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パーキング軌道




 リリが処分されてから二時間後、伊織はコンクリートの小部屋に一人佇んでいた。

 拘禁といえる処置ではあるが、不当なものではない。彼は一等市民に危害を加えようとした罪で、留置所とも言えるこの独房に拘束されていた。

 四方をコンクリートの壁で覆われた寒々しい部屋。隅に置かれた潰れた布団と、トイレと洗面所という水場だけが生活感を感じさせた。


 伊織はそこに倒れ込むように体を投げ出し、天井のひび割れを見つめる。

 何故こうなったのだろう。

 どこで自分は間違えたのだろう。そんな、後悔の言葉がずっと頭に響いていた。


 拘束される前、大野は一言だけ伊織に謝罪した。

 それを伊織はただ聞いていただけだったが、しかし今になって思えば大野が謝罪することはない。

 リリは処分される予定だった。北条の命令で、処分場で電子パルスを照射し電子回路を破壊した後、体は粉砕される予定だったはずだ。

 ならば、大野の行動はそれを早めただけにすぎない。

 北条を止めるための時間が欲しかったとも思う。

 しかし、たとえ説得を続けても北条は考えを変えなかっただろう。きっとあの傲慢に凝り固まった一等市民は、二等市民の自分の言葉など一顧だにすることはないのだ。


 もう遅い。何もかもが。

 もう何を考えても手遅れだ。リリは頭部を撃ち抜かれ処分されてしまった。恐らく既に後片付けも終わっているだろう。

 後悔というものは、後に悔いるから後悔という。しかし、だからこそ今悔いたところで何も変わらないのだ。



「おじゃま」

 ノックもなく扉が開く。頭だけ起こしてそちらを見れば、明るい廊下からの逆光の中、堂本がそこに立っていた。

 足で扉を押さえて、体を部屋の中にねじ込むようにして入ってくる。

「……なんだよ」

 起き上がった伊織が不機嫌そうに座るが、その横に堂本は胡坐をかいた。

「ほい。差し入れ」

 そして、伊織に缶入りの合成コーヒーを差し出す。温かい缶を手に取れば、伊織の手に温かさが移ってきている気がした。

 堂本が缶のプルタブを開けると、プシュッという音と共にコーヒーの香りが立つ。

 監獄に似つかわしくない香りに、伊織は少しだけ笑った。

「珍しいな。堂本のおごりなんて」

「こんなときくらいはな」

 グビグビと熱いコーヒーを飲み、堂本は応える。それを見て、伊織も缶を開けた。


 一口傾ければ、いつもの味だ。

 いつも休憩室で飲んでいる合成コーヒー。きっと、味も香りも最高級品なのだろうと思った。

 しかし、一口飲んでから独房の中を見回せば、違う感想も抱く。

 不味い。こんなところで飲むものではない。そう思った。


「で? 何の用だよ」

「別に。ただ、世間話をしに来ただけ」

 堂本が布団を叩いて顔を顰める。独房だからと、このような粗末なものを出してもいいのだろうか。そんな疑問に首を傾げた。

「世間話をするためなんて、簡単に入ってこられるわけないだろ」

 そのような簡単な理由で独房に面会に入れるわけがない。伊織はそう思ってから、いや、と内心否定する。

 堂本ならば入れるかもしれない。多数の一等市民との繋がりを維持している彼なら。

 1609号の事件の時も、無理を通した。そんな堂本なら。


 そこまで考えた伊織は、堂本に尋ねる。一縷の望みをかけて。是と答えるのであれば、彼ならば既にやっているとも思いつつ。

「なあ」

「ん?」

「誰かに頼んで、北条さんの判断を取り消してもらうことって出来なかったのか?」

「無理だな」

 堂本は首を横に振る。即答だった。

「あの事件の前なら出来たかもしんないけど、一等市民の決定を覆すことなんか俺には出来ねえな。口添えしてもらったって無理無理」

「……そっか」

 だろうと思う。しかし、伊織は聞かずにはいられなかった。やはり未だに割り切ることは出来ていないのだ。



 もう一口コーヒーを啜る。やはり、不味い。

 舌に刺激を与えてすぐに消え去る苦みが中途半端だ。匂いも強すぎる。こんな牢獄で飲むものではない。

 いや、と伊織は思考を重ねる。コーヒーだけではない。恐らく、今は何を口に入れても不味いのだろう。大好物の、豚の生姜焼き味のマイトキューブすら。


 …………。

 あ、と伊織は気付く。今更だ。しかし、言わずにはいられなかった。この大発見を。

 まずは確認しなければ。堂本が知っているかはわからないし、そんなことは自説の補強にしか使えないけれど。

「堂本。リリの検査結果は確認したか?」

「ああ。一応な。やっぱり、原因不明だったってさ」

「それさ、『どこも不具合が見られなかったから』じゃないか?」

「そうだけど」

 やはり。

 堂本の答えに、伊織はクツクツと笑う。伊織にとっては心底おかしく笑っているだけなのだが、堂本にすら不気味に見える笑いだった。


 確信した。やはり、そういうことなのだ。


「……もしかしたら、リリは壊れてなかったのかもしれない」

「何を今更」

 壊れていないと繰り返していたのは伊織だし、自分も検査結果で確認している。そう笑い飛ばそうとした堂本は、伊織の真剣な目を見て口を噤む。

 そして、コーヒーを口に含んで続きを促した。堂本も、もしかしたら、と期待を込めて。

「だってこのコーヒー、不味いんだ」

「……なんだそりゃ」

「当然だよな。こんなところで飲むコーヒーが、美味いわけない」

 伊織は一息にコーヒーを呷る。だが、言葉とは裏腹に表情は満足げだった。


「同じじゃんか。リリが美味いって言ったのと、俺が不味いって言うのはさ。アルコール結晶もコーヒーも、味は変わっていないはずなんだ」

「そうだな」

 伊織の言葉の先にある、伊織が辿り着いた結論。それを察して堂本は同意する。

 嬉しかった。やはり彼は、科学者であって科学者ではないのだ。

「俺たちが作っていたのは何だ? 人間に近いガイノイドだろ? なら、リリたちだって俺と同じような反応をするはずなんだ。一人で食う飯が美味いこともあるし、不味いこともある。そうだ、そうだよ」

 もはや伊織は堂本の反応を気にしていない。ただ虚空を見つめて目を輝かせていた。

「エワルドの壁の初期症状、センサー類の故障なんて存在しない。人工知能の主観を、客観的な変化だと研究者が捉えていたから。だから、そんなものが生まれたんだ」

 立ち上がり、伊織は壁に手を当てる。冷たく固い感触が掌に伝わった。

「顔認識の選択的な異常? 人間だって、好き嫌いはする。好きな奴は目で追うし、嫌いな北条とかは視界に入れたくもない」

「聞かなかったことにしておくぞ」

 意見は同意だが、と堂本は内心付け足した。

「恒温装置の異常だってそうだ。怒れば体温が上がるし、落ち着けば下がる。血圧の上下も呼吸の増減だって、説明がつく」

 拳を振り上げ、伊織は大きな声で高らかに言った。


「そうだよ。エワルドの壁なんてもとから存在しないんだ。俺たちは、成功していたんだ!」


 伊織の後ろ姿を見て、堂本は溜め息をつく。

 その結論は同意する。1609号……タイタンやリリの反応は、明らかに感情による不具合だ。いや、不具合ともいえないファジーな変化だ。

 友人を傷つけられ、激怒した。

 気になる男性とともに食事をし、自らの高揚感から味を誤認した。

 当然のことだ。誰に起きてもおかしくない。人間ならば。


 それに伊織は気付かないと思っていた。伊織は科学者だ。主観的な現象よりも客観的な現象を何よりも重んじるはずの。

 そんな伊織もエワルドの壁が存在しないと言い切った。それは堂本にとっても、自説を補強する有力な力添えだ。


 しかし、これは駄目だ。

 堂本は友人の姿を見て肩を竦める。

 恐らく、元々仕事について悩んでいたのだろう。それを堂本も知っていた。伊織のやりたかった仕事と何かがずれているというのは察していた。

 そこにリリの事件がトドメを刺したのだ。一過性のものだろう。だが、冷静さを欠いている。


 半ば錯乱していると言ってもいい。これでは、次の話をするためには少し時間が必要だ。

 そう思った。


 だがそれもちょうどいいだろう。

 少し時間を与えれば、きっとこの友人は立ち直る。そのための時間はきっと充分にある。

 堂本は、ここに来ると言っていた大野を待つ。大野の誤解を直接解けないのは少しばかり残念だが、まあ仕方あるまい。

 そう考え直し、目眩を覚えたように座り込んだ伊織を見つめて、コーヒーを一口飲んだ。




 やがてノックの音が響き、扉が開く。

 その奥に見えたのは、堂本の待ち人で、伊織にとっては招かれざる客人である大野だった。



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