前を見る日(2)
朝食が終わると、マシューとナナミは与えられた隣の部屋へと向かった。そうなれば、ウリヤナはレナートと二人きりになってしまう。
「ウリヤナ。お前はソクーレの修道院へ行くつもりなのか?」
寝台を整えていたウリヤナの背に向かって、レナートが声をかけた。動かしていた手を止める。
どうやら彼は、賢い人間だったようだ。あの場にマシューとナナミがいたから、あえて口にしなかったのだろう。
「お気づきでしたか?」
振り返ってニッコリと笑顔を作る。
「まぁ、な」
やはり彼は賢かった。
「だが、その身体では修道院での生活は難しいのではないか?」
その言葉に首を傾げる。昨夜の腕の怪我を言っているのだろうか。だが、彼が治療してくれたおかげか、まったく痛まない。
「怪我のことですか? あなたのおかげで全然痛みません。何から何まで、ありがとうございます」
「いや、怪我ではない……腹の子のことだが……」
腹の子と言われてもピンとこない。
「子を宿しているんだろう?」
ウリヤナは眉間に力を込めた。
「え?」
「なんだ。気づいていなかったのか? お前の腹から、微力ながら魔力を感じる。胎児の魔力だな」
頭の中が真っ白になった。
「おい、大丈夫か?」
気づけば、目の前にレナートの顔があった。鋭い目つきは変わらないが、その奥には優しい光が灯っている。ウリヤナが倒れないようにと、ぎゅっと抱きしめていた。
「立ったままでは危ないな。こちらに運ぼう」
「きゃっ……」
不意に抱き上げられ、自分のものとは思えない声を発してしまった。
ぽすんとソファの上におろされる。
「もしかして、俺。まずいことを言ったか?」
口元を手で押さえながら、困ったようにウリヤナを見下ろしていた。
「あ。いえ……その、知らなかったので……子どもを授かったことを……。レナート様は魔術師なのですか?」
こうやって側にいるだけで、ウリヤナの体内の魔力を感じ取ったのだ。それなりの使い手なのだろう。
「ああ、そうだ。俺はローレムバの人間だからな」
ローレムバには魔術師が多いと聞く。
「父親はいないのか?」
そう尋ねた彼の声は、どことなく寂しそうにも聞こえる。
「修道院に行こうとしていたくらいなのだろう? それとも、お前自身からまったく感じられない力が原因か?」
賢すぎる男は、面倒くさいかもしれない。
「もしかして俺は……お前を傷つけるようなことを口にしたか?」
「え?」
「すまない……ロイからも、ずかずかと物事を言い過ぎると注意を受けているのだが」
レナートは腕を伸ばして、ウリヤナの頬に触れた。何かを拭うような動きにも見えた。
ウリヤナは驚いて目を瞬いたが、自分よりもいくらか年上に見える彼が、雨に濡れて震えている子犬のように見えてきた。思わずクスっと笑みを零す。
「こちらこそ、驚かせてしまって申し訳ありません。その……子を授かったことにまったく気づいていなかったので」
だが、そういった行為に及んだ事実はある。月のものもきていない。冷静になれば思い当たる節など多々あるのだ。
彼女の言葉にも、レナートは大きく目を見開いた。その顔は「すまなかった」と言っている。
「悪かった……では、まだ医師にはみてもらっていないのだな?」
「はい」
「わけあり、なんだな?」
「はい……ですが、レナート様は私のことをご存知なのですよね?」
「名前を聞いたことがあったからな。それでピンときただけだ」
民からは「聖女様」と呼ばれていたため「ウリヤナ」という名は伝わっていないと思っていた。その名が通じるのは、王城と神殿のみだと思っていたのだ。
「それで。お前は修道院へいくつもりなのか? 悪いが、子は間違いなく授かっている。お前が不安になると、腹の子も不安になる。お前が喜べば、腹の子も喜んでいる」
まだ実感のないお腹の上にそっと両手を添えた。だが、もうあそこには戻れない。だけど、腹に子を宿したまま修道院へ行くのも気が引ける。今であれば知らんぷりをしていくことはできるけれど、日が経つにつれお腹が大きくなっていけば、他の者にも迷惑をかけるだろう。
「戻るつもりはないのだな?」
「はい」
そこだけははっきりとしている。神殿にも王城にも、そして自宅にも戻るつもりはない。
コホンとレナートは咳ばらいをした。
「だったら……俺のところにくるか?」
「え、と……?」
「家には戻れないのだろう? 修道院にも行けないのだろう? だったら、腹に子を宿したままどこへ行くつもりなんだ?」
「それは、これから探そうかと……」
そんな言い訳のような言葉を口にしながらも、ウリヤナを受け入れてくれるような場所があるとは思えない。だからこそ、修道院を選んだのだ。そこですら、このような状況になってしまっては難しいだろう。
「これから探すのであれば、その探した先が俺のところでも問題ないよな?」
「え、と。そう、そうですね……」
「だったら、決まりだな。まだ、今の時期なら移動も負担にならないだろう。それに、俺が魔法でなんとかしてやるから、難しく考える必要はない」
「あ、はい……」
返事はしたがいいが、本当に子を産んでいいのかどうかを悩んでいた。
実感はない。もしかしたら、レナートの嘘かもしれない。だが、月のものはきていない。
たくさんの否定の言葉が、ぐるぐると頭の中に浮かび上がっては、消えていく。
「迷っているのか? その……子を産むことを……」
「え?」
「お前の腹の子が不安がっている……」
「そうですね……父親のいない子になりますから」
だからといって、クロヴィスには絶対に伝えたくない。彼とはもう縁を切りたい。いや、切ったのだ。
そっと腹の上を撫でる。医者にもみてもらっていないし、まだわからない。
信じられないという気持ちがありながらも、レナートの言葉は素直に受け入れられる。
「だったら……俺がその子の父親になってもいいか?」




