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救済

「貴女だけを、見ていた――」

 過ぎ去る数百の世界を背にして、数千万の時間を無駄にして。

 火焔に身を焦がし、幾億の弾丸を無駄にしながら、過ぎ去った時代の故人を未来で探し続けていた。

 ――そして今、未来より戻った戦鬼は、五○年前の惨劇の中に居た。

 燃え滾る炎に肌を焼かれながら、大気を引き裂くローター音が遠ざかっていくのを聞きながら、拾い上げたカラシニコフの残弾を確認した。

 血にまみれた木製の銃床。焼け付いた銃身、歪んだフレーム、セレクター、六発しか無い弾倉――それでも動くこの兵器に、もはや愛着しか湧かない。

 東南アジアの僻地、既にナパームが大地と共に住居さえも焼き払ったその上で未だ動くのは、目標地点に到達していない愚鈍な兵隊か、この時点で全ての運を使い果たした者だけ。

「――視えずとも、触れ得ぬとも、貴女だけを護りたいと思っていた」

 しかし例外として、その男は無傷のまま立っていた。

 己が未来で創設したPMCの制服を身にまとって、全ての者を救済し、視界に入る全ての者を殺戮しながら、彼女だけを探し続けていた。

 幾百の春夏秋冬を見送りながら、既にこの居ない世界を虱潰しに歩きながら。

「なんで……戻って来た、の?」

 今にも倒れてしまいそうな儚い少女が、固く握りしめたゼクトに応じるように、強く手を握り返す。

 生の実感が――曖昧な記憶に深い境界を刻んだ。

 そうだ、己は生きている。

 己は、彼女を護っている。

「唯一わたしを、守ってくれた女性ひとだから」

「私は、誰も守れてなんか……」

「助けてくれた。だからここに、わたしが居る。だから――貴女が望む、何かを成し遂げよう。わたしが来たのは、その為でもある」

 ぼすん、と鈍い発砲音が響き渡る、その刹那だった。

 同時に振り上がる右手が、肩に汚れた銃床を押し当て、構えた直後に引き金を絞っていた。

 たった一度の反動、たった一発の発射。されどただそれだけで宙空で榴弾は炸裂し、凄まじい衝撃と熱風と爆炎があたりに撒き散らされた。

 大気を舐め尽くす炎の先で、ゆらめいた影が狼狽する動きが見える。不自然な爆裂音に、爆発位置に、スナイパーの気配を覚えたのだろう。

 もっとも、それよりも遥かに厄介な敵が前に居るのだが、彼らは知る由もなく。

 そうして直後、絹を引き裂くような悲鳴が、その目の前から響いてきた。それは紛れもなく機関銃の射撃音であり――炸裂するのは、炎の向こう側で揺らぐ影たちに、だった。

 鈍い、地の底から聞こえるような断末魔。噴出する血飛沫の中で、されど秒間約八発を撃ちこむそれらが標的以外を貫く事はなく、

「誰だ! くそったれ、馬鹿野ろ――」

 悪態すら終わらせてやる情が無く、ブレダから吐き出された6.5mmの鋭い鉛弾が極楽浄土へと誘っていた。

 控えていた五十名が地に伏せてこの世から旅立った。その気配を明確に理解するゼクトが動くよりも速く、その向こう側で揺れ動く影が、担いだ銃から垂れる”尾”を引きずる形のままで歩き出した。

 炎に身を投じて、全壊した瓦礫の上を歩いて、そうしてその影は双眸から噴出する蒼い鬼火で逆光にし、その身を陰影のままにした。

 鼓膜にこびりつく銃声の残響。

 硝煙よりも濃厚になる甘酸っぱい鮮血の臭い。

 軽機関銃を担いだ男は、構えることもなく、ただ悠然と、その上で立ち尽くしていた。

「あんたはもう、一人じゃないだろう」

 いっぱい、たくさん、やまほどに敵を殺してやった。

 この男の運命を守ってやった。未来へと導いてやった。

 この男がもう、あんな糞の掃き溜めのような組織を創設する理由は失せて、そしてこの場に”もう一人”のゼクト・プライムが存在しない以上、彼の能力は純粋に過去に戻る能力ではなさそうだ。

 だから、これから先、彼が機関を造らぬ以上”時衛士”は生まれず、あの家族は家庭を築かない。

 べつだん、それはいいのだ。

 実際の所、そこにそれほどの心配はないし、へたに熟慮してしまうよりは気軽に受け流すほうがいい問題なのだ。

 重大なのは眼の前の男――諸悪の根源である、ゼクト・プライム本人である。

「もう済んだろ。気持ちがいいだろう」

「何が言いたい、貴様――ッ!」

 怒号散らすゼクトを、いなすように衛士は肩をすくめる。

「五年だけ、あんたに時間をやる。五年だけ、オレはこの世界に留まってやる」

「なにが――」

「この世界にゃ要らねえんだよ、永遠を生きる支配者なんて。あんたやオレは、何か間違って神サマの恩恵を受けちまったが、神サマの視界を覗き見てるだけなんだ。なあ、あんたは――この時代で、朽ちていくべきで、オレはそもそも、存在しているべきじゃないんだよ」

 だから、と口が動く。

 そんなのは前置きで、前提で、そういう表向きの話題だった。

 だが何故だろうか、口走った尽くがなんだか正論であるように思えて――さっさと家族に合わせてくれとがなりたてたい衝動が、ゆっくりと腹の奥底へと沈んでいく感覚を覚えていた。

「五年後に、また来る。あんたの停止した時間が動き出すならそれで良いし、あんたがとんでもない下衆でまた時間移動がしたいなら、オレはどこまでもあんたを追って殺しに行く。この世界から、時間から、あんたの束縛から、解放してもらうために」

「だからわたしを、貴様は救済したのか」

「あんたが一番救われるべきで、救われなくちゃならないのは誰の目にも明らかだったろう? 決まりきった時間の流れや、出来事が何百何千なんて、悪夢だろう!?」

 五分間の時間遡行。

 生き残るためにそれを何百何千と行なってきたからこそ、その経験はゼクトに最も近い位置にあった。

 本来ならば遡行した数だけ衛士は死んでいたし、死ねないからこそ何度も死を味わってきた。

 復讐のために。だがそれは手段に過ぎず、彼は過去へと戻りたかった。

 観測者、支配者の力を認識しつつ或る衛士は、つまり彼の”第二セカンド”の素質を得た。

 ここで彼が安寧を選べば全てが万事解決する。ただ衛士は救われずに、己が存在する筈の遥か過去での生活を強いられ、朽ちていく事になる。

 だがゼクトが未来への加速を選べば、衛士は元の時代に戻り――だがゼクトは己が幸福を捨て、再びこれまでと同じ未来を歩むことになるのはほぼ確定的だった。

「だが、それ故に救われるものもあった!」

「てめえは目に入る全員すべてを救うつもりか、ダボが……だったら――ッ!」

 オレを救ってみせろよ。

 そう叫びかけて、言葉を飲み込んだ。

 それは結局のところ己の願望ではあるが、だが今までが救われていなかったと問えば答えは否と出る。

 恵まれた環境で、だが生死の狭間を幾度も移動する戦場で生きたが、そこに不満はなかった。

 弱肉強食の世界であり、だからこそ己を磨くことが出来たし、己を試すことも出来た。仲間にも恵まれたし、己を思ってくれる人もいた。

 彼らの殆どは家族が居なかったし、だからこそ青年の境遇が最悪の不幸だというわけではなかった。むろん、同情の余地がないわけではないが、されど乗り越えるべきではあった。

 そこで青年が過去に戻りたいと口にするのは戯言であり、どちらかと言えば責められるのはその彼だった。

 誰もが望んでそこに来たわけではない。

 だから、甘んじるべきなのだと――青年は覚悟したし、納得もした。

 たった今、だったが。

 苛立たしげに髪をかきむしって、衛士はその場で踵を返した。

「あんたと話していると、オレはどうにかなっちまいそうだ」

 後悔して、また戻りたいあの時だけを夢見て。今決めた、そう思い続けなければならない事さえも揺らいでしまいそうになる。

 ここで己が耐えれば良い。

 世界の誰もが”繰り返し”を認識しなくとも、ここで終わらねばならないのだから。

「――時衛士」

 ゼクトの声が呼び止める。

 同時に、頭上にある左目の”遠隔視”が、油断で身を固めた彼の後方で黒装束の――ちょうど衛士が先程薙ぎ払った男たちと同じ格好の男を数人、捉えていた。

 嘆息し、銃を構えようとして、堪え難い衝動に駆られた。

 ここで放置すればゼクトは死ぬ。その手を握り続ける女と共に。

 それで全てが終えるのだ。

 ここに、ただ三人が不幸に落ちるだけで、世界は新たな展開を見せるのだ。

 甘美な囁き。

 そうしろと、本能が喚く。是非も無し――。

 踏みにじるように、亀裂が走る瓦礫の上で振り返る。

 歯を噛み締める。引きつる笑顔を抑えるために。自己嫌悪を堪えるために。

 だから振り返って、照準した。

 後悔のないように引き金を絞った。それ自体は、容易かった。軽機関銃の予想以上の反動も重さも、それのせいで敵を捉えられなかったわけでもなかった。そもそも、元スナイパーである彼の手が狂うことは、早々無かった。

 ゼクトが言葉を失う。

 背後で控えた女が悲鳴を押し殺した。

 十メートル先で、血花が咲き誇る――次いで控えていた通信兵が、無線機に悪態を叩きつける中で胸に八発の銃弾を飲み込んでいた。

 薬莢が宙空で回転しながら落ちていく。

 硝煙が上がり、マズルフラッシュが視界でやかましい。

 分間五○○を放つブレダがやがて、十数秒の内に四名の伏兵を血祭りに上げていた。



「時衛士!」

 小隊規模の援軍が街に駆けつけた時、青年は既に街から離れ、放置されたジープに乗り込んでいた。後部座席には弾薬や手榴弾を詰め込んだ木箱が収まっていて、衛士は乱雑に、その上にブレダM30軽機関銃を投げ込んだ。

 後部座席のドアを開けたのは女であり。

 ドアも開けずに助手席に飛び乗ったのは、やはりゼクトだった。

 挿しっぱなしのキーをひねれば、車体が震え、エンジンが唸る。

 初めて握るハンドルに手を添えて、衛士は迷いなくアクセルをゆっくりと踏み込んだ――が、動かない。エンジンが勢い良く唸り、排気が噴出するだけだった。

「なんで着いて来るんだ」

 空々しい問いに、ゼクトは手を伸ばしてただエンジンを切り、

「ブレーキを踏め」

 言われるがままに、横に長いペダルを踏み込む。

「クラッチを踏め」

 指示されるがままにエンジンをかけ、ギアを操作し、ハンドブレーキを下ろし、クラッチを操作し――ようやくアクセルを踏み、車を動かす。

 ほっと胸をなでおろし、安堵を噛み締めた。

 荒野の乾いた風が肌を撫で、額に浮かんだ汗を拭い去っていく。

 右手側の山々から顔を出す朱い日差しが、眩く辺りを照らし始めた。

 追い出されるように過ぎていく藍の空を視界の隅に収めながら、熱気から離れて冷える頬に軽く触れる。

 胸いっぱいに吸い込んだ息を吐き出せば、それからようやく、ゼクトは口を開いた。

「勝手に連れてきてすまなかった」

 告げるのは、後部座席の女に対して。

 彼女は驚いたように目を開けてから、ぶんぶんと空気を切って首を振った。ススまみれの長い黒髪は、屋根のない車内では常に後ろへと尾を引き続けていた。

「いえ、とんでもないです。むしろ、本当に着いてきても良かったのかな、なんて……」

「貴女さえ良ければ、どこへでも」

「……ありがとうございます。本当に」

 浅黒い肌は薄汚れていながらも、あの戦場に居たという実感は、彼女の姿からは湧かなかった。

 琥珀の瞳を潤わせて、彼女は深く頭を下げる。

 それを見て頷いたゼクトは、やっと座席に深く座り込んだ。

「どこへ行くつもりだ」

「知らねェよ。つかどこだ、ここは」

「タイの僻地だが」

「タイ? ……バンコクか」

「合ってはいるが、イコールで考えるな」

「うっせえ、不満なら降りろ。金もねえし、走れるところまで走ったら徒歩だし」

 嘯いて、ドアに肘を乗せて片手でハンドルを操作する。色気のない灰色がかった黄土色の景色を眺めながら、舗装というよりはただ”ならされた”だけの道路を進んでいく。景色が過ぎ去っていくのだが、そこに目立った変化はない。

「あ……わたし、お金ありますよ」

 と告げるのは、後ろの女だった。

「ご、五万バーツ、ほど。全財産です」

「五万……バーツ? って、幾ら?」

「だいたい私の年収くらいです」

「ならガス代だけ、出してもらおうか。当面の」

 ――遠くから、ゆっくりとした速度でローター音が近づいてくる。

 恐らく援軍が、この車を発見したのだろう。

 衛士は嘆息して、この五分以内にはまだ掃射が無いのを確認した。

「さて、どうするつもりだ――ああ、今後の話な」

「今後……貴様が言ったように、わたしが死なねば根本的な解決にならぬように、やはりこの戦いを凌いだだけでは、全てが終わったとは言い難いのだよ」

「ほう?」

「あとで分かることだが、こいつには政治活動が関わっている。そして今回の暴動も”自作自演”だということもな」

 当初は右翼の過激派による暴動テロだと思われていた分、その事実は十分驚愕に値したが――徐々に今回の事件が影に消えていく事に不信感を覚えた記者が掴んだ情報だった。

「そりゃあ……穏やかじゃねえな」

「ああ――最終的にはとある政党の歴史が消滅する事で終わるわけだが」

「おいおい、ちょっと待てよ。なんだ、この話は? オレは政治なんかにゃ興味ねえし、他国ならなおさらだ。知ったこっちゃねえんだよ、マジで」

「だから、我々は」

「うっせえ、黙れ、言うんじゃねえ!」

「連中の指揮下にある全ての軍隊を無力化し、無駄に流れる血を防ぎたい」

「だったらあんた――」

 頭上から、大気を引き裂くけたたましい破裂音が連続した。

 ローター音は気がつけばすぐ背後に迫っていて、辺りの大地が砂煙を上げて穴が穿たれ始めていた。

「クソッ、ボーイズがあればなあ! なんとかしろよ、元同僚だろ!?」

「バカ言え、あれはアパッチだ」

「はあ!?」

「うちの軍の攻撃ヘリではない」

「ふざけんな、くそったれ! あんた任せたぞ!」

 後部座席、箱の上で縮こまる女は耳を塞ぐようにして頭を下げ。

 振り返ったゼクトは、すぐさま弾帯が繋がったままの軽機関銃を拾い上げた。

 ――その直後、突如としてシートに押し付けられるような衝撃がのしかかり、停止したタイヤが削る乾いた大地が砂煙を上げて、視界を覆い隠していった。

「ああ、クソ! ジープなんかじゃなくて、ヘリ拾ってくればよかった」

 停止したジープから飛び降りて、木箱から手榴弾を幾つか取り出す。

 砂煙の結界から迷わず飛び出れば、残弾など気にしない機銃掃射が襲いかかり――双眸から鬼火が溢れる。感覚が、加速した。

 ドアガンナーと視線が交差する。

 力任せに安全ピンを引きぬいた手榴弾を、衛士は構わず上空、ヘリめがけて投げ込んだ。

 現実に反映される速度は、時速にしておよそニ○○キロ――メジャーリーグなんて目じゃない豪速球は瞬時にしてヘリとの距離を縮めて肉薄。やがて零になり、内側の壁に勢い良くめり込んだ。

 さらに二発目、三発目が容赦無くヘリの外装に炸裂し、最後にローターに触れた瞬間。

 全てが同時に、眩い爆炎の破裂と共に、凄まじい衝撃がヘリの全てを、尽く破壊していた。


 割合に遠くで墜落したヘリが、さらにガソリンや弾薬に引火してまた爆発する。

 それが確認されたのは、またジープが走りだしてから数秒経ってからの事だった。

「さて、どうするよ」

 幾度目かの問い。

 衛士は”五年の猶予をやる”と言った以上、もはや彼らが何をしようが勝手だったが――あまり馴染みのない国で、政府を相手にドンパチやることなどには決して付き合いたくはなかった。

 ましてや軍隊である。

 勝ち目は皆無と言えよう。

「まずは近くの村で、宿をとろう」

「いい案だ、冴えてるな、あんた。インディ・ジョーンズにでもなったほうがいいんじゃないか?」

「茶化すな。このまま道なりに走っていればいずれ着く。昼前くらいには間に合うだろう」

「なあ、わかってるだろうが……五年の猶予だし、そもそもオレは、危ない事には付き合わねえからな――」



 時衛士の叫びは果たしてどこまでしても彼に通じる事はなく。

 またどうあっても、青年はそこに付き従ってしまった。

 一時の、なんにしても己の宿命と未来の惨劇を忘れるために、過去に起こる惨劇の契機となっても構わない――とは決して思っていたわけではないのだが。

 かくして彼らの旅は始まり――全ての終わりが、始まった。

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