一年目経過
ゼクト・プライムはまだ終われないといった。
極右派が介入したとある政党の暴走を――ある意味通常運転である行動を――阻止しようとのたまっていた。
保有する軍隊、おそらくは民兵組織の無力化を挑むと言い出したのは、まともな戦力が二名であり、カラシニコフが一挺に軽機関銃が一挺、そして6.5mm弾が千二百発に手榴弾が四六発が揃った時だった。
敵はプロだし、勝ち目はゼロに等しい。
幾百、幾千の修羅をくぐり抜けてきたとしても、幾十の死線を超えてきた数百の敵には敵わない。それは夢見がちな子供でもわかることだった。
そんな事を、本当に出来ると信じているこの男は阿呆も極まれりといった具合であり――。
――またそれに付き合ってしまう青年も、殆ど似たような存在だった。
八月六日。
一つの街が”跡地”と化してからおよそ三ヶ月が経過した。
ゼクト・プライムが、少女の路銀を半額ほど頂戴して米国へと旅立ったのは一ヶ月前。
そして――その男から連絡が来たのは、つい先日の事だった。
「マジでクソだ。帰ってきたら、野郎の土手っ腹に12.7mmを一発ぶちかましてやる」
ジープを駆りながら、衛士は落ちていく宵闇を目指していた。
後席のシートの上で乱雑に転がる軽機関銃に、五○○発の弾帯は殆ど気休めに過ぎなかった。
今回のメインウェポンは手榴弾であり、だというのに今回の仕事が”殲滅”というのはあまりにも馬鹿げていて、手榴弾を見るたびに”自決”の二文字が脳裏を過ぎって仕方がない。
「……本当に、目標地点はここで?」
助手席に着く少女――アンは、不安げにそう問うた。
ゼクトが連れて行かなかった為に、仕方がなく衛士が連れて回るハメになっているのだ。
「ああ。連中は空挺部隊……もっとも、今回のは偵察任務だ。数が少ない分、まだやっていける」
衛士はゆっくりとジープの速度を落として静かに停車させると、その黄土色の制服の襟を正してから、息を吐いた。
その制服はゼクトとのお揃いである。
作ったのはアンであり、その特技はかつて、服飾の仕事として十分に発揮されていて――現在でも、隠れ家とする街で、彼ら三人の中で唯一の稼ぎ頭として活躍していた。
「似合ってますよ」
「似合うように作ってもらったからな……さて、行くか」
いつかの日と同じように、大気を引き裂くローター音が近づいてくる。
衛士は運転席から飛び降りると、すぐさま軽機関銃を拾い上げて弾帯を担いでみせた。
重い弾丸。重い武器。これがいずれ軽くなると同時に、その数だけ敵も減っていくのだから大したものだと自分でも思う。
最後に左目を隠す眼帯を固く結び直して――ニキロほど後方で、ヘリが宙空で停止するのを確認する。
開いたドアから紐が垂れ、ホバリングするヘリから落ちていく兵隊の数が、その地上で待機する数が、徐々に増えていく。武装は一般的なもので特に目立った武器は無いが、音も立てずに着地する様子は、ただそれだけで技量がうかがえた。
「最初は外すつもりだ。合図をするまで、ここで待機……いいな?」
「わかってます、ゼクトさんにうんとキツく言われてますから」
「んじゃ、行ってくるわ」
軽く手を上げ、簡単な別れの辞儀を成す。
青年はそれから駈け出した。軌道はジープから大きく離れるように弧を描き、さらにその最中、上空めがけて引き金を絞り始めた。
けたたましい銃撃音が、大気を揺るがすローター音に重なった。
辺りを警戒していた兵隊の視線が、余すこと無く全て衛士に集中する。それぞれ下ろしていた銃を構え、銃口が走り続ける衛士を追った。
『気狂いか――単身で……構わん、ぶち殺せッ!』
先頭に立つ男が、衛士の軌道上目掛けてロケット弾を撃ち込んだ。が――それ以前に彼が気づくべきだったのは、衛士の異様な行いはもちろん、その”速度”だった。
装備は弾薬を含めてその二十キロを超える軽機関銃のみだったが、その青年の走る速度はおよそ時速四○キロに近い。オリンピック選手も目を疑う異常すぎるその速さは故に、使い捨てのロケット弾が己に直撃するのはもちろん、行く先を妨害することも許さなかった。
大地が弾けて爆炎が上がるのは衛士の後方。
そして、彼の声が聞こえたのは、間もなくだった。
「今宵――てめえらにゃ、恐怖を抱いてもらおうと思う」
『どこの所属だ、その制服は!?』
そう叫ぶ男の言葉は、されど衛士には理解が出来ない。聞き覚えのないタイ語は、日本語と英語しか使えぬ彼には理解の範疇に無かったからだ。
にしても、英語で話しているアジア人に対して頑としてタイ語を使用する彼らは、どこか意地になっているようにしか見えなかったが、
「ああ!? コミュニケーションとりたかったら英語で話せ馬鹿野郎!」
発砲を止め、即座に肉薄する衛士。
一直線に迫る敵影へとその場に居る全員が照準するが、まっすぐであるはずなのに、弾丸はかすりさえもしなかった。
「貴様、どこの人間だ、その制服――」
「制服は自前だ、糞野郎!」
イカしたテンガロンハットを被った男の喉元に軽機関銃の熱した銃口が喰らいついた時、衛士はようやく、その男が現場指揮官なのだと理解する。
だが構わない。というかむしろ、だったらまっさきに血祭りに上げたほうが効果的な人間である。
そこに真っ当な倫理観はないし、人の命はおそらく水素よりも遥かに軽い。
破裂する発砲音と共に、その男の頭が吹っ飛んだ――だというのに、その次の瞬間には青年の姿は消え失せており、部隊が形成する陣形の内部に忍び込んだ青年の銃撃は、彼らが認識するにたった一度か二度だけ轟いていた。
だが呻くのはその場に居る全ての人間であり。
だが死者は、最初の一人だけだった。
――未だ頭上でホバリングし続ける戦闘ヘリ。その機銃の手前で座り込む男は、不意に、惨劇の中心に居ながらも、汚れ一つない青年と視線が交差した瞬間に、背筋を凍らせた。
垣間見た、深すぎる闇。開いた瞳孔が睨むその奥に、青白い炎がたぎっているのを、彼は確かに認識していた。
足を、腹を、あるいは諸手を弾丸で貫かれた全ての兵隊はその場にへたり込み、そして衛士は、手近な一人の腹を蹴り飛ばして、朦朧としている意識をはっきりと呼び起こしてやった。
「今日はお前らを帰らせてやる。だが一つ、お前らの依頼主に伝えてほしいことがある。死の代わりに、てめえにゃそいつを抱かしてやる。よォく聞いとけよ」
――この戦いは。
三ヶ月前から開始した戦いは、だが現時点から彼らだけの戦いにはならなくなる。
ここで異常性にも程がある、英雄というよりは化物に近い戦闘能力を魅せつけておいて――あとはどこかの誰か、本来戦うべきだった、護るべきだった誰かに全ての責任をなすりつけるだけである。
今後彼らがすべきは、ゼクトの記憶を頼りに”負け戦”に榴弾をぶち込んで敵部隊を殲滅する作業だ。つまり、全ての戦闘を強制的に勝たせてしまうのだ。
運命の女神じみた、偽善しかない行い。
衛士は男の額に銃口を押し付けて、ささやいた。
「”他人の国に口を挟むんじゃねえ”――ってな」
依頼主はとある政党の党首。
彼にはこの国の血は流れていないし、だがそれを知る唯一の人間は――奇しくも、彼が唯一信頼し、そしてやがて敵対する事になる、ただ一人の将官である。
この一言で彼は理解するだろう。
そして、後は今後の出方次第で作戦が変わる。出来る事ならば、厄介事は今回で終えれば良いのだが……。
衛士は最後に、持参した閃光手榴弾のピンを引きぬいて――凄まじい轟音と強烈な光が炸裂し、暫くの間、彼らから正常な感覚を奪い去って行った。
彼らが気がついた時にはむろん衛士の姿は消え去っていたし、そのまま逃げ帰った彼らが、ジープの轍に気づくことも、結局は無かった。
十月ニ八日。
ゼクト・プライムはいささかやつれた様子で帰ってきた。
だが火傷跡以外の肌にはまだ若々しさがあるし、外見年齢だって、二十かそこいらで停止したままなのは、あの”装置”の空間で出会った時と変わらなかった。
「土産は?」
「寂しかったろう、抱きしめてやる」
「――ああ! くそったれ、思い出したぞてめえ! よくも夏にムチャぶりしやがったな、あの時てめえに五○口径ぶちこんでやろうと思ってたんだ!」
「――ッ、済まない、またしばらく旅に出る」
「ああッ、待ちやがれ!」
久方ぶりの帰宅もままならず、ゼクトは慌てた様子で踵を返し、衛士はライフル弾を一発だけ手にして彼の後を追っていった。
にわかな平穏。
にぎやかな日々は、それからまだ暫く続く事になる――。
四月二日。
「どうやら、ようやく連中が動き出したらしい」
秋を経て、冬を越え、だが何の進展も見せなかった目標が再び行動をした。
どこかでその情報を手に入れてきたゼクトは、どこかにダイヤルし、誰かと通話した。
――情報は情報として受け取られるだけで活用されず。
「動かねえのか?」
「今回は大丈夫だ」
何を考えているのかにわかにわからなくなってきたゼクトに不安を覚えながらも、衛士はその夜も、気を利かせて隠れ家を後にした。
五月四日。
「あと、四年」
衛士の言葉に、ゼクトが頷いた。
このセリフに意味がわかるのは、この世界にただ一人しか居らず、この約束を守れるのは、目の前の男しか居ない。
「わかっている。少なくとも、貴様の理想的な結末を用意できる筈だ」
「構わねえよ。選択するのはあんたで、オレは適切かどうか、判断するだけだ」
「……なあ、貴様――まさか、この期日は……」
「黙れ、聞きたかねえよ。んな話は」
三六五日が経過――残り一四六○日。