12.雨男
≪ほっとけ≫
びっくりした。
罵倒を言った途端に文句のメールが来た。
心が読まれた、正直にそう思った。
携帯を操作し、その下に書いてある方も見てみる。
≪お前のことだから、偉そうなこと言ったら罵倒を言ってくると思ってな。本当に言ったかどうかまではさすがに分からねぇけど、言ってたらだいぶ元気ってことだよな≫
風邪なんか、引いていないのに。
園の人に嘘をついても、学校の奴に嘘つきと言われても、全然痛くならないのに。
≪あいつらも、心配してたぞ≫
何故だろう。
あいつらに嘘をついたとなると、こんなに胸が痛む。
ふと、まだ下に文字があることに気付く。
それは一言。
≪早く元気になれよ≫
……とだけ、書いてあった。
心が、温かくなった。
こんなにも俺なんかを心配してくれる人が、今までいただろうか。
いや、考えるだけ無駄だ。
数秒で分かる。そんな物好きな奴は、いなかった。
ずっと一人で、ずっと孤独で、嘘ついて、人を突き放して、苦しくなった。
自分で自分の首を絞めているような日常だった。
ここまで捻くれたのは、いつからだろう。
俺の出来事には、なにかと雨がついてくる。
確か……小学四年に上がる少し前だっただろうか。
あれも、雨の日に起きたことだった。
***
僕は雨に呪われている。
入学式も雨。遠足も雨。音楽会も雨。
みんなが楽しみにしている行事は、僕の所為で雨となる。
あの日も、朝から身を刺すような雨だった。
「……じゃあ、よろしくお願いします」
「はい、分かりました」
家を出た時からずっと繋がれていた母親の手。
その手を離され、代わりに知らない女の人の手が繋がれる。
どちらの手も冷たかったのを覚えている。
「透。施設の先生の言うこと、ちゃんと聞くのよ?」
「……」
作った笑顔。
表面だけの優しさ。
僕は、この人が大っ嫌いだ。
「ちゃんとお行儀よくするのよ?」
やめろ。
今更母親ぶるな。
ずっと、ずっと僕を一人にして。
「施設の人たちの言うこと聞くのよ?」
寂しい思いをさせて。
辛い思いをさせて。
「みんなと仲良くするのよ?」
次は、僕を捨てるのか。
「また今度、会いに来るわね」
ふざけるな。
なにが母親だ。
なにが、今度だ。
くだらない。バカバカしい。
≪「透、ごめんね。もう、会いに行けなくなっちゃったの」≫
ある日、園にかかってきた一通の電話。
それは、幼い俺の僅かな期待すらも打ち砕いた。
ああ……なんだよ。
折角待ってても、結局現れてくれなかったじゃん。
「……うそつき」
来るな。来るな。
もう来るな。
もう、来てほしくない。
……来てほしいとは、思っちゃいけないんだ。
“またね”という言葉は嫌いだ。
――――――また今度、会いに来るわね。
その言葉に記された“また今度”は、ずっと来なかったのだから。
もう誰も信じない。信じられない。
嘘をつかれてしまうのなら……先に嘘をついてしまえ。
そうすれば、騙されることなんてなくなる。
でも、それは。
代わりの代償が限りなく大きかった。
無視。暴力。暴言。
一言にいじめと称されるものは、全て体験した気がする。
それでは、何故。
俺は死ななかったのだろう。
なにか、未練でもあったのだろうか。
まぁ、そんな昔のことはもうほぼ記憶に残ってないが。
***
と、ここで部屋のドアがノックさせる。
「透君? 風邪、大丈夫? 今日は、学校に行ける?」
ドアの向こう側から聞こえる園の係員の声。
心配そうな声をしているけど、これもきっと表面上。
「……大丈夫っす」
「そう」
いつの間にか、朝になっていたのか。
考えごとの所為で、徹夜だ。
まぁ、授業中……寝ればいいか。
制服に着替え、鞄を持って扉を開ける。
目の前の電柱に影が隠れていたことに、気付かずに。
そして外への一歩を踏み出そうとした時、景色が一変した。
玄関先に広がる庭じゃない。
人々が賑わうこの場所。
桜ヶ丘高校……?
階段の踊り場に設置された全身鏡の前に立ち、鏡を見る。
長い、ツインテールの髪。
小さな背丈。女物の制服。
おそらく、いや間違いなく、佐藤と入れ替わってしまった。
よりによって佐藤香穂とは。
柊ならまだしも、佐藤に施設に住んでいることを知られるとは。
ホオズキは、なにを考えているのだろう……。
今日は、もう帰ろう。
佐藤との人格入れ替わりが終わったら早く帰ろう。
風邪がぶり返したといえば早退できるだろうか。
だんだん、嘘が上手くなっていく。
結局数十分で元に戻り、学校へ歩き出していたであろう道のりに背を向け元来た道を歩く。
丁度係員は買い物中なのかいなかった。
園に戻って最初に目が合ったのは、庭で遊んでいた五歳の二人組。
「あれぇ?」
「佐久兄! はやかったんだね」
「……?」
いつも話しかけてこない。
それどころか目が合っただけで半べそになり逃げ出す奴らが話しかけてきた。
「お前ら……なんで俺なんかに」
話しかけてくるんだよ。
驚きが隠し切れない。
声色がどうしても不自然になる。
「どうしたの? 佐久兄……おでかけするときはあんなにゴキゲンよかったのに」
「!?」
出かける時。
違う。それは、俺じゃない。
佐藤の方だ。
話しかけない、話しかけてこない。取っ付きにくい不良イメージ。
ずっと守ってきたこのイメージを、出会って数日の奴に崩された。
なにをしたんだ……。
***
放課後。
面倒だったので制服のまま校門で佐藤を待つ。
自分でも知らぬ間にかなりイライラしているのだろう。
周りはひそひそ話していたり、そそくさと素通りする奴ばかりだ。
「……佐久間、君?」
その中に、一人。
向こう側から声をかけてきた小さな女。
周りに人は、いない。
「お前……施設の人に、ガキに、なにした……?」
「え? 行ってきます、って。笑って言ったけど……?」
きょとん、とした顔で話す。
“笑って”……?
「……なんで、そんなことしたんだ」
「だって、施設の先生……優しく接してきたから」
「あれは優しいんじゃない。怯えてたんだよ」
そう、優しさからなんかじゃない。
俺なんかに優しくする人なんかいるわけがない。
「そんなこと……!」
否定なんてしないで。
「そうなんだよ。俺は」
「で、でも……さ。佐久間、みんなと仲良くしたいよね? これで……」
気をつかわないで。
「話しかけてきたのはチビ組だけだ。まだ小さいから、機嫌がいいとか悪いとか……ただ疲れているだけだと思い込んでいる」
「わ、笑ってみなよ! そうしたら――」
そんな言葉、かけないで。
「この現象は、仕方なく受け入れている。でも……余計なことは、しないでくれ……!」
「……ぁ」
怒りの声。普段でも鋭い瞳が余計に鋭く見える。
さすがの佐藤も、これ以上はなにも言えなくなる。
「それだけだ。じゃ」
あんな接し方、されたことがないから。
ただでさえ不安定な俺の世界は。
温かい人間と話をするだけで。
簡単に壊れてしまいそうになる。それが、怖い。




