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最優先する青  作者: 青木りよこ
13/35

銅像

川島さんはコーヒーでも飲みましょうと言ってくれたけど、俺は正直いっぱいいっぱいだった。

美人の過剰摂取で少し疲れていて、これ以上は話せないと思い、一刻も早く家に帰りたくなったので七時五十九分の新快速があるのでそれに乗って帰るのでと言った。


「そうですか、じゃあ、駅までお送りしますね」

「いえ、ここでいいです」

「すぐそこなので」

「すみません」

「いえ、今日は楽しかったです。ね、美青?」

「うん」


美人はその瞳で夜風を軽くいなした様に見えた。

風までが彼女に恋をしているようだった。

駅までの五分ほどの道を無言で歩いたが別に嫌じゃなかった。

沈黙を恐れなくてもいいくらい、彼女の美は多弁だった。

いるだけで世界が勝手に話し出すようだった。


美人と川島さんは駅の改札の所まで来てくれた。


「すみませんでした今日は。有難うございました。お気をつけて」

「はい。俺の方こそ有難うございました。楽しかったです」

「美青」


川島さんが美人を促す。

美人は何を言おうか考えていたのだろうか。

少し困っている様に見え、その顔は今日初めて見たなと思った。


「あの、わざわざ遠い所を有難うございました。すみません。あの、貴重なお休みを」

「いえ、あの、そんな遠くないです。有難うございました」

「あの、お気をつけて」

「はい、有難うございます」


二人でペコペコしてると川島さんが電車に乗り遅れちゃうよと言ってくれたので俺達は別れた。

電車に乗るとどっと疲れが来て、俺は携帯を取り出した。

佐々木からメールが来ていた。

お子さんは唯の夏風邪だったようだ。

佐々木にメールの返信をし、イヤホンを携帯に差し込む。

高峯しおんの声を聞き、やっと自分の色を思い出せた気がした。


石山駅で降りるといつもの松尾芭蕉が迎えてくれた。

この銅像いつも思うのだが曽良君を作る前に資金調達が上手くいかなくなったのではないだろうか。

それくらいスペースが余りまくっているのである。

だがいつもイベント帰りに俺を変わらぬ姿で迎え入れてくれる松尾芭蕉を見るとほっとするのは確かだった。

あの美人も遠出した帰りに井伊直政の銅像を見るとそうなのだろうか。

だといいなと思った。

飯を食っただけの二時間もなかった時間だったが、まるで青野のイベント帰りのような心地いい疲労感と幸福感があった。

これからもずっと青野を追いかけて行こうと誓う時のあれと同じ。

地に足が付いていない、まだ夢から覚めていないような。

やけに星が見えるような気になる、そんな夜。


「ただいま」

「お帰りー」

「丁稚羊羹は?」


祖母が玄関に出てきて俺を全身見回す。

俺はリュックから丁稚羊羹の入った袋を渡す。


「ありがと。さっさとお風呂入んなさい」

「うん」


俺がうがいと手洗いをし、居間に入っていくと母と祖母がお茶を入れ丁稚羊羹をもう食べていた。


「美味しいわよ、ありがとね」

「うん」

「恭、明日もどっか行くの?」

「行かない。明日は昼まで寝てる」

「じゃあ、皆休みね。私も明日パート休み。ゆっくり寝よ。お母さんもね」

「勝手に起きるからいいわよ」

「起きたら朝ごはん食べるでしょ。たまには九時まで寝たいわ」

「年取るとそんなに寝れないよ」

「昼寝してるでしょ。明日は八時まで寝るの、以上」

「恭ちゃん、食べないの?」

「アイス食べる」


冷蔵庫からアイスを取り出す。

棒付きのチョコレートでコーティングしたバニラアイス。

最近母はこればっかり買ってくるが美味いからいい。


「この子綺麗ねえ」


母が化粧品のコマーシャルの女優を見て言ったが、祖母は頷きもしなかった。

どうやら丁稚羊羹にその女優は負けたらしい。

確かに綺麗だが、その子の何千倍も美しい子を見てきた俺には同意しかねたが、母は別に誰の肯定も求めていないのか、次に映ったビールのコマーシャルの女優さんにも同じことを言った。

湯船に浸かると、何か美人と川島さんに手土産くらい買っていくべきだったと気づき後悔が襲ってきた。

もう二度と会わない人間から何か貰っても迷惑かもしれないが、食べ物ならなくなるから和菓子でも持っていけば良かった。

あの感じなら美人は喜んでくれただろうに。

勿体ないことをした。

俺は本当に気が利かないし、人と付き合うのに向いていない。

でも美人とは沈黙が続いても暖かな恩寵に触れているようで心地良かった。


風呂から上がりベッドに寝っ転がり、ラジオの時間までアニメを見ようとテレビをつける。

そして、はたと思いだし起き上がる。

そういえば美人の胸を見ていない。

何をやっていたんだと自分を詰る。

佐々木が言っていたではないか。

彼女は美人で巨乳だと。

首から上に気を取られ見るのを忘れた。

俺は気が利かないうえに頭まで悪かったのか。

なんてことだ。

本当に勿体ない。

俺にも見ることが許された美人のおっぱいだったのに。

もう俺のこの先の人生において美人のおっぱいを、それも大きなおっぱいを見ることなんかあるのだろうか。

嫌、わかる。

絶対にない。

断言できる。

ああ、勿体ない、勿体ない。

壁のポスターの青野を見る。

長い顔に長い髪。

ふんわりとした前髪に空みたいな色のワンピース。

俺に見ることを許していてくれる顔。

こう考えるしかない。

あれほどの美人を間近で二時間近くに渡って鑑賞できたのだ。

命を落とさなかっただけでも有り難く思わねば。

本来なら死んでいた。

俺みたいな人間が目に入れていい人間じゃなかった。

この先生きている間俺はこれを一種の神秘体験として語り継ぐだろう。

でも誰も証言してくれない。

佐々木もいなかった。

知っているのは美人と川島さんだけだ。

それ以外は誰も知らない。

彼女はきっと誰にも言わないだろう。

例えば今後彼氏ができて結婚したとしても、一緒に揚げ物を食った一つも冴えた所の見当たらない眼鏡男の話なんて。

でも俺は言うかもしれない。

今後俺は自力結婚なんか無理なんだから結婚相談所に登録される。

そこで出会った女性と結婚する。

妻となった女性に俺はきっと言ってしまう。

昔凄い美人と一度だけ食事をしたことがあるんだと。

何を話したのか憶えていないが、揚げ物は好きですかと聞かれたと。

俺の妻は想像するだろう。

その美人とやらを。

でも恐らく想像できまい。

想像なんか軽く超えていって、世界を一周してしまうような美人。

それが俺が今日彦根で出逢った、佐藤美青という女性なのだ。

それときっとオセロの話もする。

彼女が俺と結婚してたら青柳美青になって青と青でひっくり返せるんだって。

そこまで考え俺は馬鹿々々しくなって辞めた。

俺はきっと誰にも話さない。

名前さえ話せない。

ずっと鍵をかけて仕舞っておく。

時々開けて見たりもしない。

そうするには彼女は美しすぎ、なおかつ生き生きとした優しい生命力に溢れていた。

彼女は決して人を憑り殺したりしないだろう。

もう決して会えないであろう美しい人を思い出し、三十三年に一度しか公開されない秘仏だと思うことにした。

祖母が言っていた仏像との出会いは一期一会だと。

確かに三十三年に一度じゃ生涯二度見るということは余りないだろう。

二時間も眺めたのだ。

もう十分だ。

もう今後どんな女性の顔も見なくていいと思った。

一生分の美を見た気分だ。

しかも美味いものを食いながら。

あのミックスフライ定食は俺が今まで食べた揚げ物で一番くらい美味かった。

それを食べるために彦根に行ってもいいと思えるくらいに。

あと近江牛コロッケも。

俺はひょっとしたらもう一度彦根には行ったりするかもしれない。

その時偶然に美人を見かけたらそれはそれでいいだろう。

まあそんなラッキーは滅多に起こらないだろう。

彦根だって広いし、勤めている場所も知らない。

でも彼女は気配でわかるような気がする。

滋賀県の地図上に此処にいますよとピンのように刺さる美しすぎる一点。

美人とは気配まで美しく、世界を一変させるなんて容易なくらい輝いているものなのだ。













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