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クロックワーク・アリバイ 〜裏社会の天才時計技師、自分が作った「鉄壁の不在証明」を法廷で解体する〜  作者: 六井求真


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第50話:公開実演の準備~法廷に運び込まれた現場の大時計~

講堂の側面搬入扉が軋んだ音を立てて全開となり、車輪付きの頑丈な木製台車に乗せられて運び込まれてきた巨大な物体に、全記者たちの視線が一斉に釘付けとなった。

 それは、重厚な最高級ウォールナット材のキャビネットに、葡萄と百合の繊細な真鍮象嵌が施された、高さ二メートル二十センチを超える堂々たるフランス製古時計――。

 かつてパリの高名な宮廷時計師が手掛けた、バローニ侯爵邸のジュリアンの書斎の暖炉脇に鎮座していた『大型振り子時計(グランドファーザー・クロック)』紛れもない現物だった。

 ガラス扉の奥には、美しく磨き上げられた黄金色の真鍮振り子(ボブ)と、二本の重厚な鉛の重錘(ウェイト)が静止したまま吊り下がっている。文字盤の上部には、青いエナメルに金箔の星々が散りばめられたムーンフェイズ(月齢表示盤)が、冷ややかに講堂を見下ろしていた。


「ば、馬鹿な……! 現場検証済みの警察押収品が、なぜここにある!?」

 ボールドウィン局長が目を剥き、演壇から身を乗り出して叫んだ。

「私が最高検察総長の特別保全令状に基づき、警察の証拠品中央保管庫から正式に徴発したのです」

 エルネスタが冷然とした視線で局長を射抜く。

「この時計は、バローニ侯爵毒殺事件における最大の論点――被疑者ジュリアン卿の『鉄壁の不在証明』が生み出された現場そのもの。真実を白日の下に晒すため、これ以上の証拠品はありません」


 講堂の壇上中央には、鑑識員たちの手によって特大の可動式黒板と、白色のチョークが手際よく運び込まれた。

 さらに、壇上の袖には、強力な炭素アーク灯を備えた巨大な光学幻灯機(プロジェクター)と、講堂の白い漆喰壁へと光を反射させる大型の真鍮製凹面鏡が据え付けられた。講堂の最前列には、警察本部の筆頭鑑識官をはじめとする科学捜査のエリートたちが身を乗り出し、何が始まるのかと息を潜めて見守っている。

 まるで、厳粛なる警察本部の大会議室が一瞬にして、最高学府の公開物理実験室へと塗り替えられたかのようだった。


 シオンは着ていた黒の作業用コートを無造作に脱ぎ捨て、黒革の職人エプロンを身に纏うと、演壇の上に年季の入った真鍮の時計工具箱を据えた。

 カチャリ、と澄んだ金属音を立てて開かれた三段式の工具箱の中には、刃先の厚みがコンマ零五ミリ単位で異なる十数本の精密マイナスドライバー、先端を極限まで研ぎ澄ましたスイス製ピンセット、数種類の特殊鉱物油が満たされた遮光ガラスの小瓶、そして宝石鑑定用のキズミ(拡大ルーペ)が、狂気的なまでの幾何学的整然さで整列していた。

 職人が長年かけて磨き上げてきた道具たちの無言の気迫に、記者席の誰もが圧倒されていた。ジュリアンは背筋を走る冷たい戦慄を抑え込もうと、唇を噛み締めていた。


「ジュリアン様、そして報道陣の皆様」

 シオンはキズミを右目に嵌め、白墨(チョーク)を指先で軽く弾いた。

「あなたがたは先ほど、『警察鑑識の顕微鏡検査で時計に異常はなかった』とおっしゃいました。ええ、鑑識の方々がそう判断されたのは至極もっともです。なぜなら、歯車の歯は一枚たりとも欠けておらず、翌朝警察が臨場した際には、寸分の狂いもなく正確に帝都標準時を刻んでいたのですから」

 シオンは振り返ると、黒板の中央に鮮やかな筆致で数式を書き殴った。


 \[ T = 2\pi \sqrt{\frac{L}{g}} \]


「これは、ガリレオ・ガリレイが発見した『単振り子の周期の公式』です。時計の進み遅れを決めるのは、重力加速度 \(g\) と、振り子の長さ \(L\)――この二つしかありません。重力を変えることは神にしかできませんが、振り子の長さ \(L\) を操作することは、物理の法則を理解している人間ならば容易に可能です」

 シオンはチョークを走らせ、滑らかな曲線で大時計の内部構造、脱進機のガンギ車、アンクル、そして暖炉から立ち上る熱の対流を示す矢印を、驚異的な速度で描き出していった。

「私が施したのは、歯車を曲げるような粗雑な細工ではありません。【室温の急上昇に伴う黄銅振り子の熱膨張】、そして【微細金属粉の酸化熱による摩擦係数の時間変動】――この二つの物理現象を完璧に連動させ、当夜のわずか二時間の間だけ時計を正確に遅延させ、暖炉の火が消えると同時に完全な正常状態へと復元する、時限消滅型の不在証明トリックです」


「で、出鱈目を言うな!」

 ジュリアンが演壇を拳で叩いて立ち上がった。その端正な額には、大粒の脂汗が滝のように滲み出ている。

「そんな都合のいい手品が、現実の機械で起こるはずがない! 妄想だ! 貴様の頭の中の戯言にすぎん!」

「戯言かどうかは……この時計自身の内部に刻まれた物理の痕跡が、すべて証明してくれますよ」

 シオンは薄く微笑み、工具箱から最も細い精密ドライバーを取り出した。

 そして、大時計の前面のガラス扉を静かに開け放ち、黄金色に輝く巨大なムーブメントの前に立った。


「これより、ジュリアン様が絶対の神聖不可侵と信じ込んだ『鉄壁のアリバイ』を、この手で完全に解体してみせましょう」

 シオンの刃のような宣告とともに、歴史に残る公開解体実演の幕が、今、切って落とされた!

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