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ベターランディング





 まだ報告書の作成は残っている。

 出社した伊織は堂本を待ちながら考えを巡らせる。リリの救命嘆願について。

 実際、何ひとつ進んでいない。報告書は無味乾燥の報告書のままで、後の研究の役に立つことは保証できても、とてもリリの役に立つとは思えない。

 天啓が降ってこないかと天を仰いでも、そんなものはもちろん無意味だ。ただ伊織の首に鈍い痛みを走らせるだけで終わった。


 堂本も到着し、簡単な挨拶だけで報告書の作成を開始する。

 世間話はない。伊織の精神は、ギリギリだった。




 そして、唐突にそれは起きた。

 報告書ももうすぐ終わるという頃、昼過ぎになって誰かが部屋をノックした。

「どうぞ?」

 伊織は返事をして扉に体を向ける。この会議室は自分たちが使うと予約していたはずなのに。

 そう内心文句を言い、そして気付く。開いた扉から大野が入ってくるのとほぼ同時に。

 これは、自分たちがいることを知っていてノックしていた。

 まさか。


 固まった伊織と自然体の堂本を見回し、大野は一度唇を横に伸ばす。言いづらそうに、沈痛な面持ちで。


「先ほど、リリの廃棄が決まった」


 がたん、と二人の椅子が同時に音を立てた。

 予期してはいたこと。だが、早すぎる。まだ検査日は今日も残っているはずだ。なのに、昼過ぎに何故!?

 伊織は大野に詳細を尋ねようとするが、言葉がまとまらない。ただ口だけを開閉させて、その驚きを表現していた。

「何の検査が、引っかかったんですか?」

 堂本がゆっくりと大野に言葉を投げかける。堂本もこの事態は好ましくなかった。彼なりに考え出していたリリ救出のプランは、リリの廃棄が決定する前に実行しなければ望ましくないのだ。

 堂本の質問に、大野は首を横に振る。嫌悪感を湛えた顔で。

「検査ではない。北条さんの決定だ」

「北条さんって、あの、一等市民の」

「ああ。先ほど北条さんがリリにスキンシップを図ろうとしたところ、リリが、その臀部に伸びた手を振り払った」

「……くっだらねえ……」

 大野が口にした理由に、堂本は心底落胆した。所詮、そのレベルだったのか。栄えある一等市民といっても、その中にはそういう者もいるのか、と。

 そしてその理由に対する心情は、この部屋にいる三人ともが同意見だ。

 たしかに彼女は男性慰安用のガイノイド。しかし、その仕事に関してはまだ教育がなされていない。

 

 それに。

 それに、伊織はその北条の行動を聞いて憤慨していた。女性に対するスキンシップが絶対に許されないとは言わないが、程度がある。そもそもに、前提となる女性側の意思がある、親密さがある。詳細を聞いてはいないものの、大野の言葉通りならば北条の行為は単なる痴漢行為だ。

 それを妨害されたから、廃棄する。設計思想には見合っている。けれどその理由を、伊織はまったく納得できなかった。


「……抗議してきます」

「待て」

 立ち上がった伊織を大野は止める。しかし伊織は、振り返らずに廊下へ飛び出し、走っていった。



 大野も伊織の気持ちはわかる。故に、無理矢理にでも止めることは出来なかった。それが上司として失格の行動だと自覚していても。

「止めなくて、いいんですか?」

「…………」

 もちろん、止めなくてはいけない。命令系統を乱す行為は、組織行動を旨とする会社組織として厳重に咎められることの一つだ。

 抗議するのは悪いことではない。しかし、それは上司である大野を通してでなくては。

 そうだ、今からでも遅くない。追わなければ。

 そう大野も身を翻す。

「大野さん」

 しかし、また自分の名が呼ばれて振り返る。視線の先では堂本が、目を逸らしながら無理矢理笑顔を作っていた。

「……ちょっといいですか?」

 その声音にとても真剣なものを感じ、大野は開いていた扉を閉めた。




 伊織が北条を探し出したとき、北条は、ちょうど警備ロボに囲まれたリリを先導し歩いているところだった。

 それは北条の傲慢と虚栄心から行われている行為だったが、北条の表情にその内心まで察した伊織は廊下に唾を吐きたいくらいに思えた。

 市中引き回し。前時代的なその行為は、リリを辱め、北条の力を示すためのものだろうと、そう推測した。

「北条さん!」

 伊織はやや遠間からそう呼びかける。薄笑いで廊下を練り歩いていた北条は、その声に伊織の方を向いた。リリも気付く。強化合金製の手錠の鎖がチャリンと鳴った。


 北条のもとに駆け寄り、伊織はまず頭を下げる。

「お願いします。リリの処分を取りやめにしていただけませんか」

「何だ? 君はたしか……」

 北条は伊織の顔をじっと見つめて目を凝らすように細める。それからやや遅れて、両手を胸の前で叩いた。

「ああ、1717号の開発者の一人かね。それは出来ない相談だ」

 1717号、と呼ぶ行為に伊織はわずかに眉を顰めたが、リリの方を向いていた北条はそれに気付かなかった。

「これは私の手を振り払ったのだ。『人間を傷つけてはいけない』『人間に逆らってはいけない』というロボット三原則に明らかに背いた。エワルドの壁への衝突は明らかだ。また殺人事件が起きる前に、処分するのが筋だろう」

「彼女は殺人などしません」

「1609号の研究者も、殺人をするなど思ってもみなかっただろうね」

 伊織の抗議を北条は鼻で笑う。たしかに、正論かもしれない。プログラム上で禁止されている行為を彼女がしているのもたしかなことだ。その結果人が傷つくかもしれない。

 しかし、それでも。


「突然体に接触されれば、誰だって不快になるでしょう! 彼女は、自分の身を守っただけだ!」

「それがおかしいと言っているのだよ! これは男性慰安用ガイノイド、進んで男に身を預けるくらいしなければ、ただの欠陥品だ!」

「リリが……?」

「命令に従わず、センサーも正しく働かない。はは、そのうち動かなくなるんじゃないかね、この見栄えがいいだけのポンコツは」

 欠陥品。その言葉を耳に入れた瞬間、伊織の頭に血が上った。震えた手が握りしめられる。

 設計思想からしたら、たしかにその通りなのだろう。

 男性を満足させないガイノイドは、完成品とは言えないのかもしれない。


 だが、それでも伊織は我慢できなかった。

「取り消せ!!」

 北条の襟を掴む。その剣幕に、今までの人生で叱られたことのなかった北条は怯んだ。

「ひっ!?」

 人間の怯える声。それを聞きつけた警備ロボットが反応する。音声センサーと赤外線センサーにより、危害を加えられそうになっている人間を特定。

 そして、危害を加える存在を瞬時に判別する。この場合は伊織その人だ。


 握りしめられた拳が北条に迫る。だがその拳が当たる直前、伊織の胴体に高電圧のスタンガンが押しつけられた。

「警告、警告、危険です、離れて下さい」

 警備ロボットの音声が響く。伊織の崩れる体と北条との間に割って入るように移動する。

 痺れ、痙攣しながら伊織は床に倒れ伏した。頬に当たるリノリウムのような床が、冷たく感じた。


「牧原さん!?」

 リリが伊織に駆け寄ろうとするが、警備ロボットがそれを阻む。その動きは伊織に近づけないためではなく、護送中のリリに不穏な動きをさせないためだったが。


 警備ロボにより手足に縄がかけられていく伊織とリリを交互に見て、北条は一息吐く。伊織に締め上げられた襟を緩めながら。

「まったく、粗暴な連中だ。この研究員にしてこのガイノイドありといったところか」

「…………!」

 うなり声しか出せない伊織を見下ろして、北条が嗤う。伊織が睨み返しても、抵抗できないということをわかっている北条は怯えることはなかった。



 伊織の頬に振動が伝わる。

 コツコツと、早足の革靴が床を叩く音。誰かが近づいてきている。それを知っても伊織は北条を睨むのをやめなかった。

「そこまでだ。牧原」

 頭上から声が響く。足音の主が大野だと知り、北条から視線を外した伊織は、苦々しい顔で大野の方を向いた。

 大野は北条に頭を下げる。

「申し訳ありません。部下の行いに謝罪いたします」

「仕方のない奴らだな。何故私の部下にこのような者がいるのか」

「……彼はきっと未だに現実が見えていないのです。1717号の廃棄は既に決定されているというのに」


 伊織を見る大野の目に、伊織は心底驚いた。

 いつも話しているときも、血の気のないロボットのような男だ。しかしそれでも、心を押し殺した冷たい目でこちらを見ることはなかったのに。


「申し訳ありません。出来の悪い部下に今、私が現実を見せますので」

「……はは、まあ、いいだろう」

 大野が懐から取り出した黒い物体に、北条は笑う。今から大野がするであろう事を察して。

 

 黒く掌大の銃を、リリへと向ける。伊織は大野のその行為にこれから起きることがわかった。

 させるわけにはいかない。そうは思っても体が動かない。電撃で麻痺し、さらにアクリル製の縄で簡易的に拘束されている伊織は、体を捻るだけで精一杯だった。


「1717号、君は、廃棄だ」


 短い言葉。だが、言葉よりも先に銃弾がリリの頭部に突き刺さる。



 弾体加速装置。この時代に使用されている拳銃はコイルガンで、音もなく銃弾を放つ。対人用のその小さなプラスチック片がリリの頭部を突き抜けるのを、伊織ははっきりと見ていた。



 衝撃で弾かれながら崩れ落ちるリリの体。

 壁に強かに打ち付けられ、床へと転がるその体から染み出すように、オイルが広がっていく。

「ぅ……ぁ……」

 リリの唇が、意味のない音声だけを発した。



 こぼれ落ちる電子部品。それに、作られた血だまり。

「あああぁぁぁぁぁぁ!!」

 動かなくなったリリを見て、伊織は声にならない呻き声を廊下に響かせた。




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