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この手に、癒しと富を。――鉱石錬成で生き抜く異世界再生録  作者: 一条信輝


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【第195話】帰れない場所帰った場所

きっかけは、ドルクの報告だった。

 ラディアの鉱脈再調査で、エルディンの鉱夫が地下深部に異質な鉱物層を発見した。ヒールアロイの原石でも鉄でもない、未知の鉱物。青と金が混じった、大地の記憶に似た光を放つ石。

 ドルクがサンプルを持ってきた。

 「これが何か、俺たちにはわからない。だが、お前なら何かわかるかもしれない」

 晴貴が石を手に取った。

 触れた瞬間、世界が揺れた。

 映像ではなかった。感覚だった。石を握った瞬間、記憶の奥底にある何かが震えた。懐かしい匂い。聞いたことのある音。自分が「ここではない場所」にいた頃の感覚。

 手が震えた。石を落としかけた。

 「どうした。顔色が悪いぞ」

 ドルクが眉を寄せた。

 「……大丈夫だ。少し、鉱脈との共鳴が強すぎた。この石は、普通の鉱物ではない」

 「やはりそうか。俺たちも異質だと感じていた」

 「調べさせてくれ。時間がかかるかもしれないが」

 「ああ。任せる」

 ドルクが去った後、晴貴は工房に籠もった。


 ◆


 石を作業台に置いた。青と金の光が、薄暗い工房の中で脈打っている。

 誰にも言えない。この石が何を意味するか。

 この石は、世界の境界に関わるものだ。自分がこの世界に来た時の——入口に近いもの。

 帰れるかもしれない。元の世界に。

 この石を研究すれば、元の世界への道が開けるかもしれない。鉱脈との共鳴を応用すれば、世界の境界に触れることができるかもしれない。

 帰れるかもしれない。

 元の世界に。日本に。東京に。あの部屋に。あの日常に。

 手が震えた。

 帰りたいのか。

 自分に問うた。答えが出なかった。


 ◆


 元の世界を思い出そうとした。

 部屋の間取り。駅までの道。コンビニの灯り。電車の音。スマートフォンの画面。仕事帰りに寄るラーメン屋。休日に一人で見る映画。誰とも話さずに終わる週末。

 思い出せる。全部思い出せる。だが、その記憶に温度がなかった。冷たくはない。だが、温かくもない。ただの映像として、頭の中に浮かんでいる。

 あの世界では、誰かの名前を呼ぶことが少なかった。誰かに名前を呼ばれることも。存在していたが、存在を感じていなかった。

 この世界を思い出した。

 マルタのりんご。アレッサのスープ。ティナの軽口。ミーナの「師匠」。カラスの頷き。リヒトの鼻で笑う音。ドルクの「鉱夫は石で判断する」。ギルバートの剣。ユリウスの帳面。リセの微笑み。英霊の光。鉱脈の脈動。市場の喧騒。鐘の音。

 全部に温度があった。熱かったり、温かかったり、冷たかったり。だが、全部が「触れている」感覚。自分の手が、この世界の何かに触れている。何かが、自分の手に触れている。

 元の世界の記憶には、触れている感覚がなかった。見ているだけ。画面越しの映像のように。

 それが答えではないか。

 触れているかどうか。それが、居場所の定義ではないか。


 ◆


 扉が叩かれた。

 「晴貴さん。お茶を持ってきました」

 ティナの声。

 「……ああ。入ってくれ」

 ティナが入ってきた。茶を作業台に置き、晴貴の顔を見た。

 「顔色が悪いです。ドルクさんの石で何かあったんですか」

 「少し、鉱脈の共鳴が強かっただけだ。大丈夫」

 嘘だ。だが、本当のことは言えない。自分が別の世界から来たことを、ティナは知らない。誰も知らない。この世界で、その秘密を持っているのは自分だけだ。

 ティナは晴貴の目を見た。嘘を見抜いているかもしれない。この人は、帳面の外から核心を突く人だ。だが、今日は追及しなかった。

 「無理しないでくださいね。明日も予定がありますから」

 「ああ。無理はしない」

 ティナが去った。足音が遠ざかっていく。

 晴貴は茶に口をつけた。温かかった。ティナが淹れた茶。この温度を、元の世界には持って帰れない。

 持って帰れないのではない。持って帰りたくないのだ。この温度は、ここにあるからこそ温かい。


 ◆


 夜、一人で市壁に登った。

 星が出ている。この世界の星。配置が元の世界とは違う。最初の頃は、それが寂しかった。見知らぬ星空の下で、一人で立っていた。

 今は、この星空の方が馴染む。あの世界の星は、ビルの灯りに消されていた。ここでは、全部見える。

 ポケットの中の欠片に触れた。最初の石。あの日、洞窟で拾った石。この石がこの世界の始まりだった。

 もう一つ。作業台に置いた青と金の石。あれが、もう一つの世界の扉かもしれない。

 二つの石。二つの世界。どちらに立つか。

 答えは、もう出ている。

 出ていたのだ。ずっと前から。マルタにりんごをもらった時から。アレッサのスープを飲んだ時から。ティナに「領主様」と呼ばれた時から。ミーナに「師匠」と呼ばれた時から。

 帰る場所は、帰りたい場所だ。帰りたい場所は、名前を呼んでくれる人がいる場所だ。

 元の世界には、自分の名前を呼ぶ人がいなかった。

 ここには、いる。


 「ここにいる」

 声に出した。星に向かって。誰にも聞こえない場所で。

 だが、足元の大地が微かに脈打った。鉱脈が応えた。この大地は、自分の声を聞いている。

 「ここが俺の居場所だ。帰らない。帰れるかどうかはわからない。だが、俺はこの道を歩かない」

 星が瞬いた。風が吹いた。市壁の下から、支援所の灯りが見えた。アレッサがまだ鍋の前にいるのだろう。市場の通りは暗いが、マルタの籠には布がかかっている。また明日。

 また明日、があるのは、ここだけだ。


 ◆


 翌朝、晴貴はドルクに石を返した。

 「ドルク殿。この石は、鉱脈の深部にある特殊な鉱物だ。性質の解析には時間がかかるが、今すぐ必要なものではない。ラディアの鉱脈に戻してくれ」

 「戻す? 研究しなくていいのか」

 「いい。今の連邦に必要なのは、この石ではない。鉄とヒールアロイだ。未知の鉱物に時間を使うより、今ある資源を活かす方が先だ」

 理屈で説明した。嘘ではない。だが、本当の理由は別にある。

 ドルクは晴貴の顔をしばらく見ていた。鉱夫の目。石を見る目で、人を見ている。

 「……そうか。お前がそう言うなら、そうなんだろう。鉱夫は石で判断するが、錬成士の判断も信じる」

 「ありがとう」

 「礼はいらない。だが、一つだけ。お前の顔が、昨日より良くなっている。何かあったのか」

 「何もない。ただ、自分の場所を確認しただけだ」

 「……鉱夫と同じだな。坑道の中で自分の持ち場を見つけた者は、もう迷わない」

 ドルクが石を懐にしまった。青と金の光が消えた。

 扉が閉じた。晴貴が自分で閉じたのではない。だが、閉じたのと同じだった。あの石はラディアの地下に戻る。世界の境界は、開かなくていい。


 ◆


 工房に戻ると、ティナが帳面を持って待っていた。

 「おはようございます。今日の予定、確認しますか」

 「ああ。頼む」

 「まず、アレッサさんの新作スープの試食。次に、ミーナの工房の改装確認。午後はユリウスさんとラディアの復興計画の第三版を——」

 「ティナ」

 「はい?」

 「ありがとう」

 「……何がですか。急に」

 「昨日の茶が美味かった」

 「茶だけですか」

 「茶だけだ。今は」

 ティナの耳が赤くなった。朝日のせいだと言えなくもない。だが、窓は西向きだ。

 日常が始まった。元の世界ではない日常。この世界の日常。

 だが、ここが日常だ。ここが帰る場所だ。

 ポケットの中の欠片に触れた。最初の石。光のない石。だが温かい。

 この石がこの世界に連れてきた。この石がここに留めた。

 ありがとう、と心の中で言った。石には届かない。だが、温度が少し上がった気がした。

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