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沈黙のういザード  作者: サファイロス
4章 昇華のブリザード

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第22話 静かなラウンジ、心の温度差

 関西国際空港。

 国際線フロアの奥にある、静謐なファーストクラスラウンジ。


 外の喧騒とは対照的に、厚い絨毯がすべての足音を吸い込み、低い照明が昼の光をまるく包み込んでいた。


 ソファ席は深く、流れる音楽は控えめで、まるで五つ星ホテルのラウンジのような空気が漂う。


 その奥の丸テーブルで――

 千秋と石田が向かい合っていた。


 紅茶の香りが、緊張で強張った千秋の胸を少しずつほぐしていく。


「……ふぅ……少し落ち着きましたわ」


 千秋はそっと視線を落とした。

 膝の上には――あの日、憂が不器用に縫った手袋。


 高級ブランドの手袋が似合う身分なのに、

 千秋は迷いなく、この手袋を身につけてきた。


 糸はほつれている。

 縫い目は揃っていない。

 けれど指先を包む温もりは、どんな高級品にも負けなかった。


 石田はその手袋を見て、深い慈しみを滲ませて微笑んだ。


「……憂様の手作りでございましたね」


 千秋は、胸の奥がきゅっと熱くなるのを感じながら、手袋をそっと握りしめる。


「ええ……粗は多いのに……不思議ですわ。つけていると……胸の奥が、ほんのり温かくなるのです」


 言葉にした途端、胸の奥がふるりと震えた。

 寂しさと温かさが同時に込み上げてくる。


 ガラス越しには、整備中の飛行機。

 白い機体が陽を反射し、ゆっくりと影を伸ばしていた。


(……日本を離れたら、しばらくは……戻れませんわね)


 雪乃に託された続き。

 音楽の道。

 未来。


 胸に刻んだ覚悟が揺らぐわけではない。


 だが――


(憂さんに……会えなくなってしまいますもの)


 昨日までいつも隣にいた温度が、突然ふっと消えてしまう未来に胸が締めつけられた。


 その時、石田がそっと紅茶を置き、姿勢を正した。


「千秋様。ひとつ、お話ししてもよろしいでしょうか」


 千秋は顔を上げる。


「寂しさは、決して消さずともよいのです。寂しいというお気持ちは、大切な方を深く愛している証でございますから」


 千秋は目を瞬く。


「……わたくし、そんなに……顔に出ていましたの?」


「はい。ですが――それは悪いことではございません」


 石田はゆっくり続けた。


「千秋様。これからあなたが歩まれる音楽の世界は、実に厳しい場所でございます。大人たちは容赦なく評価を下します。若い才能に対しても妥協はなく、正しさよりも結果を問われる場面も多々ございます」


 石田の声は穏やかだが、現実の壁を知る者の重さがあった。


「言葉の壁もございます。文化の違いもございます。音楽もまた競い合う世界であり、プロの舞台は、選ばれし者しか立てません」


 千秋は静かに手袋を握りしめる。


「……分かっていますわ。簡単な道ではないということくらい」


 すると石田は、温かな眼差しで千秋を見つめた。


「ですが――千秋様なら、必ず乗り越えられます」


 千秋は胸が跳ねるような感覚に包まれた。


「あなた様は、甘さを知りながらも前を向けるお方。恐れを抱きながらも一歩を踏み出せるお方。そして何より――人の想いを音にできる稀有な才能を、お持ちです。心配には及びません。わたくしは、これからも千秋様の傍におります。言葉の壁も、音楽の荒波も、すべて共に越えてまいりましょう」


 千秋の胸が、ほっと温度を取り戻していく。


「……石田さん。ほんとうに……心強いですわ」


「お任せくださいませ。

 千秋様が迷わぬよう、努めて参ります」


 ラウンジの静寂が、まるで千秋の決意を包むように深まっていく。


 搭乗アナウンスはまだ流れない。


 だが千秋は、少しだけ強くなれた気がした。


(憂さん……あなたの手袋と、この決意を胸に。わたくし、必ず未来を掴んでみせますわ)


 千秋はそっと息をつき、手袋を指先で整えながら、滑走路に並ぶ飛行機の影を静かに見つめた。

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