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管理責任者の憂鬱1

薄暗いダンジョンの奥。岩肌に群生する光苔の明かりが狭い通路を心許なく照らし出す。


「まず基本は、どこにどんな罠が仕掛けられているのかしっかり頭に叩き込むこと。間違えて罠に掛かってしまったら洒落にならないからね」


晶の講義に、目の醒めるような美少女がうんうんと小さな頭で頷く。


どういう風の吹き回しか、ツン娘の方から仕事の仕方を教えて欲しいと晶に頼んできたのだ。自分から言ってきただけあって、少女は晶の話に真剣に耳を傾けていた。



「そういえば」と、晶は思い出したように少女に尋ねる。


「まだ名前を聞いていなかったよね」


今まで名前を教えてくれる同僚などいなかったから晶が勝手に付けていたが、人間の女の子相手にはそういうわけにもいかない。


「うちの名前はソフィア・エルモアス。ソフィで良いよ」


少女はちょこんとアキラの前に立ち、頬を桜色に染めて微笑みを浮かべる。


(ああ、やっぱり可愛いよな)


聖女の笑みすら霞んでしまいそうなほど清純で愛らしいその微笑みに晶は密かに胸骨を高鳴らせる晶だったが--


「あんたは」


「俺はタナカ・アキラ。あ、アキラ・タナカって言った方がいいのかな。どちらにしてもアキラって呼んでくれればいいよ」


「あーそうじゃなくて」ソフィは手をひらひらさせ、そっぽを向く。


「あんたは名乗らなくて良いよって言おうとしたの。どうせ使わないし」


「左様ですか……」


その見た目と中身のギャップを再認識させられるのだった。




晶が空撃ちされた矢を仕掛けに戻している間、ソフィアはすぐ近くにある落とし穴を熱心に覗きこんでいた。


その落とし穴はつい先ほど晶が仕掛けを説明した罠だった。


それは晶が修復している矢の罠とセットで機能するチェーントラップだ。


落とし穴にはまってしまった仲間を救助しようと近寄ると、矢が飛んでくる。焦って周りが見えなくなっているところ突く、まさに親方らしい仕掛けだ。



落とし穴を覗き込んだままソフィアが徐ろに話し始める。


表情は見えないがその声色は決して愉快なものではなかった。


「うちね、貧しい村に住んでたの。リフキー侯爵領の辺境にあるリボーノっていう小さな村。聞いた事ある?」


晶は作業を続けながら「いや」と頭蓋骨を振る。


思えば異世界に転生してきたものの、ダンジョンの外に出たことなどなかった。晶にとってはこのダンジョンの中だけが異世界で外のことなど何も知らない。


けれど当然ながらダンジョンの外にも世界は広がっており、そこには様々な国があって様々な人が暮らしている。


外から来た少女の話に、晶は興味深く耳孔を向けていた。



「リボーノ村はね、土が痩せてて作物があんまり取れない場所なの。それなのにソマリア王国との戦争が始まってから税が上がちゃって、とても貧しい村だった。去年ね、うちのお父さんも戦争に連れて行かれて死んじゃったんだ。うち5人姉妹だったからそれで凄い貧乏になっちゃって、もう着るものも食べ物も何もない本当に辛い生活をしてたの」


重税が課された寒村で、働き手である父親を失ったソフィアがどれだけ貧しい生活をしてたのか、親から仕送りを貰いぬくぬくと暮らしてきた晶でさえ想像に難くなかった。



「そんな時にね、徴税に来ていた役人の人に声を掛けられたの。リフキー侯爵様が従者を探してるから来ないかって。本当は侯爵様のお屋敷で働く人は皆、貴族の娘さんなんだけど、うちは可愛いから特別に侯爵様の侍女として雇って貰えるって。凄いでしょ? うち長女だったし、もう14歳になったから、ちょうど家族のために村の外に出て働こうと思ってたんだ。お母さんに話したら凄い喜んでくれて、うち侯爵様のお屋敷で働くことにしたの」


ソフィアはいつの間にか顔を上げ、晴れやかな表情で話していた。その声色も明るさを取り戻している。まるでシンデレラストーリーでも語っているかのようだった。


しかし、貴族が身分の低い娘を容姿の優越を理由に雇うというのは決して良い話ではない。侯爵は領地中の貧しい美少女に声を掛け、金で囲っているのだ。


他所の世界から来た晶でも、ソフィアが侯爵に雇われた理由が性的な意味だということは分かった。


ソフィア自身は気付いていないのだろうが、少なくとも母親は理解していたはずだ。要はソフィアは家族の生活のために、侯爵の側女--ハーレム要員として身売りされたのだ。



「村を出て侯爵様のお屋敷にお仕えしに行く日、お母さんはうちに一番良いお洋服をくれたんだよ」


ソフィアはそう言って決して華やかとは言えない服の質素なスカートの裾を摘みはにかむ。


晶にはその姿がとても痛ましく思え「ああ、そうだね」とぎこちなく頷く事しかできなかった。


ハーレムを築き美女を囲うというシチュエーションは、男なら誰しもが憧れ羨むものだ。勿論晶もそうだ。


しかし、目の前の少女がそこへ売り飛ばされようとしていたことを知った晶には、嫌悪感しか湧かなかった。



「うちの不幸はね、ここからなんだ。リボーノから侯爵様のお屋敷があるスミノフまで、お迎えの馬車に乗って3日の旅。期待と不安でずっとドキドキしてた。でも結局うちはスミノフには着けず、侯爵様のところで働けなかった。リボーノを出て2日目の夜、野営をしていたところを盗賊に襲われたの。うちは森の中を必死で走って逃げて、気付いたら一人で、道も分からなくて、食べ物も飲み物もなくて、心細くて……いつの間にか気を失っていたんだと思う、気が付いたらこのダンジョンにいたってわけ」


ソフィアは徐ろに後ろを向き、晶に背中を見せた。服のボタンを外し眩しいほど白い肌を露出する。


絹のようにきめ細かく艶やかな背中の左側、丁度心臓の裏側辺りの位置に、黒い円形の焼き印が生々しく、くっきりと刻まれていた。


「見て。うちがあの魔術師に掛けられた呪いの焼き印。これのせいで、うちはもう一生このダンジョンから出られないの。一歩でもダンジョンから出たら心臓が爆発するんだって。笑っちゃうでしょ? 折角、これから侯爵様のお屋敷で働いて、妹たちにお腹いっぱいご飯を食べさせられると思ってたのに……」


晶は息を飲む。とんでもなく悲惨な人生だと思った。


貧しい村でひもじい生活を続けることも、屋敷で侯爵の愛玩道具として働くことも、知らない土地で野盗に惨殺されることも、呪いで薄暗いダンジョンに一生閉じ込められることも、ソフィアの人生の分岐は全てバッドエンディングにしか繋がっていなかったのだ。


今この状況は、その不幸な人生のうちの一つにしかすぎない。もし唯一の救いがあるとすれば、彼女自身は幸せな人生があったと信じていることだろう。


その可憐な見た目と傲慢な言動からは想像の付かない憫然たるソフィアの生い立ちに、晶はかける言葉すら見つからなかった。


彼女の末路はこのダンジョンの奥で、生贄として捧げられることなのだ。



「うちね、まあ今はそんなに悪くないと思ってるよ。仕事は貰ったし、一応話し相手もいるしね」


続く沈黙にソフィアはばつが悪そうに笑って言った。


「そうか……、なら良かった」


「ねえ、そっちの罠の仕掛けも教えてよ」


ソフィアが晶の作業場に向かって走り出す。


「そこはダメだ!」と、晶が慌てて制止するが既に遅かった。



「え……?」


ソフィアが踏み込んだ岩床が1メートル四方、ズブリと沈み込む。


それは落とし穴との連動トラップを発動させる仕掛け床だった。


晶が地面を蹴る、と同時に『ビュン!』と空気を切り裂き、ソフィアに向かって四本の矢が飛んだ。


庇うようにしてソフィアを抱き締める晶。直後、三本の矢が晶の背骨に命中し鋭い痛みが駆け抜ける。


しかし、残りの一本は晶の肋骨を掠めソフィアの脇腹に深々と突き刺さっていた。



「ソフィ!!」


晶の叫び声が冷たい岩壁に反響する。


「あれ……? うち……、失敗しちゃった……。ごめん……」


「馬鹿! 喋るな!!」


質素な服に血が滲み、みるみる内に広がっていく。


秀麗な顔から血の気が失せ蒼白する。


呼吸がどんどん荒くなっていく。



晶に医療の知識が少しでもあれば直ぐに応急処置を施すことができただろう。


しかし、残念ながら晶に出来ることはソフィアを治療出来そうな人のところに連れて行くことだけだった。



「今、社長のところに連れて行くから」


晶はソフィアを背中におぶると走り出した。激痛が襲ったが気にせず急いだ。


アルバトラスがソフィアを助けてくれる確信があったわけではない。晶の頼れる相手がアルバトラスしかいなかっただけだ。


それでも、このダンジョンを統括している彼ならば何とかしてくれる気がしていた。


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