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隣国王子にさらわれたのは“国ごと”でした  作者: 妙原奇天


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8/11

第8話 契約締結、“列の証人”と貨納の試験

 朝一番、広場の空気は紙の匂いが濃かった。机の上に、堤補修の本契約が三部ずつ。水路ギルド、港湾石工組合、自治領庁。若手参画比率二割、仮水路の先行、毎朝の公開進捗——昨日の“条件”が条文に骨として通っている。


「——署名、押印」

 私が告げると、パルマが腹でうなずき、太い指で名を書き入れた。港湾の親方は刃物で指を切らないよう慎重に羽根筆を握る。

「二重署名」

 私と副総督ミラの印が赤を落とす。レオンは監理条項の立会欄へ副署を置き、紙は風に鳴って乾いた。


「それから、列」

 私は契約机の脇に新しい簿冊を開いた。〈証人簿〉。

「任命も契約も、列が見ていた記録を残す。読み書きが苦手なら“印”でよい。——証人の列を作りたい」

 老婦人が一番に前へ出て、震える手で名を書いた。魚の荷車の男は魚の絵を描いて笑われ、若い石工が土で汚れた指で拇印を押す。列は静かに、しかし絶えず流れ続けた。

「列は資源」

 ミラが書記台からぽつり。

「怒号ゼロの資源です」



 契約が片づくと、すぐに貨納の試験に移る。

 塩税の“物納→貨納”を限定枠で試すのだ。対象は市場の塩袋三十。私は掲示板に紙を貼る。

〈塩税・貨納試験(限定)〉

一、塩袋一に対し銅貨六で代替(今週のみ)。

二、公会計箱に入れ、赤紙封で管理。

三、暴利買い上げは公開告発の対象。

四、水利・夜営には直接使わない(用途縛り)。


「塩は水の兄弟みたいなもの。動脈を詰まらせないために、一回路だけ開ける。——“貨納”は列の長さで続けるかを決める」

 私は砂時計を指で弾き、ガレスに目配せした。

「怒鳴らず・追わず・二人一組。列の権利の交換は昨日と同じ運用」

「了解。俺の生き甲斐は相変わらず減るがな」

「皮肉の専売特許は私です」

 ミラがすかさず被せ、広場の笑いが緊張を薄めた。



 午前中、仮水路は目標の一割をさらに延ばした。偏差+一以内。港湾の親方が若手に**“波型継手”を手で教える場面を、私は目盛り板に〈継承〉の欄を増やして点を打つ。

「技術が列**を太くする」

「名言、記録しておきます」

 ミラの羽根筆が軽い。


 そこへ、書簡が外窓に滑り込んだ。王都監査局印。

『本隊到着は二日後の午前。広場で公開監査を実施。“拉致事件の解明”は“任命手続きの検証”に含む』

 文末に小さな追伸。

『“証人の列”簿冊、写しを求む』

「列が法に聞かれてる」

「感染は順調です」

 ミラが肩をすくめ、写し用の紙を積み上げた。



 昼前、公開叩き。

 商会連合が持ち込んだ石を、広場の叩き台で音で検査する。○が二十、×が一。×は即座に脇の籠へ落とされ、“偽石の穴埋めは商会負担”の条項に従って交換票が切られる。

「音が、嘘を割る」

「数字の手前に音があるの、好きです」

 ミラが小さく笑ったとき、人だかりの端で声が飛んだ。

「王都の“通達貼り”です!」

 駆けていくと、路地の掲示板に新しい紙が何枚も。同じ文言。

——〈“自治領総督任命の瑕疵”の噂、続報〉

 油墨は王都の匂い。文末に小さく、双頭の鷲。


「匿名の紙は、公開で薄める」

 私は紙を剥がして壇に戻り、同文を掲げた。

「この紙は噂です。出所は王都。宰相府局印の“似姿”が押されている。偽物の可能性が高い。——検証は手順で。

 一、発信源の便を追う(外窓で便記録公開)。

 二、同文の部数を数える(列で写しを取る)。

 三、反証として、証人簿の写しを王都へ送る」

 私は証人簿の一頁を高く掲げた。拇印と稚い字と癖の強い筆跡が並ぶ。

「任命は広場で行われ、列が見ていた。王都に見せるのは、この列」

 拍手が起き、匿名の紙は風で裏返った。



 午後。貨納は順調だが、ひとつ問題が出た。

「換金所の前で、買い取り屋が“銅貨七”を囁いてます」

 ガレスの部下が報告する。

「暴利だ。だが違法ではない」

「列の権利で“交換”を」

 私は買い取り屋に近づき、静かに言う。

「あなたの“七”、ここで“六+列の前進二人分”にしませんか」

「は?」

「六で貨納に入れて、列の最後尾にいる二人を前へ出す権利を公に買う。あなたが時間を買い、二人が時間を売る。“列の権利”の公開市場」

 周囲がざわめき、後ろの二人が顔を見合わせて頷く。

「俺たちは時間を売る。六でいい」

 買い取り屋は肩をすくめ、苦笑した。

「こりゃ敵わん。公開にされたら“悪”が似合いすぎる」

「悪ではない。非公開が悪を育てるの」

 私は目盛り板に〈列の交換:二件〉と記した。

「列は資源。市場にすると、怒号は消える」



 夕刻。仮水路は予定の二倍の速度で進んだ。港湾の親方が目を細めて石の音を聞き、若手の手元にそっと刃の角度を直す。

 私は夕刻偏差を**±一内で書き込んでから、庁舎へ戻る。先遣書記官ルチェから小包が届いていた。

 中には、王都の市販油墨が三種。手紙は短い。

『掲示の油墨がどれかを比べよ。配合が違えば偽札の線が強い』

「感染、いや連携が始まってる」

「監査が味方へ傾く瞬間です」

 ミラが油墨の匂いをかぎ、掲示の紙と並べる。

「——合わない。宰相府の帳簿墨とも違う。“似姿”の偽物確定」

「外窓で分析結果を掲示。噂の足**を折る」



 夜の前。約束の時間が近づく。

「一次決定の契約、公開叩き、貨納試験。今日の段階は全部クリア」

 私が屋上への階段を上がると、レオンは既に風の中に立っていた。灰の瞳は昼より柔らかい。

「印の外の話を、短く」

「段階の続き、ね」

 私は彼のマントの縁を指で摘み、息を整える。

「——君を、好きになりつつある。制度の外側で。制度は守るためにあるから、恋はそこから外しておきたい」

 レオンが目を閉じ、短く笑って、すぐに真顔に戻る。

「任せる。だから守る。外でも中でも」

「優先はくれない、のよね」

「優先は街に。選好は君に」

 うまいことを言う。皮肉が負ける。

「——砂糖は、ほんの一匙」

 私は彼の手の甲にそっと唇を触れさせ、すぐに離れた。

 印の外の、記録に残らない一瞬。十分だった。


 扉が開く音。ミラが息を弾ませて上がってくる。

「緊急。港に王都便。宰相府“連絡札”の束を抱えた若い書記を押さえました。商家の裏蔵に運び込むところを、列の人が通報」

 レオンの瞳が鋼に戻る。

「公開押収だ。——広場に机、砂時計、目盛り板。“札”の配合も印も音も全部晒す」

「音?」

「紙にも音がある。叩きで油が鳴る**」

 私は頷き、階段を降りながら広場の設営を頭の中で並べる。

「一、押収の列を作る。二、札の番号を振る。三、油墨の匂いを比べる。四、“宰相府発”の帳簿墨と一致しないことを示す。五、若い書記の移動経路を目で辿れる図にする」

「図は俺が描く。盾は言葉だけじゃ足りない。線でも守る」

 レオンが短く言い、走り出した。



 夜の公開押収は、灯と砂時計の下で行われた。

 若い書記は震えながらも、「名は出すなと言われた」と繰り返す。名が出ないものは評価に乗らない。“列”で出してもらう。

 机の上に札が並び、油墨の匂いが比べられ、叩きの音が記録される。

「澄(○)……濁(×)。王都帳簿墨と不一致。“似姿”偽札確定」

 ミラが淡々と読み上げ、私は目盛り板に〈偽札:押収一八束〉と書いた。

「——宰相府へは写しと所見を外窓から明朝送る。隠さないことが盾」

 私は広場を見渡す。列は怒らず、質問を投げ、子どもが眠い目をこすりながら親の袖を掴んでいる。

 拉致は、今、目の前で自治に書き換えられている。



 深夜。片付けのあと、庁舎の扉を閉める直前に王都の使いが駆け込んだ。封筒、金の細紐。

『監査本隊長“カヤ・エスト”来訪の予告。“公開押収への立会い”の希望。“任意協力者の一時保護”の条項、“広場での合議”を認める**』

 ミラが目を丸くする。

「広場で認める——文が変わった」

「言葉は約束の最小単位。最小を広場で積んだ結果よ」

 私は重たく息を吐き、印を取り出した。

「迎える準備をする。

 一、監査の座席表(“列”優先席)。

 二、“公開用”の会計箱(封緘を三重)。

 三、“証人簿の写し”配布列」

「四、砂時計の替え砂を倍に」

 ミラの皮肉が戻る。

「五、皮肉の予備も」

「それは無尽蔵です」


 広場に出ると、四基の公水栓は眠り、砂時計は横倒し。

 監査団まで、あと二日。

 契約は骨を立て、貨納は流れを開き、偽札は公開で薄まった。

 言葉、数、音、印、そして列。

 街はそれらを積み上げ、法にしていく。

 ——恋は印の外で、一匙の砂糖を溶かしながら。

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