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隣国王子にさらわれたのは“国ごと”でした  作者: 妙原奇天


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9/11

第9話 本隊到着前日、“保護”の定義を広場で決める

 朝。鐘を二度、短く一度。広場の空気は張り詰めているのに、どこか落ち着いていた。契約は骨になり、偽札は晒され、貨納は流れを作った。残る大物は——監査本隊。


「今日の議題は三つ」

 私は掲示板に紙を貼る。

〈一、監査座席図の公開(“列優先席”)

 二、任意協力者の一時保護の運用規程

 三、目盛り板の“監査版”設置〉


 ミラが隣で紙端を押さえ、皮肉を一度だけ息に溶かした。

「二番目で揉めます。“保護”は、誰のための言葉か、で」

「だから定義を広場で決める」

「はい。言葉は約束の最小単位」



 座席図は石畳の上に書いた。チョークで白い長方形を描き、監査員席、証人の列、記録台、外窓、会計箱、公水栓への導線まで線で繋ぐ。

「“列優先席”は、赤札の列に並んでいる人から十名を、交代で。怒号ゼロの証人席」

 ガレスが腕を組み、頷く。

「盾を持つ場所もここだな。『怒鳴らず・追わず・二人一組』で座を囲う」

「囲みすぎると“保護が拘束に見える」

 ミラの指摘に、私は線を一本消した。

「半円にする。背は広場に開く」


 石畳の紙を囲んでいるうちに人が集まり、座席図それ自体が小さな公聴会になった。老婦人が「ここは日差しが強い」と言い、魚の男が「魚が傷むから赤札優先の導線は短く」と言い、若手石工が「石運びの仮路が重なる」と指で弧を描く。

 私はひとつずつ線を直し、二重署名の欄を端に描いた。

「図にも署名。図は言葉より早く伝染するから」



 昼前、王都便の走者が外窓に布袋を置いた。封の紐に金の糸。

『本隊長カヤ・エスト、予定通り明日午前入域。“任意の一時保護”は“広場での合議に従う”』

 文は短い。だが——広場での合議。

 ミラが目を細める。

「文言が、こっちの言葉に染まってる」

「感染は進む。じゃあ、運用規程を決めよう」


 私は壇に上がり、新しい紙を掲げた。

〈任意一時保護の運用(広場版・暫定)〉

一、保護の宣言は公開で行い、理由を一行で掲示。

二、保護場所は広場の半円席。背は開放。

三、時間は砂時計四回転を一区切り。延長は合議で。

四、保護対象には代理人の選任権(列から)を認める。

五、保護中の尋問は三問まで。書面にして配布。


「“保護”は“拘束”じゃない。背を開ける」

 私は半円席の背面を指した。

「逃げる自由を見せておくと、追い込みは起きにくい」

 ガレスが鼻を鳴らす。

「逃げたら?」

「“逃げた”の記録が残る。逃げる権利と記録の両立」

 ミラが笑みを薄くしたまま、筆を走らせた。

「皮肉の余白がない、完璧に嫌いじゃない文です」



 午後、目盛り板に監査版を据える。項目は五つ。

〈一、入札の透明度(資料公開数)

 二、水位偏差(午前・夕刻)

 三、怒号ゼロ連続日数

 四、証人の列人数

 五、“保護”案件の処理件数(砂時計単位)〉

 数字は午後の陽に白く浮かび、人々は立ち止まって眺めた。怒号の欄が**“三”**になっているのを見た老婦人が、私に笑いかける。

「三日続いたら、四にもなるのかい?」

「なる。続けるのが一番難しいけど、一番強い」

 続ける——この街の新しい筋肉だ。


 そこへ、先遣書記官ルチェが馬で現れた。

「本隊に先んじて、一件の忠告を」

 彼は馬上から紙片を差し出した。油墨の匂い。

「王都の“煽り屋”が混じる。“混乱→屋内監査”を狙う常套手」

 ガレスが口笛を飲み込む。

「怒鳴らずが試される日だな」

「怒鳴らず・追わず・二人一組。列で粉砕するわ」

 私は広場の一角に“静音隊”の札を立てた。歌う人、太鼓、子ども語り部。音で怒号を上書きする——音は数字の手前の言葉、そして空気の調律。



 夕刻。予感は当たり、煽り屋は二人で現れた。片方が前で肩をいからせ、もう片方が後ろから囁く。

「公水栓の水が薄い! 王都の方がまだ濃い!」

「“濃い水”って何」

 ミラが素で呟き、隣の少年が笑いを噛み殺す。

「濁り具合のことを言ってるんだろうけど——」

 私は合図し、静音隊が短い手拍子を打った。太鼓がとん、たんと刻み、語り部の少女が澄んだ声で言う。

「砂時計一回転で一杯。赤優先。怒号ゼロ。薄いのは嘘」

 列が自然に笑い、煽り屋の声が浮いて見えた。

 私は壇から降り、前の男と目線を合わせる。

「怒鳴らずで話そう。三問まで、公開」

「何様だ——」

「一問目。“濃い”の定義は?」

 男が口ごもる間に、水路ギルドの少年が澄度板を持って走る。

「澄度目盛り、ここ。今朝は基準内!」

「二問目。王都の数は?」

 沈黙。

「三問目。あなたの“列”はどこ?」

 男は答えられず、後ろの囁き役の袖を引いた。逃げる道は半円席の背の方に開いている。追わない。

 怒号は起きない。起きない代わりに、太鼓のとん、たんが広場の呼吸を揃えた。

 ルチェが小さく拍手した。

「公開は音が上手い」



 保護の初運用は、その直後に来た。

 小綺麗な外套の青年が膝をつき、震える声で言う。

「“連絡札”を運べと命じられました。——逃げたい」

 私は半円席の背を指す。

「逃げ道はここ。座るか、逃げるかはあなたが決める。四回転はここにいる?」

 青年は喉を鳴らし、座に腰を下ろした。

「代理人を。列から選べます」

 彼は何度か首を巡らせ、やがて教会の姉妹を指さした。

「この方で」

 砂時計一回転。書面三問。

——「誰の指示?」

——「“名は出すな”と」

——「便の経路は?」

 青年は震えながらも地図の印に線を引いた。ルートは港→商家裏→路地。

「四回転が終わったら、どうする?」

「列に、並ぶ。罪はあります。でも——ここで働きたい」

 私は目盛り板の五番に数字を入れた。〈保護一件〉。

「保護は拘束じゃない。列に戻す橋」

 ミラが筆を止め、観衆に向けて薄く笑った。

「皮肉、今日は不足気味ですね」

「足りない日が、良い日よ」



 日が傾き、目盛り板の夕刻偏差が**±一内で埋まったころ、ユリウスが現れた。

 白い手袋、整いすぎた笑み。監査の日程を嗅ぎ取って、前日に来たのだ。

「広場は賑やかだね。仮劇場かな?」

「劇場なら脚本が要る。うちは記録」

 私は席を離れずに言う。

「保護の席があるのか。便利だ。君を保護しよう」

 冗談の体裁に毒が混ざる。

「“任意”ね」

「任意。だが王都の——」

「“広場での合議に従う”」

 私は封書の文言をそのまま返す。

「王都便、読んだの?」

 ユリウスの笑みの端が微かに下がった。

「本隊長カヤ・エストは、広場に座を置く。“任意保護”は——砂時計四回転よ」

「君は強くなった」

「列が強くなったの」

 彼は肩をすくめ、声の温度を二度下げた。

「明日、君の“任命”は骨まで見られる**。瑕疵が出れば——」

「“規程”と“記録”で答える。匿名投書も偽札も、薄まった。残るのは“嘘じゃない穴”。——それは塞ぐ仕事」

 ユリウスは短い笑いを置き土産にし、踵を返した。

 怒鳴らず、追わず。二人一組の見張りが視線だけで通り道を作る。半円席の背は、夜風で軽く揺れた。



 夜。監査前日の予行を終え、私は屋上に上がった。

 目盛り板(監査版)に今日の数字を書き足す。

「資料公開一二束、水位偏差(午前+一/夕刻±一内)、怒号ゼロ四日目、証人の列二百七十六、保護一件」

「筋肉になってきた」

 レオンが隣に立ち、今日だけは剣ではなく炭を手にしている。

「明日、俺は盾だ。座の背で半円を閉じず、列の流れを守る」

「優先は街。選好は私」

 言ってから、私は自分で笑った。

「甘さの言い回し、上手くなってない?」

「上手くなってる。印の外の復習は、短く」

 私は彼の袖口を摘み、一拍だけ近づいた。

「怖いの。“保護”は美しいけど、刃にもなる。私が座に座らされる日が、無いとは言えない」

「任せる。だから——」

「守る、でしょ」

 ふたりで言って、同時に笑った。言葉は約束の最小単位。二人で言えば、倍の厚みになる。


 扉が開き、ミラが顔を出す。

「最終連絡。座席図、外窓に掲示。砂時計は倍用意。太鼓は一張増やした。教会から白布の提供、“保護席の背”に」

「背は開放。でも白は、見る人の心拍を落とす」

「それから王都監査局から“会計箱封緘の三重を称賛”と追伸。詩人続きです」

「感染源、ね」

「ええ。風邪なら流行らせましょう」


 広場を見下ろす。公水栓は眠り、砂時計は横倒し。座席図は月に薄く光り、半円の背は夜に溶けている。

 監査本隊、明日。

 保護は拘束ではなく、橋だと示す日。

 列と砂時計と目盛り板が、法の骨を見せる日。

 そして——印の外の甘さは、明日の夜まで節約。

 私は革袋の小印を撫で、深く一度だけ息を吐いた。

「——広場で会おう、法」

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