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沈黙のういザード  作者: サファイロス
4章 昇華のブリザード

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第24話 二人目でいいから、そばに

「最後に――千秋」


 その名前が、優しく空気を震わせた瞬間、

 千秋の肩がぴくりと震えた。


「あなたと過ごした時間は、

 私にとって“音楽”そのものでした」


 雪乃は言葉を紡ぎながら、

 ほんの少し目を伏せる。


「私たちの師弟関係は……

 本当に短いものでした。

 けれど、その短さが怖くなるほど――

 濃くて、尊くて、愛しい時間でした」


 千秋の頬を伝う涙が、

 ぽた、ぽた、と床に落ちる。


「あなたを導きたかった。

 でも……途中から、

 救われていたのはずっと私のほうでした」


 クリスマスのリハーサル、

 あの言葉が胸に蘇る。


『好き、です……愛しています』


 届かないと分かっていた恋。

 それでも――確かに贈られた、あの温度。


「告白してくれて……ありがとう」


 千秋は息を呑み、

 両手を震わせながら口元へ持っていく。


「あなたの想いが、

 私の“冬”を照らしてくれました」


 雪乃は、涙を零しながら微笑む。


「あなたは、最高のライバルで――

 私の、最後の希望でした」


 声が震える。

 けれど、その震えこそが真実だった。


「だから、私は……とても幸せ者です」


 雪乃は、ゆっくり深呼吸をひとつ置く。

 ステージの光を浴びながら、

 憂の身体を借り、静かに告げる。


「もう、思い残すことは……ありません」


 その瞬間――


「いやです!!」


 鋭く、抑えきれない叫びがホールに響いた。


 千秋が立ち上がっていた。

 涙で顔を濡らし、

 感情の歯止めが外れた声。


「お姉様……消えないでくださいまし!!

 もっと楽しい思い出を……

 もっと、一緒に――!」


 震える両手。

 掴みたいのに掴めない、空を掻く指先。


「わたくしは、あなたとまだ……

 話したいことが山ほどありますのに……!」


 雪乃はその姿を見つめ、

 堪えるように笑って――首を横に振る。


「千秋」


 呼んだだけで胸が痛む名前。


「ありがとう。

 そう言ってくれるだけで……十分だよ」


「十分なんかじゃ、ありませんわ……!」


 千秋は、ドレスの裾を握りしめる。

 一歩踏み出したら――

 そのまま雪乃を抱きしめてしまいそうで、

 怖くて、動けなかった。


「じゃあ――最後に、一曲だけ」


 雪乃は憂の身体を操り、ピアノへ向き直る。


◆


 譜面台には、薄い紙が一枚。

 たった一ページ分。

 消え入りそうな音符が並んでいた。


(これだけで、いい。

 だってこれは――千秋へ託す季節)


 雪乃は鍵盤に指を置く。


 最初の音は、落葉の音。

 ふわりと舞って、静かに着地する。

 その儚さを、確かに心に残して。


 ウィザードの春が微笑む。

 遠くで、あの日の柔らかい合奏が聞こえる。


 ハザードの夏はもう怒らない。

 情熱として胸の底で息づいている。


 ブリザードの冬は深く沈黙し、

 未来の試練をただ静かに示している。


(千秋。

 これは……あなたの季節)


 雪乃の指先が語りかける。

 秋風のように温かく、

 涙に似た優しさを含んだ音。


 短い旋律。

 しかしその一音一音が、

 千秋の未来へ続く階段だった。


「あなたは――これから、

 自分の“秋”を生きる人だから」


 雪乃は言葉にせず、音で伝える。

 この音を胸に刻んで、

 千秋はまた一歩進む。


 ページの終わり――

 曲はふっと途切れた。


(続きは……あなたが書いて)


 最後の和音が消えると同時に、

 ホールには静寂が満ちる。


 それは絶望の沈黙ではなく――

 新しい幕が上がる前の、静かな呼吸。


 雪乃は鍵盤から指を離す。


◆


 千秋の胸の奥から何かが溢れた。

 全てが終わってしまう痛み。

 それでも歩けと言われた未来。


 彼女は震える声で呟く。


「……まだ、まだですわ……

 わたくし、受け取れませんわ、そんな終わりかた……」


 涙が足下に落ちる。

 滴が音になり、

 千秋の心が軋んだ。


「お願いです……っ」


 声が裏返る。

 喉が焼ける。


「わたくしの全部を差し出しますわ!!」


「才能なんていりません……

 誇りも立場も……

 未来すらどうなっても構いませんわ!」


「ただ――」


 なおも言葉を紡ぐ。


「ただ、お姉様がそばにいてくだされば……

 それだけで……生きていけるのです……!」


 雪乃の目が潤む。


「友だちでもいい……

 二人目でもいい……

 影でも、代わりでも……

 どれでもいいんですの……!」


「どうか……

 わたくしを、ひとりにしないで……」


 千秋は震える手を伸ばす。

 触れられぬと知りつつ――伸ばすしかなかった。


 雪乃はそっと歩み寄り、

 千秋の目の前へ。


 届かない指先と、届きすぎる想い。


「千秋」


 深い冬を照らす、最後の微笑み。


「大丈夫。

 あなたはもう、ひとりじゃない」


「いや……っ!!

 いやです……っ!!」


 恋の全部をかけた拒絶。

 祈り。

 叫び。


 雪乃は胸元を押さえた。

 憂の心臓が悲鳴のように脈打つ。


(千秋……

 こんなにも愛してくれて……)


「さよならの先で、また会おうね」


 その言葉は、祝福であり――

 断頭台の刃のように鋭く美しい。


 千秋の膝が崩れ落ちた。

 床の上で叫ぶことしかできなかった。


(いや……行かないで……

 わたくしの……お姉様……)

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