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隣国王子にさらわれたのは“国ごと”でした  作者: 妙原奇天


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第4話 公水栓、本開放。入札は“等しく”

 朝焼けが石畳をゆっくり温めていく。広場の片隅、仮設ではない本設の公水栓が四基、白い布で包まれて並んでいた。砂時計は昨日より一回り小さく、台座には刻印――〈一回転=一家族一桶〉。

「式を派手にしすぎないこと。『祭り』より『運用』」

 自分に言い聞かせながら、私は布の結び目を確かめた。

「総督、広報はどうします?」

 ミラが帳面を胸に抱える。

「鐘を二回。『赤優先』の合図を先に鳴らす。合図が規律になる」

「了解。……皮肉は無料で持っていきます」

「今日は皮肉より“案内”。足りなければ笑顔を借りる」

「それは、最も高い資源ですけどね」

 ミラが小さく笑い、鐘楼の方へ駆けていった。


 やがて、広場に人が集まりはじめる。赤札の列が自然に前方に誘導され、青、白が続いた。遠巻きに、運河沿いの男たちが腕を組んで見ている。ギルドの者たちだろう。

 私は壇に上がり、余計な言葉を飲み込んだ。必要な文だけを残す。

「——公水栓、本日より“外飲み”のみ無料開放。砂時計が落ちるまでに一杯、譲り合って使ってください。赤を優先、青と白は列に従って」

 それだけ言って、私は布を外した。四枚の白が一斉に光を吐き、蛇口から最初の一筋が走る。ざわめきが波になる。砂時計の砂が、さらさらと歌った。

 列の先頭へ、昨日の少年が母親の手を引いて進む。私は彼に軽く頷き、砂時計をひっくり返した。母親は両手で桶を支え、唇を濡らす前に、空を見上げてひとつ息を吐いた。水は喉を通り、目尻から涙が溢れた。

 広場の空気が、少しだけ甘くなる。歓声でなく、安堵の匂い。


「総督。列の最後尾で揉めています」

 ガレスが低声で告げる。

 見ると、青札の列に荷車商人が横入りしようとしていた。

「腐る積み荷だ。順番を待ってたら痛む!」

 男が怒鳴る。

「怒鳴らない」

 私は近づき、男と目線を合わせた。

「荷は何?」

「魚だ」

「なら、赤寄りの“優先許可”を出す。——ただし、あなたの荷車に『後ろの三人へ氷塊一つずつ渡す』の条件を付ける。あなたが得る“時間”を、後ろの三人の“鮮度”で割る」

 男は目を白黒させ、すぐに頷いた。

「……わかった。氷屋に走らせる。すぐだ」

 列の後方から笑いが漏れ、怒りが引いた。ガレスが小さく親指を立てる。

「“列の権利”、か。覚えておこう」

「列は資源。資源は配るだけじゃなく、作るもの」

 私は砂時計をもう一つ伏せ、列の流れが整うのを見届けた。



 昼前。公水栓の運用データがミラの帳面に並ぶ。

「赤:処理時間平均四分。青:七分半。白:聞き置き二割。怒号ゼロ」

「いい数字。——午後は入札告示」

「布告文は用意済みです。“早く、安く、長持ち”。基準は“水位安定の偏差”で評価。感想ではなく数字で決める」

「それと、“見積の内訳”は公開。石、砂、運搬、労務……全部出す。隠せる穴は最初から塞ぐ」

「了解。公示は広場の掲示板と“外窓”で」

 私は庁舎に戻る途中、視線を感じて足を止めた。

 運河沿いの欄干に、パルマが肘を置いてこちらを見ている。今日は髭に油が光り、背筋がやけに伸びていた。

「水は流れてる」

「見れば分かる。……流れを止めない限り、文句は言わん」

「止めさせない。それが今日の約束」

 パルマは口の端を上げ、視線で私の背後を示す。

「背後に“見学者”がいる。気をつけることだ」

 振り返ると、商家の若い書記風の男が、紙束を抱えて人気のない路地へ消えていくのが見えた。宰相府の使いか、ただの好奇心か。いずれにせよ、記録に残す価値はある。

「警戒、ありがとう」

「礼は要らん。俺の堤だ」

 短い会話の中に、同じ重さの責任がある。こういう瞬間が、一番好きだ。



 午後。入札の告示を広場で読み上げる。

「堤南端の本補修工事、長さ四百二十間。工期は十五日以内。評価は三本柱。早く、安く、長持ち。内訳公開。流言の禁止。嘘が出れば次回以降の入札資格を一年停止」

 ざわめき。石工、運送、砂利商、いろんな職の顔がざっと動く。

 応募は本日の日没まで。見積書は“外窓”の三番で受け付ける、と結び、私は壇を下りた。ミラが耳打ちする。

「外窓三番、行列できはじめました。嬉しいですね、“列”が欲しい所にできるのは」

「列は資源」

「ええ。“総督の口癖”として記録しておきます」


 夕刻までに、見積は五件集まった。

 一つ目は水路ギルド――パルマの名で。二つ目は港湾の古い石工組合。三つ目は商会連合の共同。四つ目は地方の若い石工一団。

 そして五つ目。私は紙の端に触れた瞬間、わずかな異物感を覚えた。

「“北湾石工組合”。聞いたことがない」

「少なくともこの地域の登録業者ではありません」

 ミラが鼻を近づけ、紙の匂いを嗅いだ。

「油の匂いが……これは、王都の文房具店の油墨。宰相府の帳簿と同じ配合」

「内訳は?」

「人件費が“常識の半分”。材料費は相場通り。運搬費ゼロ表記。——“人件費の肩代わり”がある見積です」

 私は紙を裏返し、押された小さな刻印を指でなぞった。双頭の鷲。昨夜の金属片の紋と同じ。

「“早く、安く、長持ち”。彼らは“安く”だけで勝とうとしている。長持ちの証拠がない」

「審査の場を“公開”にしますか?」

「もちろん。明日の朝。——『見積の読み合わせ』と『質疑』を、広場でやる。数字を、皆の前で声にする」



 日没。公水栓は静かに閉じる。砂が落ちきる音が止んで、広場にふっと空気の隙間が生まれる。

 私は屋上に上がり、今日の数字を並べていった。

「外飲み利用、三百六世帯。赤優先達成率九六%。怒号ゼロ。“列の権利”の交換、七件」

「『列は資源』、証明されたな」

 レオンが背後から紙束を受け取り、視線をさらりと走らせる。

「北湾石工、気になるか」

「気にならない方が嘘。——でも、制度で勝つ。明日の公開質疑で“長持ち”を数で語らせる。語れなければ、そこで終わり」

「君は言葉で剣を折る。俺は、その剣が飛んでこないように盾で受ける」

「盾は重いわ」

「持つのは慣れている」

 短いやり取り。風が袖を撫で、遠くで舟の舳先がきしむ音がした。


 屋上の扉が軽く叩かれ、ミラが顔を出す。

「書簡が一通。王都から。——“違憲審査の予告”です」

 予告。つまり、本隊が来る。

 私は封を切り、中身を黙って読む。

「自治領の勅許は有効。だが“総督職の任命手続きに瑕疵の疑い”。監査団を派遣、五日後に到着。『関係者の身柄は任意協力の範囲で確保可能』」

 最後の行に、細い文字で追記があった。

——“侯爵家の旧婚約者は、事情聴取の必要がある。送還を求む”

 ユリウス。

 喉の奥が、古い棘を思い出したみたいに疼く。

「五日。……“公開審査”と“監査団”、正面衝突させるわけにはいかない」

「なら、明日の“公開質疑”で『自治領の手続きを標準化する』宣言まで進めるしかない」

 ミラの声は冷静だ。

「“副総督の選任条項”“合議制の議事録”……“任命の瑕疵”とやらが刺さらないよう、先に縫い目を固める」

「名指しの“送還”はどうする?」

 レオンの声が低く落ちる。

 私は紙から視線を上げ、彼の灰色の瞳を見た。

「私は“自治領の総督”。庁舎の外で私を動かせるのは、民の署名と、制度だけ。——“身柄”を求める紙切れでは、動かない」

 レオンは短く頷いた。

「任せる。だから守る」

 その言葉は、今日ほど骨に効くことはなかった。



 夜更け。庁舎の灯が落ちる前、私は机の上に新しい用紙を置いた。

〈自治領運用規程・暫定版〉

第一条 総督は“公開合議”を以て重大決定を行う。

第二条 副総督を置き、非常時には二重署名を要件とする。

第三条 入札・監査・任免・布告の記録は閲覧自由。

第四条 外部権力からの要請は“公開”で審議する。

 ……言葉は約束の最小単位。小さな単位を、幾つも並べて壁にする。

「副総督、ね」

 独り言に答えるみたいに、扉の陰からレオンが現れた。

「君以外の名前で、ここに署名する権利を持つ者は……」

「ミラ」

 私は即答した。

「書記官は、街の“記憶”を持っている。数字と文を同じ重さで扱える。皮肉で空気を和らげ、冷徹で刃を鈍らせる。副署に必要な条件は揃ってる」

 ミラが唇をすぼめ、目を丸くした。

「告白より緊張する職務告げですね」

「職務のプロポーズ、だったかしら」

 レオンが少しだけ笑う。

「ここで、その台詞が回収されるとは」

 私は用紙を回し、ミラへ押し出した。

「答えは」

「——『はい』」

 ミラは肩で息をして、震える指で署名した。

 私はその上から、自分の印を、そしてレオンの副署を重ねた。赤が重なり、乾く。


「これで“任命の瑕疵”は骨抜きにできる」

 ミラが紙を扇いで風を送り、わざとらしく溜息をつく。

「皮肉の余白、明日からもっと減りますね」

「減らす。明日は“数字の余白”を増やして」

「了解。……でも、ひとつだけ皮肉を許可してください」

「どうぞ」

「“拉致”からここまで、三日。総督、あなたは結婚より早い速度で制度を整える女です」

「結婚の方は、段階を踏む」

 私はレオンを見た。彼は目を伏せ、短く笑ってから、真正面を向いた。

「段階は、守るためにある。守りながら、進む」


 広場は静かだ。砂時計は横倒しで眠り、水は運河の底でゆるやかに呼吸している。

 明朝は“公開質疑”。

 北湾石工組合の安さは、数字でほぐす。

 宰相府の札は、公開で薄める。

 そして、五日後の監査団には、“規程と記録”で迎え撃つ。

 恋もまた、記録に残る形で。

 私は印章を革袋にしまい、灯を落とした。

 夜の庁舎は、制度の前夜祭の匂いがした。

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