第六十話 こんにちは、もうすぐ
――からん!
「お、おい! ギンジロー! キャ、キャリコちゃんは!?」
しんみりと漂う空気をかき乱すように、スイングドアにぶら下げたカウベルが鳴ったかと思うと、血相を変えて駈け込んで来たのは、いつもの馴染みの常連客の面々だった。
「おう。騒がしいと思ったら毎度ご贔屓の皆々様じゃねえか。……今ぁ出たところだ」
呆気にとられたのは一瞬だ。
たちまちゴードンは真っ赤になって銀次郎に喰ってかかる。
「なんだよ! まったく! 水臭いじゃないか! 俺たちも、ひと目――」
「お、落ち着いて、落ち着いてよ、おやっさん! またすぐ戻ってくるってキャリコちゃんも」
「それだってなぁ? 見送りくらいしたいじゃないか。ったく、ギンジローはいつもこうだ!」
「香織子――ウチのバイトが、それはやめて欲しい、って言いやがってな? だからなんだよ」
「まあ、気持ちも分かるけどね、あたしは」
さすがに銀次郎のセリフを耳にした瞬間は残念そうな表情を浮かべていたシーノだったが、ふわっ、と柔らかい微笑みを浮かべてカウンターのスツールに腰掛け、物思いに耽る。
「キャリコちゃん、そういうの苦手じゃない? ただでさえ、ひとり甘えっ子がいるんだし」
「ふぇ……!? あ……えへへへへー……」
「ね? シオンちゃんだって寂しいもん。それ以上ああだこうだあったら、気を遣うでしょ?」
血は繋がってはいない、とはいえ、姉、妹の絆があるこそ、信じて信じられる。だが、それよりもう少しだけ遠くて歳の近いシーノやスミル、それにゴードンやシリルが名残惜しそうに、哀しみに暮れる顔は見たくないに違いない。迷惑をかけないように、悲しませないように、と。
妙なところで、情に厚く、そして脆いのが香織子の良いところであり、悪いところでもある。
「ま、シオンちゃんにはこのあたし、《熱風》のシーノ=メランディがいるんだから大丈夫!」
「おいおいおい……」
どん! と雄々しく胸を叩いてシオンの肩を引き寄せたシーノに、銀次郎はたちまち渋い顔を見せる。たしかに歳の近いこともあって、最近は香織子、シオン、シーノの三人できゃいきゃいやっていることが多かった。だがしかし、シーノの本職は冒険者――《盗賊》なワケで。
「……嬢ちゃん、俺ぁにバレてねえとでも思ってるのか? どうも噂じゃあ、近頃ウチのシオンに、余計な知恵を吹き込んでる、って言うじゃねえか。御大層に《十傑》まで呼びつけて」
「う……もしかして……喋っちゃった?」
「ううん。シオン、喋ってないよー。秘密だもーん」
そんなふたりのひそひそ話に、片眉を、ひくり、と引き上げる銀次郎の、むすり、とした顔を見つめるシーノとシオン。もうその時点で自白と同じだが、銀次郎は呆れ半分で溜息をつく。
「はぁ……。まあ俺ぁは、シオンが自分でやりてえと思ったんなら無理に止め立てするつもりゃねえがな? それでも年寄りってえのは、年中あれやこれやといらねえ心配するモンなんだ」
「やったー! ……いいの?」
「ばぁか。良いたぁ言ってねえだろ!」
「今、言ったじゃない? ねー、シオン?」
「……ったく」
きゃっきゃ、と無邪気に喜んでいるふたりを複雑な表情で見つめる銀次郎である。
ずっと知らぬフリを決め込んでいた銀次郎だったが、実のところ、グレイルフォーク一世――いや、《勇弟》のミサーゴが気を遣ってこっそり教えてくれていたのだ。というより、『おい、爺。良い物を見せてやろう』などとにやにや笑いながら、ご親切にもグレイルフォーク城の中のその場所まで案内してくれた、と言った方が正しいかもしれない。
そこで銀次郎は、あの世間知らずで心優しいのんびりした性格の可愛い孫娘のシオンが、剣の扱い方を教わっているのを見て、大層仰天した。そんなものとは一切無縁の方が良い、それくらいに思っていたのに、とたちまち隣のミサーゴに詰め寄ったが――あくまで本人の希望であり、シオン自ら王の前で平伏してまで願い訴えてきたのだ、と言われたら黙るよりなかった。
ミサーゴ曰く、
『あれなら、将来金剛石級入りも夢じゃないな。なによりセンスと運動神経、そして勘が良い』
だそうだ。
この世には、孫娘をベタ褒めされても、素直に喜べないこともある、と知った銀次郎である。
そこでゴードンが、慌てて話題を変えようと尋ねてきた。
「そういやあ、『魔性街』ができて、ギンジローの『こーひー』の売れ行きは変わったのか?」
「……いいや。変わらねえよ」
良い話のはずなのに、なぜか銀次郎は渋い顔をしたままだ。
「まぁだあの連中、『ゲン担ぎ』ってえとウチに来て一杯やるのさ。魔法なんざねえってのに」
毎日飲んでも飽きが来ず、いつも美味いと笑顔になれて、おまけに安くて縁起が良い、と来たら言うことなしだ。その上、絶体絶命の窮地に立たされた時に、不思議と運が向いてきて、結果的には五体満足無事に帰ってこれた、となったら、むしろ飲まない理由は何ひとつないだろう。城の兵士や、冒険者が、その日一日の幸運を願って飲むのがすっかり習慣になっていた。
全体的に見れば、それはとても良いことなのだが――素直に喜べない銀次郎であった。
が。
そこでゴードンは。
意外なことに、きっぱりと首を振ってみせる。
「……いいや。ギンジローの『こーひー』にゃ、奇跡を起こす力が確かにあるんだ。そうとも」
「?」
これには、いつも反対のことを言われ続けていたスミルも不思議そうに眉を顰めた。
「え? だって、おやっさん、ギンジローさんの『こーひー』のこと、いつだって――」
「いいや、違うぞ、スミル。俺が間違っていたんだ。確かにこの『こーひー』は奇跡を起こす」
「「「「?」」」」
頑固なまでに繰り返したゴードンの言葉に、そこにいる全員が不思議そうな顔をした。
――ただひとりを除いては。
「あ、あのさ、ギンジロー?」
食堂の店主、ゴードン=リーの妻、シリルであった。
「あたしとさ? ウチの亭主、あんたんとこの『こーひー』、欠かさず飲んでたろ? で――」
「………………おいおい、まさか!」
そこでシリルは少し大きくなってきたお腹を大事そうに擦ると、極上の幸福そうな微笑みを浮かべて、ゴードンの傍に寄り添い、こてん、と頭を預けた。
「そう。ようやく授かったんだよ。あたしたちの子。あんたが違うと言ってもさ。それでも!」
「ああ。あんたの極上の一杯には『奇跡』が込められてるんだ! と何度だって言ってやる!」
一瞬の沈黙。
それから弾かれたように皆喜び、手を叩き、笑顔になって大声で喜びの声を上げたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
さてさて。
かくして「喫茶『銀』」の不思議な物語はここで終わり――とはならず。
やがて、『魔性街』のとある住人が、世界全体を揺るがす大事件を起こしたり。
やがて、成長した香織子を巡って、各地の名士たちによる求婚騒動が勃発したり。
やがて、ゴードンとシリルの子が成長し、シオンと共に世界を救う長い長い旅に出たり。
と、まだまだ銀次郎とその仲間たちとの物語は続くのですが――。
それは、また。
いずれ、次回の講釈にて。
〈 完 〉
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