20話
商家の中では従者を連れた女が番頭相手に揉めていた。
着物は嫌味ではない程度に華やかで、恐らく高貴な身分だろう。
この時代の女性にしては背が高く、それを気にしてか、要望が通りそうになく気落ちしてか、少し背を曲げている。頭から頭巾の様なものを掛けていて、その顔は窺うことが出来ない。
声からして歳は若いと思うが。
「……この髪をご覧になって下さい」
女性は意を決したように頭巾に手を掛け、しかし躊躇いがちに頭から外していった。
そこに現れたのは、白い肌に薄紅色の唇、目尻が少し下がっていて、憂いを帯びた大きな瞳は吸い込まれそうだ。泣いているのか、豊かで長い睫毛が濡れて光っている。
そして何より目を引くのは、纏め上げられた透き通るような亜麻色の髪。
美女だ。
美女の様な男ではなく、今度こそ美女だ。
これが男だったら俺はもう男に走るぞ。腐ってやる。
「一月程、病に臥せっており髪も染められませんでした。臥せている間に染料も悪くなってしまって…。
このような髪色では白い目で視られてしまいます。噂が立てば父上にもご迷惑がかかります故、どうか染料を売ってください」
美女は泣きながらに訴える。
「そう言われましても…先程申した通りでして……」
「こちらの店の染料でないと、すぐに色が抜けてしまうのです。どうか…」
あー、髪染めって髪質に合わないとすぐ抜けたりするよな。
この時代では女性の黒髪が持て囃されていて、高貴な女性ほど黒髪に気を使い、黒髪をさらに黒く染めているのか。
しかし、なんて勿体ない。
染められた不自然な艶のない黒髪なんかより、艶やかな明るいその髪は陽に照らされた時、まるで宝石の琥珀のように輝くだろう。いや空に輝く太陽そのものだ。
そして雪の様に白く美しい肌を照らし、その姿は天女、女神の如く神々しく、見る者を魅了してやまないだろう。
さらにはそう、今まさに桜色に染まった頬が
「中殿、心の声が溢れ出してます」
え?
田広の冷めた声に我に返る。
あ、本当だ。俺いつから口に出してた?
「勿体ない、からです」
全部じゃん。
周りを見回すと番頭は呆れ、従者は嬉しそうに頷き、そして美女は頬を桜色に染め頭巾を握りしめ震えている。
「いえ、あの、すいません。貴方の御髪があまりにも美しかったもので、あ、いや、もちろん御髪だけでなくお顔もお姿も美しいですよ」
美女の頬が益々赤く染まる。
あぁ何言ってんだ、俺はイタリア人か。この時代だとローマ人か。それが今何の関係があるんだ!
イカン、混乱している。
「あ、あの」
俺がさらに言い訳をしようすると、
「わた、私、ほ、本日は、し、失礼致します…」
美女は早足で店を出、表の馬車に乗って走り去った。
あぁ、行ってしまった…。
現世でも見たこと無いような美女に舞い上がってしまった…。
「中殿」
笑えよ、田広、せめて嗤ってくれよ。その蔑みに満ちた眼を向けないで。
「お客さん、なんていうか……うん、助かったよ」
うるせーよ、番頭。追っ払うためにやったんじゃねーよ。
「それでお客さん方はどんな御用件で?」
番頭は気を取り直して聞いてきた。
「こちらは反物か、古着は扱っておりますか?」
田広がそう聞くと番頭は、
「生憎私の店では扱っていませんが、弟がやっている店で扱っておりますよ。何、ここからすぐです。案内させましょう」
そういって「おーい」と奥へ声を掛けた。
あ、この人番頭じゃなくてここの店主か。
店主自らが相手をしていたとなると、やはりさっきの女性は相当いいところの娘さんだったんだな。
はぁ……、高貴な女性となるともう会う機会もないだろうなぁ。
「中殿、何か目的が変わっておりませんか?」
田広よ、少しくらい余韻に浸ってもいいじゃないか。
俺達は丁稚の案内を受け、外へと歩き出した。




