侯爵の屋敷2
トマルは明日の朝に屋敷を出発し王都バラジルへ帰ることになった。
滞在中トマルに当てがわれるのは最上級の客間のようで、リトナーは終始上機嫌にどれだけ豪華な部屋なのか説明していた。
来賓室で夕食を済ませた後、トマルはリトナーに、ソフィアは二人の少女に案内され来賓室を出た。
道中、ソフィアは二人の少女から簡単に自己紹介を受けた。彼女たちは姉妹なのだそうだ。
背の高いスラリとした体形で艶やかな長い黒髪の少女が姉で、名前はミル。涼しい青い目をした知的な印象の美人だ。
鮮やかなピンク色の髪を肩の高さで切り揃えた小柄な少女が妹で、名前はレナ。姉と対照的に明るく活発そうな美少女だった。
ソフィアは部屋へ行く前に浴室に案内された。
「汗を流したらこれに着替えてね」
そう言ってミルに渡されたのは彼女たちが着ているのと同じメイド服だった。
「これでソフィも、あたしたちの仲間だね」
レナが屈託のない笑みを浮かべる。
「ありがとう」
ソフィアは和かにそれを受け取った。
汗を流し、メイド服に着替えるとスカートの丈の短さが気になった。
これでは家事など満足に出来そうにない。リトナーの人を蔑むような目を思い出す。
ソフィアは母親に貰った服を抱きしめる。
もうリボーノ村には帰れない。ここで稼いで家族に仕送りしなければならないのだ。
一緒に仕事をするだろう二人の少女は歳も近く、仲良くなれそうな気がした。
けれども心は晴れず、この先のことを思うと少し不安だった。
暫くしてからミルとレナが迎えにやって来た。次に案内されたのはソフィアの部屋だった。
「少し狭いけど我慢してね。そのうち私たちと同じ部屋に移れるようになるから」
ミルが申し訳なさそうに言った。
ソフィアに当てがわれたのは、窓のない狭い部屋だった。
最低限の質素な家具だけが置かれた殺風景な部屋。華美な屋敷の中で、まるでここだけ別の家から持ってきて貼り付けられたようだった。
「あのね、ソフィなら、お仕事頑張ったら直ぐに一緒の部屋になれると思うよ」
レナが励ますように言う。
ソフィアは心の中で二人の言葉に首を捻る。
リボーノではこの部屋よりもっと狭い部屋で6人で寝ていた。ダンジョンでは薄暗い部屋でスケルトンと共同生活だった。
ここは狭いとは言え、ちゃんとした一人部屋を当てがわれているのだから決して冷遇されているようには思えない。むしろソフィアにとってはこの上ない高待遇だ。
けれど、二人はまるでソフィアを憐れむような口ぶりだった。
確かに、一人で寝泊まりするよりも同じ年頃の子たちと共同生活できた方が楽しい。
ソフィアはそう思うことにして、「なら頑張らないとね」と明るく言った。
「仕事は明日から私たちが教えるから。今日はゆっくり休んでね」
「それじゃあ、また明日ね!」
少しだけ世間話をした後、二人は仕事に戻っていった。ソフィアは部屋を出て行く姉妹を「うん、また明日」と言って見送った。
二人が部屋を出て扉が閉じる。その直後、扉の向こうからかちゃりと音がした。
「え……」
ドアノブを捻ってみると鍵が掛かっていて開かなかった。扉の内側には鍵穴すらない。
嫌な予感がした。
「ミル! レナ! どういうこと!」
ソフィアは扉を叩き、まだ向こう側にいる筈の姉妹の名を呼ぶ。
「……ごめんね、ソフィ。アルベルト様の命令がないと開けられないの」
扉の向こうから申し訳なさそうなミルの声が聞こえる。
「そんな……」
彼女たちが言っていた意味がようやく分かった気がした。
この部屋はソフィアが逃げられないよう閉じ込めておくために用意されたのだ。
「開けて! お願い! ここから出して!」
「……大丈夫。ソフィはキレイだから、アルベルト様に一杯ご奉仕したらすぐにここから出られるよ!」
レナが励ますように言った。
ソフィアにもその意味は何となく理解することができた。
扉から遠ざかる二人の足音を聞きながら、ソフィアは崩れるようにしてその場に座り込む。
「どうしよう……、何とかしてここから逃げ出さないと」
しかしこの部屋には窓がなく、固く閉ざされた扉はソフィアの力ではどうやっても壊せそうになかった。
もしこの部屋を脱出できたとしても、屋敷の周りは厳重に警備されている。
あの厳重な警備に見付からず逃げ出すのは不可能に思えた。
きっとあの警備は侵入者から屋敷を守るというより、逃亡を阻止するためのものだったのだろう。
ソフィアは途方に暮れベッドの上で膝を抱える。
ちょっと変わっているが優しかったあのスケルトンの姿が頭に浮かぶ。
彼のお陰でアルバトラスに捕らわれても絶望せずにいられた。何よりトロールに挑み命を救ってくれたのが彼だ。
(こんな時、あの人だったら助けに来てくれるのかな……)
ソフィアはあり得ない希望を抱き顔を膝に埋める。
--カチャリ
鍵の開く音にソフィアが目を覚ます。
旅の疲れからかいつの間にか眠ってしまっていたようだ。どれ位時間が経ったのかは分からないが、屋敷が静けさに包み込まれおり夜中なのだろうことは分かった。
静かに扉が開かれ、廊下の窓から差し込む月明かりを背に恰幅の良いシルエットが浮かぶ。
リトナーだった。
「まだ起きていたか」
暗くてよく見えないが、その口元には笑みを浮かべているように見える。
「こんな時間に何かご用でしょうか」
ソフィアは毅然として言った。
「ほう、その格好似合っているではないか。気に入ったのかね?」
リトナーは質問に答える代わりに下卑た笑みを浮かべる。
ソフィアはメイド服のまま眠ってしまったことを思い出し、慌ててスカートの裾を伸ばして足を隠す。
「ふふふ、まあ良い。ミルとレナから仕事の話は聞いているかな」
「仕事は明日からと聞いています」
「そうか。では少し繰り上げて今から始めようか」
リトナーはそう言って部屋の中に入り扉を閉めた。
ソフィアはリトナーの異様な気配を感じ取りベッドの上で身構える。
「そう怖がらなくても良いのだよ。みんな初めはこうなのだ」
「な、なにが……」
「大丈夫、直ぐに慣れる。お金が欲しいのだろう?」
リトナーが肉厚な手を伸ばす。
「さ、触るな豚!」
「ふははは! 威勢の良い野良猫を飼い慣らすのは嫌いじゃない。--ところで知っているか? お前は親に売られたのだよ」
「そんなわけないでしょ」
「手形に書いてあっただろう。娘を金貨50枚で売るとな。ちゃんと母親のサインもある」
ソフィアの背筋に寒気が走る。
文字の読み書きが出来ないソフィアには手形に何が書かれていたのか分からなかった。それでも50という数字が書かれていたのは知っている。
母親にはリトナーの屋敷で働く承諾を貰い、出発の当日に快く送り出されただけだと思っていた。
手形は出発の時に役人に渡されたものだし、その前に母親とあの役人の間にやり取りがあったとは聞いていない。
「嘘よ……」
母親のことを疑っているわけではないが、しかしリボーノを出発するときの母親の暗い表情を思い出すと、涙が勝手に溢れて来た。
「初めは皆抵抗するが直ぐに慣れるよ。ミルとレナも初めはそうだったのだからな。今では自分たちからねだってくるくらいだ。はははは」
リトナーの肉厚な手がソフィアの肩に伸びる。
「触るなって言ったでしょ! この妄想虚言厨!」
ソフィアはリトナーに思いっきりタックルし、ベッドから飛び降りる。
しかし、扉のノブに手を伸ばそうとしたところで、リトナーに腕を掴まれてしまった。
「キャッ!」
強い力でベッドに引き戻される。
「あまり暴れるな。傷物は客付きが悪くなる」
リトナーはそう言って、ソフィアの上に馬乗りになった。
巨体に押さえつけられ身動きが取れなくなったその時--
「やめろ!」
扉が勢いよく開かれ、勇ましい声が響いた。




