手紙が届いた日(1)
イーモン・カールは目を通していた書類から顔を上げると、目頭をぎゅっと指でつまんだ。
姉のウリヤナが聖女と認定され神殿へと入ってから、三年が経った。その三年の間に、王太子クロヴィスの婚約者という地位にまで登りつめてしまった。
ウリヤナは姉でありながら姉ではなくなってしまったのだ。
ウリヤナ・カールから聖女様へと変わってしまった。
父親は最後まで反対していたが、そんな父親を宥めたのはウリヤナ本人であった。それほどまでして聖女になりたいのかと、当時のイーモンは思ったのだが、今になってなんとなくわかるような気がする。
ウリヤナは金のために聖女になったのだ。聖女を輩出した家には褒賞金が支払われる。
その褒賞金によって、カール子爵家が潤ったのは事実だが、だからといって生活が豊かになったわけではない。
いつ、どこで、何が起こるかわからない。
それが父であるカール子爵の考えで、ウリヤナの名でもらった褒賞金は父親がしっかりと管理している。
だから、イーモンはその金を使うことができない。
ウリヤナが神殿に入ったのも、金のためだ。彼女がそれほど金を欲していたのはカール子爵家と子爵領に住む民のためでもある。
その頃、カール子爵家の資産は一気に減っていた。まさしく火の車という表現が合うほどの状況である。その状況を生み出したのは、イーモンであった。まだ十四歳であった彼が、カール子爵家の資産に手をつけた。
そもそも父親は管理がずさんだったのだ。人がよすぎるとも言われるくらい、頼まれれば金を出していた。管理は家令に任せ、言われるがまま押印する。細かい数値のすり合わせなど確認していた様子もない。
だから、イーモンはその金を狙った。いや、父親に代わって資金を増やそうとしただけなのだ。
なぜなら儲け話を聞いてしまったからだ。その儲け話を持ってきたのは、王城で働く人物だった。
当時、学生であったイーモンは、仲のよい友人を通してその話を小耳に挟んだ。
ただでさえ豊かとはいえない家の状況を、少しでもよくして父親に認められたいという思いが働いた。父親よりも自分のほうが領主として相応しい。それを見せつけたかったのだ。
だが、結果として騙された。
身分がしっかりとしている者からの紹介だったため、信用しきっていたというのもある。投資につぎこんだ金は、全部失われた。騙されたのだから仕方ない。
さすがにそこまで資金が減れば、あの父親だって気づく。
それに、イーモンが勝手に資金に手をつけていたことをウリヤナは知っていた。
奥にある金庫から金を手にして執務室を出た時に、ばったりとウリヤナと出会ってしまった。彼女は何か言いたそうであったが、何も言わず、何も見なかったとでもいうかのようにその場を去った。
あのとき、ウリヤナが止めてくれれば、このような結果にならなかったのに。
何度もそう思った。
イーモンの失態を父親は咎めなかった。ただ自分が不甲斐ないと嘆いていた。
それをきっかけとして、父親も真面目に帳簿と睨み合うようになった。
だから今、有り余る資金を持ち出すことは難しい。
「イーモン様、手紙が届いております」
家令より手紙を受け取る。不審がることなく手紙を渡してきたところから、差出人は信頼のおける相手である。
くるりと封筒をひっくり返して、差出人を確認する。
ウリヤナの名があった。だが、そこに「カール」の姓はない。
「姉さんからだ。父さんと母さんにも届いたのか?」
「はい。ウリヤナ様は旦那様にも奥様にも、手紙を書かれたようです」
少しだけ家令の目が潤んでいた。懐かしさがこみあげてきたのだろう。
イーモンは急く心を落ち着けながら、封を切った。
中には一枚の紙切れ。
『ローレムバにいます』
たった一言。居場所を示す言葉だけだった。
イーモンを労わる言葉も、自身の状況を表す言葉もなかった。ただ、居場所を伝えるその一言のみ。
その手紙をぐしゃりと握りしめたイーモンは音を立てて立ち上がると、父親の執務室へと向かう。
「父さん……」
ノックもせずに部屋に入ると、そこには涙を拭っている母親の姿もあった。二人は、執務席の前にあるソファに寄り添って座っている。
「イーモン……ウリヤナからの手紙を読んだのだな?」
母親の肩を抱きながら、イーモンを見上げた。




