9 雨空の向こう側
―終章―
直樹が死んでから、二日がたった。
空は相変わらずの雨を吐き出し続け、今年一番の寒さを記録した。
雅は、直樹の葬式が終わった後、普段どおりに営業を開始した、アンティークショップまで来ていた。
入り口のドアを押すと、カランコロンと鈴の根が来客を告げた。
おばあさんは、あんなことがあったにもかかわらず、笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい。どうぞそこに腰掛けてくださいな」
そういって、ロッキングチェアの前にある椅子を指し示す。
雅は礼を言うと、おばあさんと向かい合った。
「相馬君から、おばあさんの持っているオルゴールの中に何かあると聞いたんですけど……」
「ええ、あったわ。どうぞ、空けてみてくださいな」
雅はオルゴールを受け取ると、蓋を開けた。
少し切ない感じの曲が、店に鳴り響いた。
「これ……手紙……」
雅はオルゴールの中に入っていた白くそっけない感じの封筒を取り出した。
「ええ、あなた宛みたいね」
「はい……読んでも、いいですか?」
「直樹があなたに残した手紙なのだから、遠慮しないで」
おばあさんは鷹揚に頷いた。
『拝啓、相沢へ――。
これを読んでいるということは、運命が変えられなかったということだな。
残念だが仕方ない。起こってしまったことは、受け入れるしかないからな。
俺が君のことをどれだけ心配しているか、わからないだろう。
実は、俺も君と同じく、人の死がわかる力を持っていた。
だから、君の言葉をすんなり信じられた。
人の死がわかるって辛いな。
知り合って、仲のよくなった人たちが死んでいく。
身を引き裂かれるような苦しみだよな。
俺が自分の力に気づいたのは、もう物心がつくまえだ。
もちろん、両親の死もわかった。
俺は何とか運命に抗おうとしたが、君の知ってのとおり、『死の運命』の力は絶大だ。
何とかして両親が死ぬのを止めようとしたが、だめだった。
それからは、世界が色あせて見えて、何もする気力がなくなったよ。
でも、塞ぎこむだけ塞ぎ込んだら、違う見方が出来るようになった。
人の運命は決まっている。そんなことじゃなくて、人の生きられる時間は決まっているということだ。
死は、どんな人間にも、平等に訪れる。
だから、人は一生懸命生きられるんだ。
俺は死んでいくんじゃない。生きられる時間を、自分なりに一生懸命生きていたんだ。
視点のちょっとした変更だが、これはとても重要なことだと思う。
相沢、だから、俺の死を悲しまないでくれ。笑って送り出してくれ。
ちゃんと俺が生きていたという証を、胸に刻んでくれ。
俺は君と出会った。
その事実は何よりも大切な出来事だと思うから。
君は、これからも、人の死と向かい合って生きていかなくてはいけない。
でも、そこから導かれる答えが、絶望でなければいいと思う。
人は死んでいく生き物ではない。
どんなに苦しくたって、『生きていく』生き物なんだ。
正直に言うと、俺も死ぬことを受け入れられてない。
でも、俺と同じ力を持つ君だからこそ、俺の死を受け入れてほしいと思う。
『死』に勝利を譲ってはならない。最期の一分一秒まで『生きて』いくんだ。
君の笑顔が見たい。
死の運命を知っていて、それでも笑っていられる君の笑顔が見たい。
いつか、君の顔に、笑顔が生まれるまで。
見守っているよ。
君は、俺なのだから――」
手紙を読み終えた雅は、おばあさんのほうをまっすぐに見て、
「おばあさんは、知っていたのですか? 相馬君の力を」
と、尋ねた。
「ええ。直樹は、人の死がわかる子だった。あなたもそうなのね? 直樹、自分の死を知って、私の前で泣いたわ。『ごめんな、ばあちゃん』って――。自分が死ぬというのに、それでも周りの人のことを思うことが出来る優しい子だった」
おばあさんは雅の手を両手で包み込むと、優しく言った。
「あなたにお礼を言うわ。直樹との最期の時間を作ってくれた。別れを告げる時間を作ってくれた。――直樹は死んでしまったけど、私の中でずっといき続けるわ。あなたも直樹のことを、時々でいいから思い出して。そうすれば、直樹は死ぬことはない。ずっと笑顔でいられるでしょうから」
雅の頬を大粒の涙が伝った。
言葉を失って、雅は、それでも、
「――はい」
と、頷いて見せた。
アンティークショップを出ると、重苦しく垂れ込めていた雲の割れ間から、一筋の光が差し込んできた。
雅は開きかけた傘を閉じると、涙をぬぐって通りを歩き始めた。
――雨が、あがった。