前を見る日(1)
喉が焼けるように痛い。いや、痛いのではなく乾いている。
身体中の水分という水分がすべて抜けてしまったかのように飢えている。
「み、みず……」
このままでは干からびて木乃伊になってしまうのではないだろうか。
「んっ……」
冷たい何かが唇に触れた。液体を注ぎ込まれる。それが口の中を満たすと思わずごくりと飲み込んだ。
カラカラになった身体に染みわたる。だけど、まだ何かが足りない。
「もっと……」
そのたびに口の中に液体がゆっくりと注ぎ込まれていく。
揺蕩うような意識の中を、ふわふわとさ迷っている。心地よい世界で、このままここに居たいと願ってしまうほど。
「おい、大丈夫か?」
そんな願いは、聞き慣れない男性の声で潰えた。
「んっ……」
開けたくもない瞼を開けると、見知らぬ男性がじっと見下ろしていた。
「えっ……ゴホッ……」
まだ喉が痛かった。
「水、飲むか?」
彼の言葉に頷きながら、ゆっくりと身体を起こす。
「ほらよ」
いつの間にか、彼は水の入ったグラスを手にしており、ウリヤナはそれを受け取った。
口元に近づけると、水の透明な匂いが鼻につく。一口飲めば、やはり身体は水分を欲していたようで、やめることができなかった。
「大丈夫か?」
「あ、はい……ありがとうございます。ところで……ここは?」
きょろきょろと周囲を見回すが、先ほどまでいた安っぽい宿ではない。今いる寝台も、柔らかい。
「テルキにある宿だな。お前が休んでいた宿は……その……まぁ、あれだ」
「あぁ……」
思い出した。
激しい爆発音がした。だから、神官からもらった魔石を用いて瞬間的に防護壁を放った。それから部屋を出て、母子のもとへと向かったのだが、すでに室内には煙と焦げ臭いにおいが漂っていた。
そこから、記憶が途切れている。
目の前にいる男は見知らぬ男だが、それでも一緒にいた彼らが心配だった。
「それで、他の人は……」
「まぁ。怪我をした人はちらほらいたが、今のところ、死人が出たとは聞いてないな。出たら、お前をここにつれてくることはできなかっただろう」
「ありがとうございます……あ、名前……」
あの状況で死人が出なかったのは魔石のおかげだろう。
「俺はレナートだ。聖女ウリヤナ様……」
助けてくれた感謝の気持ちも忘れてしまうくらいに、じろりと目の前の男を睨んだ。
癖のある黒い髪は一つに結わえてあり、一重の青色の瞳がどこか冷たく感じる。
「そんな顔をしなさんな。美人さんが台なしだな。それよりもマシューが心配してた。俺に助けを求めたのもマシューだ」
マシューは馬車で一緒になった男の子である。
「今日はもう遅いから、明日、マシューたちに会わせてやる」
「マシューたちは無事なのですか?」
「ああ。母親と一緒に隣の部屋で休んでいる」
「ありがとう、ございます……」
「俺も、お前に聞きたいことはいろいろとあるんだが、今日はもう休め」
彼の手がぽふっと頭を撫でた。
「傷口は痛まないか?」
「傷?」
「マシューをかばって怪我をしたと聞いている」
レナートが指さしたのは、ウリヤナの右腕である。そこには包帯がぐるぐるとまかれていた。
「はい。大丈夫です」
問われるまでわからなかったのだから、痛くはない。
「そうか。それはよかった。とにかく今日はもう休め。もう少し、水でも飲むか?」
それには首を横に振って答えた。
「俺はそっちで寝るから。何かあったら、呼んでくれ」
「はい。ありがとうございます」
その言葉を聞いたレナートは、口元を緩めた。何か言いたそうにしていたが「おやすみ」とだけ言って、寝台の周りの明かりを弱めていく。
ウリヤナはもう一度横になった。
気がつけば、新しい着替えも用意されているし、風呂にも入れると言う。
「だが、その怪我があるからな。一人で大丈夫か? 手伝うか?」
それは、風呂に入りたいと口にしたウリヤナに対して、レナートが言った言葉である。
「だ、大丈夫です」
ウリヤナが顔を真っ赤にすると、レナートは「冗談だ」と笑っていた。
ウリヤナが浴室を使っている間に、食事の準備も整えられていた。
用意されていた簡素な空色のワンピースを身に着ける。
そこには、マシューと彼の母親の姿もあった。
「おねえちゃん!」
「マシュー。それに、ナナミさんも……」
「ウリヤナさん。元気そうで安心しました」
母子と別れていたのはたった一晩であったはずなのに、数年ぶりの再会のような気がした。
「おねえちゃん。あのね、おじさんが助けてくれたんだよ」
「マシュー。俺はレナートだ。おじさんではない。何度言ったらわかる?」
「あ。レナートが助けてくれたんだよ」
わざわざそうやって言い直すマシューは素直である。レナートはどこか苦々しい表情をしているが。
「積もる話はあるだろうが、先に朝食にしないか? マシュー、腹が減ってるだろう?」
「うん。ぼく、お腹ぺこぺこ」
マシューがお腹に手を当てると、レナートの目が糸のように細くなった。どことなく柔らかな表情を浮かべている彼に、おもわず目を奪われた。
人は空腹になっていると、考えも悪い方向へと向かってしまうようだ。腹が満たされるにつれ、頭の中もすっきりとしてくる。
「ところで、お前たちはソクーレに向かうと言っていたな」
「ソクーレは、おかあさんが生まれたところだよ」
マシューの明るい声が、その場を和ます。
「そうか。ウリヤナは?」
彼はウリヤナが聖女であることを知っている。そのような女性が、お供をつけずにソクーレに向かっているのを不思議に思っても仕方ないだろう。
「少し俗世から離れたいと思いまして」
彼が賢ければこの一言で理解してくれるはずだ。
「そうか……。では、ウリヤナには目的がないのだな?」
どうやら賢いわけではなかったようだ。
彼はどことなく口角をあげて、見つめてきた。だから、彼女は顔を逸らして、目の前のパンを二つにちぎった。




