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スイングバイ




 大野は伊織を見下ろしたまま、しばし黙っていた。

 端的に辞令を口にすればいい。そうは思っていたが、それでもなお口に出せない言葉はある。やはり、自分は上司らしくない。そう内心自嘲した。


 それでも、やはり責務だ。言いたくない。けれど、口を開いた。

「牧原伊織研究員」

「……はい」

 素直に伊織は返事を返す。ゆっくりと立ち上がり、背中を丸めて大野の前に立った。

 大野のいつにもまして固い声に、伊織はその内容を察する。もう既に、この部屋に入れられたときに覚悟していた。だがやはり、聞きたくはない。

 耳を塞ぎたい。けれど、その手が上がるのを懸命に堪える。それは、北条に対する意地だった。


「牧原伊織研究員。処分が決定した。……エデン社より懲戒解雇。二時間以内に私物をまとめ、都市外へ退去すること。以上だ」

「……わかり、ました」

 覚悟はしていた。しかし、やはり聞くのは想像以上にキツいものがある。伊織は泣きそうになった。リリが死んでも流れなかった涙が、今ここで目頭に集まってきた気がした。


 大野はここで、自分の行いに関して言及しない。リリに対して行った仕打ちに関して。それは伊織への気遣いでもあった。そこに言及してしまえば、きっと謝罪の言葉を吐いてしまうだろう。それを避けるために。

 今しばらくの辛抱ではある。だが『それまで』は、自分のことを責めて気を紛らわせるのもいいだろう。そう考えた。

「社員証を」

 言われたままに、伊織は首から提げていた社員証を大野に渡す。これで、お終いだ。代わりに大野から渡されたIDカードは世界共通の単なる財布のようなもので、今からこのカードが伊織の身分を示す唯一のものだ。

 そしてそのIDカードにはビジター権限が付与されており、その権限もあと二時間で切れるのだろう。それ以降は、伊織は単なる不法侵入者となるのだ。


 そのカードに、涙が一滴落ちた。

 もう、これで終わりなのだ。小さな時から見ていた夢が。

 人間のように動くアンドロイドを作るという夢。それは、たしかに叶っていた。 

 何故、自分はその教育を開発と思わなかったのだろう。リリの教育はたしかに開発で、はじめに説明されたとおりにこれは人工知能の開発だったのに。彼女を何故、ガイノイドだと考えなかったのだろう。何故ずっと違和感を覚えていたのだろう。自分はずっと、人工知能の開発に携わっていたのに。

 それはすべて、人工知能に対するその夢が潰えた後に気付いたことだけれど。


 そしてもう開発は出来ないだろう。半年以下で都市を解雇されてしまった者に対する扱いは、どこの都市でも冷たい。再就職は難しく、後の人生はずっと市外民として過ごすのだ。

 伊織の脳内が、そんな絶望に染められた。


 実際には、そんな極端な違いはない。市外民から市民になる道は多数あるし、そうなった者も大勢いる。

 だが、難しいのも事実だ。二十世紀におけるニホンの新卒至上主義のような思想は、どこの都市でも持っている。

 もう既に伊織には、そうできるだけの自信が残っていなかった。


「なあ、牧原」

「…………」

 グシグシと目の辺りを袖で拭い、伊織は堂本の方を向く。堂本は、嘲るように笑った。

「これからどうするんだ?」

「……どうもしないだろ。適当な外殻都市で適当な仕事でも探すさ」

「人工知能の研究は?」

「出来るわけないだろう」

 何を言っているのだろうか、目の前の同僚は。そんな微かな怒りと苛立ちが伊織の中で湧き起こる。

 都市外でも様々な仕事はあるが、開発職は往々にして都市内部の人間によって行われている。もうすぐ都市民としての身分を失う伊織には、もう開発などに携わることは出来ないのだ。


 目で抗議する。

 小さな言葉の刃で自分を突き刺す友人に。


 しかし堂本は、肩を竦めてから溜め息をついた。

「なあ、アリシア・キューブリックって知ってるか?」

「……知らないわけ、ないだろ」

 本当に、馬鹿にしているのか。伊織はそう思った。怒りが表情に出る。

 北米大陸と呼ばれていた大陸だけの、その中でも限定的な地域だけだが、人工知能と人間が一緒に暮らしている街を作っている彼女。人工知能開発の権威だ。それを、伊織が知らないはずがない。

「ほい。じゃあ、これ渡しとくわ」

 そう憤慨した伊織に、堂本は一枚のカードを差し出す。IDカードと似てはいるが、どちらかと言えばその外見は社員証に似ていた。

「……これは?」

「アリシアさんにお前のこと話したら、えらく気にしててな。いつでも来いってさ」

 伊織は目を見開く。そういえば、そのカードに書かれている都市名は彼女が活躍している都市と同じ名前だ。

 しかし、彼女は雲の上の人と言っても過言ではない存在だ。話など、出来るはずが……。

「映像チャットしただけだけどな。感じのいいおばちゃんだったぜ」

「……それは本人には言わない方がいいな」



 伊織と堂本の会話に、大野が割り込む。目を瞑り、細かく首を振りながら。

「何年か前に話したときには、老けるのを気にしていた。年齢に関することは彼女の前では口を慎め」

「そうなんすか」

 堂本が返すが、大野は渋い顔のままだった。

 

 大野は三年以上前のアリシアの顔を思い返す。四十代前半という年齢に比して若々しいが、それでも首や目元に隠せぬ年齢。それを大野が指摘すると珍しく激怒していた。

 エデン社でのアンチエイジングを勧めても、彼女も首を縦に振らないというのが未だに解せないところだったが。

 『老いは受け入れるもんだよ。でも若さも保ちたい。人間とはアンビバレンスな存在なのだ!』と、叫んでいたのを鮮明に覚えていた。

 

 それから大野は伊織を真っ直ぐに見る。伊織の内心を察して。

「まあ、それは間違いなく本物だ。堂本は幾人かの一等市民を介して彼女に連絡を取ったらしい」

「興味本位だったんですけどね」

 へへ、と笑う堂本。それを見て、伊織は少し妬ましく、そして羨ましかった。

 そしてまた後悔した。一等市民との繋がりはそういうところにも使えたのか。ならば自分も、やはり堂本の誘いに乗るべきだったと、そう思った。

「私からもそれを勧めよう。君はアリシアに会うべきだ。彼女ならきっと、君の気持ちもわかるだろう」

「しかし……」


 けれど、と伊織は口を噤む。もはや自分の火は消えてしまった。

 リリが死んだ。人工知能を作ろうという夢も、きっと一緒に。

 きっとこの気持ちのままアリシア博士と会ったとしても、自分は何も出来ないだろう。そんな予感があった。


 堂本もそれは察している。察した上で、励ましの言葉も決まっている。

 伊織には、ただ一言で充分だろう。


「もう一回作ってこいよ。リリを」

「…………!」


 堂本の言葉に伊織の心が揺れる。堂本の発言の意図は違うところにもあるのだが、それでも伊織はその二つの意味の片方だけをきちんと受け取った。

「次は失敗すんなよ」

「そう、だな」


 現金なものだ。伊織はまた自省する。

 アンドロイドやガイノイドを作ろうという夢はいつの間にか立ち消えてしまっていた。

 けれど、それでも残っているものがある。リリの顔を思い浮かべて、リリの声を思い出して、リリとした話を思い出せば、まだ残っている夢があった。

 拳に力が入る。先ほどまでの錯乱ではない。決意の力が。



 伊織の変化を見て取った堂本が、最後に言うべき言葉を考える。

「この部屋を出たら、荷物を整理し都市の外へ向かえ。私物に関しては都市外部搬入口まで送ること。その他の手続きなどはない」

「わかりました」

 だが、自分が何を言うこともないだろう。大野の言葉に応える伊織の輝く目を見て、そう思った。

「じゃ、どっかで落ち着いたら場所送れよ。俺はまだこのエデンで働くから」

「頑張って下さい。二等市民様」

「いずれは一等市民だよ、馬鹿」


 伊織は堂本と軽口を応酬し、そして三日ぶりに笑った。






 伊織が出ていった扉を見つめて、二人は一息吐いた。

 堂本と大野、二人の計画は順調に進んでいる。言葉も交わさずにそう確認しあった。


「行ったな」

「ええ」

 共犯関係にある二人は笑いあう。堂本はそこで初めて、大野の笑顔を見た。

 しかしそれを指摘してしまえば、貴重なそれが消えてしまうだろう。そう思い、微笑む大野の表情は無視して肩を鳴らした。

「あいつ、上手くやりますかね」

「どうだろうな。アリシアは気難しい女だ。気に入られなければ、また市外民だろう」

「また怖いことを」

 堂本は笑い声を上げて応える。だが大野の反応に、それが冗談でないことを感じ取り笑みが苦笑いに変わった。

 気を取り直し、堂本は笑みを作り直す。

「でもまあ、あいつは上手くやるでしょう。科学者らしくない科学者ですから」

「それはどういう意味だ?」

 大野は、類推することは出来てもその意味がきちんと読み取れない。彼は生粋の科学者だった。

「あいつだけなんです。実験中、リリをずっと人間扱いしてきたのは」


 堂本は、伊織の行動をいくつも思い返す。

 名前で呼ばないことに憤慨し、質問に誠実に答え、裸体から目を背けた。

 どれも、彼女を人間扱いしない科学者とは違う行動だった。だからきっと、彼女は伊織に惹かれたのだろう。それが愛や恋といったものかどうかは堂本は知らない。もしくは、親を定めた雛鳥のような行動かもしれない。それでも、伊織に懐いていたのはたしかだ。


「おかしな話っすよね。『人間のように見える機械を作る』って目標を掲げてんのに、本当に人間みたいに動くと怒るんですもん」

「……なるほどな。たしかに、おかしな話だ」

 大野は重ねて笑う。そうだ。しかし、何故その矛盾に誰も気付かなかったのだろうか。

「エワルド博士も嫌なことをしてくれたものだ。百年近く、科学者たちはその存在しない敵と戦わされてきたのだから」

「まあ、科学者ですし」

 科学者の、既知の法則の盲信。原因は恐らくそれだと堂本は思っていた。

「それに、やっぱり俺はそれが存在すると思っていますよ。エワルドの壁は、ある」

「…………」

 言葉の続きを待つように、大野は堂本を見つめる。その視線に、堂本は物怖じをせずに続ける。

「ただし、俺ら科学者に。俺ら科学者がアンドロイドを人間扱いしない限り、この問題は続くんでしょう。……だからあいつみたいな科学者は貴重なんですよ。人間らしい機械を、きちんと人間として扱うんです。けして、機械だと差別はしない」

「それは区別じゃないのか?」

「差別ですよ。以前、リリが人間とガイノイドの違いについて聞いてきたことがありましたよね」

「ああ」

 大野はぼんやりと、堂本ははっきりと覚えている。堂本のあのときの答えは、今とあまり変わってはいなかった。

「人間にも色々います。髪が黒い奴、金色の奴、赤い奴。肌も黄色かったり白かったり黒かったり。今は機械の腕やら合成された内臓やらも普通です」

「なるほどな」

 なるほど。その言葉を大野は繰り返す。本当に感心していた。この新入社員は、いや今年の新入社員たちは新しい知見を自分にもたらしてくれる。

 新たな概念、視点の意見。それを得るのは科学者にとって、快楽に等しい。


「だから、人間として作られた俺たちと、人間らしく作られたリリたちには何も違いがない。体の素材が違うだけ。体の構造が少し違うだけ。男女でも大きく違うんですし、リリと俺らだって少しの違いでしょ」

「……素晴らしい」

 大野は心の底から賞賛する。人とアンドロイドのトポロジー的解釈とでも言おうか。その答え自体は簡単だが、それに至るのは難しい。少なくとも、きちんと言葉にして見せたのは堂本が初めてだと大野は思った。

 だがその賞賛に、堂本は笑った。

「なんてね。これは牧原のノートに書いてあった走り書きを俺なりにアレンジしたもんです。褒めるなら牧原を」


 謙遜のような言葉。その半分は嘘だ。堂本は、元から持っていた意見を伊織の言葉で修飾しただけだった。


「……そうか」

 大野は、その言葉を半分信じた。きっと、伊織の言葉に自分の意見を重ねたのだろうと、真相を見抜きながら。

「だからやっぱり、あいつは優秀です。優秀な科学者ですし、科学者らしくない。きっとまたリリを作り直してくれるでしょう」

「科学者らしくないから作れるなんて、まるでロマンチストのような言葉だな」

 論理的には繋がっていない言葉。だが今の説明を聞けば、それは少しだけ筋が通って聞こえた。

「俺はロマンチストのリアリストなんです」

 堂本は物怖じせず、胸を張って言い切った。



「あいつの作る人工知能は、いつか世界にエワルドの壁など必要ないことを知らしめるでしょう。俺はそう願っていますよ」

「では、堂本研究員。君は?」

「俺?」

 唐突に尋ねられ、堂本が面食らい目を丸くする。

「いつか牧原研究員は素晴らしい人工知能を作るだろう。では、君の夢は何だ?」

「面接っすか」

 笑いながら堂本は懐に手を突っ込む。目上の前では不敬な動作だが、何故か大野は堂本ならば許される気がした。

「俺は、偉くなります。あと七年……三十才までに、一等市民になるのが目標ですかね」

「途方もない夢だな」

「いいえ?」

 自信ありげに堂本は応えた。その懐の手を引き出しながら。


「俺は、リアリストなんです」

 その手に広がるのは、名刺入れから取り出した沢山の紙束。トランプのように広げたそれは、全て一等市民の名刺だった。

「これからも人脈を広げ続けて、そして成果を上げ続けますよ。肝臓が壊れるまでね」

「……その時は、良い内臓技師を紹介しよう」

「洒落になりませんて」


 牢獄に似つかわしくない笑い声。

 だが二人は、寒々しい景色の中でも、楽しさを感じた。

 



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