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第1話 最終滑走 もしオリンピックで4回転アクセルを二本降りる奴がいたら


『カナダ、ブライアン・ライルズ、始まりました』

 実況の声が広い会場に響いた。

 長方形に区切られたアイスリンクの氷の上を、目が醒めるようなスピードで滑るブラウンの髪をした小柄な青年がいる。

 いくつものカメラとセンサーがそれを追尾した。 

 オリンピック男子シングル、フリースケーティング最終滑走。

 四方を取り巻く観客がリンクの上のたった一人を視線で追った。

 静かな熱気に満ちた観客席を眺めたのち、尾堂は関係者席の最前列に腰を降ろしたまま手元のタブレットの画面を確認した。


予定構成

1 4Lz+3T

2 FCSSp3

3 4F

4 4S

5 ChSq1

6 3Lo

7 4Lz

8 CCoSp4

9 3A+3Lo

10 StSq3

11 4A

12 CSSp4


 狂った構成だな。

 タブレットの採点AIが高速で計算し始めた数値を確認しながら、ありえないほど高難度の予定構成を見て尾堂は薄く笑った。


 実況席、アナウンサーの真田が朗々とした声で解説を始めた。

「さあ、始まりました。カナダのブライアン・ライルズ、20歳。

 かなり攻めたジャンプ構成です。高瀬さん、どうご覧になりますか?」

「そうですね……」

 真田の隣に座った女、高瀬遥が少し考えるように言った。

「かなり勝負をかけてきたな、という印象です。

 特に後半ですね。ジャンプの要素が少ないかわりに一本一本が重いです。

 特にラストのジャンプに最高難度の4回転アクセルを入れてきました。

 体力的にも相当な負担があるかと思います。

 全体的に少し珍しい構成ですが、彼の強いこだわりを感じますね」

「なるほど。現在4回転アクセル成功者は世界で彼だけですから、オリンピックで何としても成功させたいのかもしれませんね。

 ──さあ、最初のジャンプです。

 まずは4回転ルッツと3回転トウループのコンビネーション。

 非常に難しい組み合わせのジャンプです……っ!

 決まった! 続いてフライングキャメルスピン」

「とても良いポジションです。

 回転も速いです。

 レベルもしっかり取れそうですね」

 高瀬が落ち着いた声で言った。

「続けて、4回転フリップ、4回転サルコウ、4回転の単独が二本続きます。

 今、コンビネーションジャンプの速報値点数がでました。

 冒頭のコンビネーションで20点近く入っています」

 リンクの中央近くでブライアンが軽やかにジャンプを跳んだ。

 観客達が歓声を上げる。

「高さ、幅ともに素晴らしいです。流れもいいですね」


 尾堂はタブレットの採点システムの画面を見た。

 Trace-Σ:計算結果

 4Lz+3T

 基礎点:11.50+4.20

 GOE:3.0

 合計点:18.70


 真田が今日何度目かのアナウンスをした。

「なお、こちらの速報値は放送局独自採点映像システム、IceView(アイスビュー)のものとなります。

 正式な点数は、四年前から正式導入され、オリンピックでは今回の大会が初めて使用される超高精度AI採点システム、Trace-Σ(トレース-シグマ)によるものになります」

「こちらAI採点システムは元男子シングル世界王者の尾堂稜さんが関わっていることでも有名ですね」

 合いの手のように高瀬が続けた。


 尾堂は隣の座席に置いていたショルダーバッグに散らばった荷物を詰め込んで肩にかけた。

 オリンピックの男子フリースケーティングがそろそろ終わる。

 現在の演技が終われば、男子シングル競技でのTrace-Σの今回の運用は終わりだ。

 尾堂は杖で身体を支えて椅子からゆっくり立ち上がった。

 最後まで見届けたいが、試合終了後の喧騒に巻き込まれては足の悪い彼には都合が悪い。

 通路に出て会場出口に向かって歩き始めた。


「ここから演技も後半に入ります! ここまでミスはありません」

「後半にジャンプを三つ残していますね。後半は基礎点が上がりますのでこの三本は大きいです。

 全て成功したら非常に高い得点源になりますね」

 実況解説を続ける二人の目の前でブライアンが高く跳びあがるが、途中で回転の軸が曲がった。

 スピードそのままに彼の身体が氷に叩き付けられた。

「四回転ルッツ! 

 ……ああっ、転倒してしまいました。

 すぐに立ち上がって次のジャンプに向かいます」

「タイミングが合わなかったみたいですね……。 

 ここにきて転倒があったのは厳しいです」

 悔しそうに言う高瀬。

 振り切るように真田が叫んだ。

「切り替えられるか⁈ 

 さあここで、彼の得意な3回転アクセル、3回転ループのコンビネーションジャンプ、試合での成功率は98%です。跳んだ!

 ……惜しい、身体が解けてしまいました。」

「3回転アクセルがダブルアクセルになってしまいましたね。

 セカンドの3回転ループもつけられませんでした。

 この流れですと、次の4回転アクセルを成功させても優勝は難しい……」


 関係者ゾーンの通路を尾堂は杖をつきながら進む。

 途中で会う関係者に会釈をしながら歩いた。

 時折ちらちらと彼をみる人に気づかないふりをする。

 尾堂はリンク脇で立ち止まった。

 次の予定は4回転アクセル。

 現在、世界で彼にしか跳べないジャンプだ。

 ……残念だな。このジャンプで金メダルが欲しかっただろうに。

 尾堂はリンクのブライアンを見つめた。

 そして、彼の眼に宿る色にはっとした。

 ──まだ、諦めていない。

 ブライアンがリンクを凄まじい速さで滑り、ジャンプの軌道に入る。


「さあ、人類で彼にしかできない4回転アクセルです!」


 ブライアンが力強く氷を蹴り上げ、高く跳び上がる。

 ──4回転アクセルを着氷した。

 尾堂はふと、彼と眼があった気がした。

 歪む顔の、その勁い光。

 そのまま、間髪入れずにまた跳んだ

 ……嘘だろ。

 尾堂は唖然とした。

 観客席から絶叫が上がる。 

 実況の真田がパニックになって叫んだ。

「4回転アクセル! ──続けて、えっ? まって、もう一回⁈

 4Aです!! 4Aです!!

 えっ、えっ! みなさん見ましたか⁈

 4回転アクセルを2回跳びました!! 予定構成を大幅に変えてきた!

 信じられない!オリンピックで人類史上初の4回転アクセル二本のコンビネーションです!!」

 しばらく絶句したのち高瀬は裏返った声を絞り出す。

「…………っ! 

 とても驚きました。

 そう、後半の得点源であるジャンプは三つのみ。

 そのうち二つはミスで消化してしまった。確実に優勝するためには点数がどうしても足りない。 

 だから、4回転アクセルを二回跳ぶしかなかった!」


 尾堂ははっとしてショルダーバッグからタブレットを取り出そうとした。

 走ってきた人にぶつかってしまった。

「あ、すみません!」

 杖を落としふらつき、リンクの仕切りに尾堂は掴まった。

 なんとかタブレットは死守してその場に座り込む。

「おっ……と」

「おい、何してんだ! 早く来い!」

「すぐいきます! 

 っ、すみません、ぶつかって。大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です。ご心配なく」

「あ、杖……!」

 がたいの良い若い男が慌てて弾き飛ばされた尾堂の杖をわたわた拾って丁寧に差し出してくる。

 尾堂が受け取ったのを確認すると勢いよく頭を下げた。

「本当にすみませんでした!」

「ああ、いや。テレビ局の方ですよね? 

 もう行ってください。本当に大丈夫なので。連れの方、行っちゃいますよ」

「あ……! すみません! 失礼します!」

 再び頭を下げて身を翻すと、凄まじいスピードで男は走り去って行った。

「……速いな」

 ぽつりと呟く尾堂。

 いや、それどころではない、と視線を戻す。

 ブライアンはリンクの中央に移動して最後の足換えコンビネーションスピンを回り始めた。

 会場の観客達が大歓声と共に席を立ち上がり、万雷の拍手を贈りはじめた。

「……さあ、史上初の4回転アクセル二本のコンビネーションジャンプ! 

 オリンピックの舞台でやってのけました!!

 カナダ、ブライアン・ライルズ!!

 男子シングル金メダルへ!!

 今、人類に新たな歴史が刻まれます!!」

 声を枯らして声を絞り出す実況。


 尾堂は、一瞬、強く、眼を閉じた。

(……そして、皆、消えていく)


 音楽が終わる。

 リンクの中央で力尽きたようにブライアンが氷にゆっくり倒れ込む。

 その彼の背中目がけて無数の花束やぬいぐるみが観客たちから投げ込まれる。


「現在、放送局採点システムIceViewの速報値は暫定トップのTES、技術点を大幅に上回っています!」


 ブライアンが氷に強く拳を押しつけたあと、身体を起こす。

 気の抜けたような微笑みを浮かべて観客席の全方面に向けて挨拶をする。

 そのたびに一際大きな歓声と拍手が巻き起こった。

 いくつかの花束を両手に持ってブライアンがリンクの出入り口に向かう。

 尾堂が現在いる、関係者向けの通路がにわかに騒がしくなった。

 一斉にテレビ関係、スケート連盟の集団が移動し始めたのだ。

 ブライアンが点数を待つキスアンドクライに向けて人々が集まり始める。

 尾堂はタブレットを鞄に押し込んだ。

 今度こそ杖をしっかりと握って関係者向けの出入り口に向かう。 

 急いで移動しなければ、冗談でなく身動きがとれなくなりそうだ。

 大きな機材を持って駆けつけようとする人波に今度こそ衝突しないように通路の端によって慎重に進む。


 ブライアンはキスアンドクライのソファに腰を降ろしてペットボトルの水を激しく嚥下する。

「どういうことだ?」

 彼のコーチが呆れたように言った。

 500mlのペットボトルをあっという間に飲み干したブライアンが、肩に掛けたタオルで顔と首をの汗を拭いながら返した。

「どういうことって?」

「何で4A二本なんだ? 

 今まで成功したことないだろう?」

 ブライアンは二本目のペットボトルをコーチにねだりながら笑う。

「え、別に。 

 4Lzこけてやばいと思ってたらいける気だった3A3Lo駄目だったし、4A普通にやっても絶対点数足りないし。

 だったらいっそもう、一か八か? てやったんだけど。

 成功して良かったよ。

 ──すごいね。オリンピックの魔物って本当にいるんだ」

「全く……」

 コーチは畏れとも喜びともつかないような表情で額を手で覆い、もう片方の手で追加の水のペットボトルをブライアンに押しつけた。

 二人のやりとりが会場の大型モニターに映し出される。

 観客や関係者、その場のほとんどの人々がブライアンの様子を伺う。

 いつ採点が発表されるかと落ち着かないそわそわとした空気の中、その視線に気づいたブライアンが自分の映るモニターに向かって朗らかに大きく手を振った。

 一際大きな歓声が上がった時、会場アナウンスが始まった。

『ただいまの演技の得点をお知らせいたします』

 会場が一斉に静まりかえった。

 ブライアンも笑みを消して無表情でスコアボードを見下ろし、黙り込む。


『フリースケーティングの得点、185.00点。

 総合得点295.00点。

 ただいまのところ、第2位です。

 この結果、今大会の優勝はアメリカ、コール・ヘンドリクス選手に決定いたしました』

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