いつも通りのイベントのない日曜日
朝目が覚めると昨日のことは夢だったのではないかと思えてきた。
机の上には彦根城メダル。
大丈夫、夢じゃなかった。
俺は昨日彦根に行った。
とんでもない美人と食事をしたのだ。
階段を降りると掃除機を持った母親と出くわした。
「おはよう。私達お昼おにぎりにしようかって言ってたんだけど、あんたどうする?」
「俺もそれでいい」
台所の時計を見る。
もう十二時を回っている。
「昨日の八宝菜残ってるけど食べる?」
「食べる」
「私達は昨日ご飯にかけたけど」
「かける」
「お味噌汁飲む?」
「飲む。おにぎりも一個食べる」
「顔さっさと洗ってきなさいよー」
「うん」
居間で三人いつもの配置につきテレビを見る。
家ではいつも祖母がテレビの真正面で母が祖母の右で俺が左だ。
「どれが、梅?」
白い丸皿に五つ乗ったおにぎりを見て祖母が言う。
「端二つが辛子明太子」
祖母は辛子明太子のおにぎりを自分のお皿に確保し、プチトマトを口に放り込む。
母は梅干しのおにぎりを取った。
これで辛子明太子のおにぎりは一つで、祖母が俺をちらっと見たが、俺は別に残ったのでいいので中華丼を蓮華で掬い口に運ぶ。
少し熱いが、白菜の甘みときくらげの歯ごたえがいい。
絡みついたもやしと細く切られたピーマン。
あんのとろみ具合も丁度いい。
美味い。
ふとあの美人は今日何を食べているだろうかと思った。
個人的な話は何もしなかったから、休みの日はどうしているかも知らない。
昼まで寝ているのか、それとも仕事の日と変わらぬ時間に規則正しく起きているのか。
彼女の情報として知っているのが川島さんが言った「美青食べるの大好きなんですよ」くらいだが、それでいい。
食べるのが大好きな美人なんて健やかさの極みではないか。
白い肌は炊き立ての新米のようにピカピカに輝いていた。
「美味しそうだねー」
母がテレビのケーキ特集に間延びした声を出す。
「美味しそう。でも世界一美味しいのは代官山のケーキだから」
「お母さん又そのはなしー」
「だって本当に世界一美味しかったもん。恭ちゃんに食べさせてあげたかったわー。あの苺のタルトとベイクドチーズケーキ。本当にね、こんなに美味しいものあるのってくらい美味しかったの」
「美味しかったけど、世界一美味しいかなー。思い出補正じゃない?」
「ない。本当に世界一美味しいの。いつか又横浜に行くこと生きているうちにあるかしら?」
「ないとおもうわよー。諦めて。私達だってないと思うもの。ケーキならいくらでも買ってあげるから」
「あそこのケーキがいいの。名前忘れちゃったけど、駅前よ。代官山駅のすぐ傍のアパートに住んでたんだから私達」
「もう三十年以上前だからねー。もうお店もなくなっちゃったでしょ。多分あのアパートもないわよ」
「見たら絶対わかるわ。行きたいなー。横浜。死ぬまでに」
「京都で我慢して。秋になったら紅葉見にお寺でも神社でも連れてってあげるから」
「でも何で火星人は京都取らなかったんだろうね。古いお寺がいっぱいあるのに」
「そんな価値わからないからじゃないの?」
「中尊寺金色堂行っとけば良かった」
「鎌倉行ったからいいでしょ」
母の言う私達は俺を含んでいるのだろうか。
まあ俺もないと思う。
今だ見たこともない恐らく生涯見ることのない失われた半分。
祖母が思いを馳せ続ける麗しき幻の代官山。
と言っても祖母は近所のケーキ屋の苺のタルトとベイクドチーズケーキが世界一美味しかったくらいしか話さないので、どんなところか見当もつかないが。
「恭、夜何食べる?」
「魚」
「魚って何?アジフライと鰯のフライ?いいわねー。タルタルソースとウスターソースかけて食べましょ。お母さんそれでいい?」
「蓮根オリーブオイルで焼いたの食べたい」
「好きねー。まあいいか。じゃあそれで。あとはサラダと冷ややっこね」
昨日の夜は揚げ物で肉ばっかだったので魚と言ったが、まあいいか。
鯵も鰯も大好きだ。
タルタルソースとウスターソースの組み合わせなんて美味しいに決まっている。
誰がその誘惑に抗えようか。
揚げ物万歳。
「じゃあ、昼寝したら買い物行こうっと。もう出かけないでしょ?」
「うん」
「米油で揚げるわね」
「うん」
それにしてもあの美人は何故あんなにも揚げ物にこだわっていたのだろう?
よっぽど揚げ物が好きなのか?
揚げ物美人。
字面的にはいい。
俺はぽつんと一つ残されたおにぎりを一口食べる。
辛子明太子で少し得した気持ちになる。
「恭、プチトマト残ってるの食べちゃって」
母がサラダボウルに残ったプチトマトを二つ俺の皿に乗せる。
昼飯を終え二階の自分の部屋に戻り、テレビをつけアニメを見ながらベッドに寝ころび携帯のゲームをしているうちにいつの間にか寝てしまっていて、気が付いたら六時半だった。
まったくいつも通りのイベントのない日曜日で美人に会った効果で世界が一変するなんてことはなかった。
でも本当はこういう日常が一番好きだ。
何も起こらなくていい。
非日常は青野椿で間に合っている。
特別なのは青野椿だけで十分だ。




