッサンさ、チビと姉ちゃんが戻ってくる前に逃げたほうがいーかも……」
――と、悪ガキらしい言葉を口にして眉を顰めたり、ベタベタと制服に触ってくる。隊長が常々制服をきっちり着てろってのは、成程こういうときのためか。騎士服には揉め事を遠ざけたり未然に防ぐ効果があるらしい。
増援が来ることに怯み出したガキ共に「巡回騎士が来たら“ダルク・キースが馬鹿をやった”って伝えりゃ良い。それで通るからよ」と言い残してその場を離れた。勿論今度は了承を得たリリア嬢の手を握ってだ。
昼休みに入るところだったと聞いていたから、何となく食堂の多い通りを選んで歩く。手を握ってくれてはいるが、無言でついてくる彼女が気になって盗み見れば、ちょうど同じようにこちらを見上げていた彼女と視線がかち合う。
「あ、あー……そう言えばさっきの懐かしいってのは何だったんだ?」
唐突すぎたか。オレの下手な話の切り出し方に一瞬彼女が目を瞬かせた。けれどすぐにそれが何を指すのか思い至ってくれたようで、次の瞬間にはその目許をふわりと和らげる。
「ああ……あれね。お見合いの日の貴男には初めましてって言ったけど、わたし、本当はもっと前から貴男を知っていたの」
そんな話は初耳だ。飲みに行ったときもそんな話は聞いたことがない。それに今日初めての気楽な語り口調もオレの内心をざわつかせた。
「いま初めて聞いたって顔をしたわね」
「……悪い。もしかして飲んでるときに聞き逃してたか?」
「ううん。初めて言ったわ。わたしが初めて貴男を街中で見かけたときも、さっきみたいに子供達に纏わりつかれて困った顔をしていたの。近くの隊員に名を呼ばれていたから、名前もそのときに。それに初顔合わせの日にも言ったでしょう? “どちらかと言うと面倒見が良さそうで子供に好かれそうな人”だって」
口許に手をやっておかしそうに笑う声も表情も華やかさはないのに、久しぶりに見ると思わず目が釘付けになる。あああ……くそ、畜生が。オレも隊長のことを笑えなくなっちまったのか。
情けないが嫌じゃない。ここはもう完全敗北を悟って、とっとと腹をくくった方が良いに決まってる。
「このあとひとまずは昼飯をご一緒願うとして……だ。今晩は仕事があるから駄目だが……明日はオレから飲みに誘っても良いか? ボトルワインの旨い、少し洒落た店を知ってる」
「そのお誘い、下心はあったりするのかしら?」
「あー……まぁ、ないと言いたいところだが……実は少しある」
「そうなの。だったら若草色のお気に入りの服を着て行くわ。その代わり婚前だから口付けまでにして頂戴ね?」
ほんのり眦に滲むそれに引き寄せられて指先で拭えば、彼女の顔に温かな微笑みが広がる。薄暗い路地裏では一生見られないような、陽だまり色のイイ女だ。




