華出井 葵(12)と願いの井戸 53
影は、京護の足元から服に混ざり合いながら這い上がる。一部は、足もとで蠢いている。
【ねがう】
声は意外に小さい。
【オチル】
京護が驚く間にも、影は形を変えていく。小さな爬虫類の四つ足。
【ねがえ】
平たい体に尾。目のある場所に眼球は無いが、シルエットとしては、ヤモリの集合体になっていく。
【カナウ】
止める事も出来ない速さで、ヤモリの1匹が、京護のパーカーから小さな身を乗り出す。
顔の部分を、正面にいる甚八に向けた。
影は制限を受けて、何もできない。
知っていても、影に首を貫かれた時を思い出してしまい、体が動かない。
影の身は小さい。影は京護の傍から離れないまま、まるで耳元で囁くように甘言する。
【なに シル】
足元の小さなヤモリは、背中に一つ目を浮かばせる。
【なに シ りた イ】
「違うっ」
すぐに強めの風が拭いた。
風は、人には聞こえない影の言語だ。
周囲には、部屋に入り込んだ風の悪戯のように服が舞うだけでも、京護には聞こえた。
【【こいつも親の子だ同じ底なしの知りたがりだ】】
「同じじゃないっ」
ほぼ重なる形で、二人はそれぞれ否定する。
違う、と甚八は叫んだ。
父親の事で願った筈なのに、血筋に絡まる呪いのような性根を、影は見透かしている。
同じじゃない、と京護も叫ぶ。
影の子として扱われ、人権の消えた5年間に、甚八は関わっていない。
それでも影は、京護の中で燻る猜疑心を拾った。
二人共、影に、己の暗い感情に支配されまいと抗った結果、客室ホールでむやみやたら叫んだ人となる。
ホールはシンと静まり、注目を一身にあびる羽目になった。
床にいた1匹のヤモリ型の影が、嘲笑うような口を背中に開けてから、京護の足元に自ら消えた。
パーカーから出た方も、消えている。
後に残ったのは、現状に気づいた二人。




