8 平静な部屋
人は意識を失っていても、音は耳が拾っているらしい。無意識に周りの状況を取り込みそれは夢魔として再現されたりもあったりなかったり。物語などでは気を失う前後には空白が生じると言う。だけど俺はハッキリとまではいかないが自身におかれた状況を理解、というよりは推理が出来ていたのだと思う。
つまり意識を取り戻した俺は目の前に広がる光景に何ら驚きはしなかったということ。
右腕は点滴をされていて動かせない。
左目は開かない。いや開けないように眼帯か何かを当てられているのだろう。
ただ想定の規格外だったのは頭に巻かれたバンドと包帯。
後頭部に違和感があることから気絶した原因はそこにあるのだろうと悟った。
「皆勤賞が無くなったな…...」
今後狙うは精勤賞になってしまうのか。モチベーションがグンと下がる。
「目覚めて最初がそれ?」
左目が塞がれていたので死角になって気付かなかった。左を向くと、沙希が鼻水を垂らしてこっちを見ていた。きったねぇ。よく見ると目元が少し腫れてる。
「心配してたこっちの身にもなれ、チューするぞこの野郎んちゅー」
「ばか! やめやめ鼻水つく! 汚されるっ!」
左手と両足をじたばたさせるおかげでベッドがギシギシと嫌な音を立てる。
「冗談だよ、騒ぐな病人め」
「どの口が言うんだ」
沙希はなんだか嬉しそうにはにかんだ。
そうか。
親父を看取った病室も確かこんな感じだったっけ。あの時と比べると、俺は生きている方だから照らし合わせてしまうんだろうな。
「俺は死なないよ」
ベッド脇の壁に取り付けられたティッシュを2枚ほど取り沙希の鼻を拭く。
「もう家族が悲しむのは御免だからなぁ」
「そうかい」
その言葉が聞けて嬉しかったのか、沙希は何度も頷いた。
どうやら1日経過していたらしい。卓上型デジタル時計には日付と時刻が表されていた。
5月11日の午前10時53分。
「学校は?」
「休んだに決まってるだろハゲ」
「誰がハゲだ」
あ、でも後頭部がどうなってるか分かんないから全否定が出来ないぞ。ヤダ怖い包帯取りたくないんだけど。
「さっきsignalでお母さんには知らせといたから。昼過ぎに家に帰るらしいから今のうちに必要なもの言ったがいいよ」
「というか俺はいつ退院できるの?」
「さぁ? こういう時ってナースコール押すべき?」
「いや、しらん」
試しに押したら十秒程で看護師が飛んできて事情を話すと軽く怒られた。
signalにたくさんの通知が着ており、ひとつひとつ見ていくと同じ学校の生徒からがほとんど。
戸田やマコっちゃん、塚本や納富。驚くべきなのは他の生徒やクラスメイト以外からも心配の声が届いていたこと。
そして、
『ごめん』
たった一言、明羽からのメッセージには重みがあった。
それに対し俺は、何と返せば良かったのだろう。
学校でどれだけ騒ぎになっているのか分からない。けれど心配の声を送る人がいるということは、掲示板の事件での俺に対する影響力は薄いものと考えていいだろう。
signalにはクラスの連絡事項に使うためのグループがあったりする。社交辞令で心配の声や励ますならばそのグループに送ってもいい。だけどそれぞれが個別に送ってきたということは、俺には心配してくれる人が思っていたよりも沢山いたということなのだろう。噂には食いついたがすぐに切り替えられたのかもしれない。
「なるほどな」
人の心はまさしくアトランダム。その場にある事象に答えを持ち込みやすい。芯の部分が欠如しているなんて言い方もできるが、信念を貫くことの方が遥かに難しい。
信じることより裏切ることのほうが簡単だからなのかもしれない。不確かなものを信じたくないのは誰だってそうさ。
だから強い人間は深く考えない。目に見えない、存在するかもわからないモノの解明なんて時間の無駄だから。
この世は結果がすべて。
何の救いもない言葉だけど、シンプルなようでいて全てを物語っているみたいだ。
「それじゃ、母さんたちは帰りますからね。今日の夕飯は久しぶりに寿司でも食べましょうか沙希」
「オゥ、スシ、スキヤァキ、テムプゥララララ!」
俺が目覚めた時よりも数段と嬉しそうな顔の母と妹が病室から去るときにそんな話をしていきやがった。
「飯代が1人分浮いたから贅沢する気だな」
病院代とか入院治療費みたいなものは、恐らく俺を殴り飛ばしたヤツか、はたまた加担した全員か、親の貯蓄から成り立つ事になるんだろう。
俺が意識を取り戻していない時に、病室でそれらのやり取りは既に事なきを得たとの事だった。
それが本当かどうか分からない。
あの人はそういう人なのだ。
父親がいない分、口頭でのやり取りに強く一家の大黒柱を担った母は滅法強い、鬼に金棒とはこのことなのだろう。
「あと1週間はさすがに暇だな」
一人部屋ってのは気が楽だけど、次第に暗くなりつつある病院はけっこう不気味なものを感じさせる。
夜中にトイレとか行きたくなったら嫌なので食後の水分摂取は控えるようにしよう。
***
次の日。
学生にとっては明日から休みだ何して遊ぼうヒャッホーイの金曜日。
俺は学校に行かなくていいけれど、だからといって遊ぶことは出来ない。外に行けない、友だちと話すこともない。つうか、みんな授業中か。
「外を眺めるか、スマホいじるか」
スマホは音楽は聴けるしゲームもでき、動画も見れる。これに優る便利道具は恐らくひみつ道具以外ないと断言出来る気がした。
テレビはカード買わなきゃ見られないという悲しくも部屋のオブジェと化し、見舞いの花が活けてあるのだけどムズムズする。冷蔵庫にジュースを収容しているところを看護師に見られ渋い顔をされたり。
あとは食事を運んできたり点滴のワケわからない袋を交換しに来たりする看護師にムラっとしたりとか、やれることを数えていけば段々と惨めな気持ちになっていく。
特に何もすることなく夕方。
コンコンとノック音。
「どうぞ」
静かに開かれたドア。
「失礼します」
礼節を慮って入室してきたのは塚本。
「思ったより元気そうだね」
「ん、まあね」
そして塚本の後ろを普段から仲のいい女子が4人ぞろぞろと入ってきた。
「こんにちは」「おつかれー」「あ、ひとり部屋なんだ」「お菓子持ってきました〜」
「あ、おかまいなくー」
突然の来客、という訳ではなく事前に了解を得るための連絡は来ていた。
学校の計らいなのかは知らないが、授業中のノートのコピーや配布物を俺が入院している間誰かしらが届けに来るというシステムを取り決めたのだそうな。
「大丈夫、心配しなくても私たちはすぐさまお暇しますんでぇ」
俺にノートのコピーを渡す塚本との距離を僅かにとってニヤニヤとする4人。
「え、ちょっやめてよ!?」
塚本が振り返り手をブンブンと振る。
あの事件があった後で少しはギクシャクしてるのかと心配していたけど完全なる杞憂だったようで。
「来てもらえただけで助かってるんだけどな」
とくに何もない病室で、ろくに動けもしないのに女の子ばかり居られても緊張するだけだし。彼女たちの時間をあまり奪ってしまうのも申し訳ない。
塚本にはあの一件があってからあまり言葉を交わしていない。それを見た他の生徒が未だにどう思っているかなんて知る由もない。
この子たちは塚本から事実を恐らく聞かされてはいるのだろうが、どちらかというと別の興味で動いているようだ。
「今日はそれ届けにきただけ。それと、早く傷を治して無理はしないこと」
「無茶言わんでくださいよ」
治したくてすぐに治るならとっくにやっとるわい。
「これ以上自分を傷付けたら私が許さないってこと、それは忘れないで」
塚本は驚くほど真面目な顔つきでそう言ってみせた。普通は加害者に言うべきが被害者にそれを言ってしまえるのだから、単純に感心してしまった。
これが彼女なりの心配の仕方なのだろうと。
「それってもう告白なんじゃないの?」「やっるぅ」
「もー、なんでそんなに焚き付けたがるかなぁ」
やいのやいのと実に楽しそうだ。
「聞かなかったことにしておいたがいい?」
「えーっと、ご自由に」
俺の苦笑混じりな提案に塚本は少し恥ずかしそうに答えた。
こういうのは冗談と捉えて避けるほうが場を和ませられるので俺は敢えてその措置をとる。
「これ以上変な空気にさせられる前に帰ろうかな」
「ばいばーい立川くん」「またねー」「学校でー」
「はーい、今日は来てくれてありがとうねー」
塚本が連れの子たちの背中を押して部屋を出ようとするので女子グループに手を振り見送る。
「ふー」
緊張の糸が切れ、安堵の息が漏れる。
塚本の方に関しては、あまり落ち込むような素振りも見えなかったし学校生活に支障をきたしているかもしれないという心配も一先ずはしなくて大丈夫だろう。
さて、問題は明羽の方だけど......。
送ったメッセージがその日のうちに返ってくることはなかった。
次の日。
土曜日ということで午前中の部活を終えた原町誠と戸田圭吾が見舞いに来た。
「これまた派手にやられたな」
「満足にオ〇ニーも出来ねぇじゃねぇか」
「そうそう美人看護師が近くにいるってのに生殺しでな、って馬鹿野郎!」
ベッドが汚れて後悔するのは目に見えてるからそもそもやらないっての。いや、そういう問題でもないのか。
「お前を殴ったやつ、バスケ部の矢武らしいな」
「やたけって誰?」
「身長がバカでかくて目立つのに知らないのか」
確かに俺を殴ったやつでかかったなー。190センチ近くありそうとか思ってた矢先殴り飛ばされたわけだしな。
「実力あんのにサボり癖があるって運動部の界隈じゃ有名な話だけどな」
「帰宅部だって立派な運動系なのにな」
「そんな必要最低限の運動で張り合うなよなー」
ごもっともでござんす。
反射神経が優れていたらパンチとか避けられたのかな?
あの時点では冷静さを欠いていたから、自業自得なのは分かっている。我ながら女子に怒気を込めて迫った事は情けない以外の何でもない。
「俺は高校生活ってのはもっと普通に過ごせるもんだと思ってたよ」
実際、事件が起きる学校などには全貌が明かさたりもするがその他の学校なんて全くの無関係者には何が起こっているのか分かりようがない。
だから俺が身を持って体験しているこの出来事も本当は珍しいことじゃなく、どこでも似たような事象が起きているのでないだろうか。明るみに出ないというだけで。
マンガやドラマの世界だと、ストーリー性を展開させるためだけの系譜でしかないと甘く見ていた俺の油断。
「世の中色んなやつがいるってこった」
そんな身も蓋もないことを言われてしまえば、それで納得せざるを得ない。
「矢武は1週間の停学処分で、あの場にいた連中も3日間の停学だと」
「あれま、そいつらも皆勤賞逃したな!」
ざまぁぁぁぁぁぁ。
「そんなこと気にする連中じゃないだろ」
「悪く言うなら調子に乗ってるグループだったからな。今回のことで丸くなってくれれば俺は万々歳だ」
戸田もマコっちゃんもどうやらその連中とは折り合いが悪いらしい。
「逆にお前はどうして普通にしていられたのか不思議なくらいだけどな?」
そんな顰めっ面を向けられてもねぇ。
「織田さんと付き合ってた時から時々ちょっかい出されてたんじゃないの?」
「そんな頃もあったのう。俺は自称楽観主義者だから気にしないんだよ」
苦手だったことは事実だけど。
何度か会話を試みたことがあるけど、見事に噛み合わない、そもそも俺の話とか聞いてないし。
独特のノリについていけない。
「最初から好かれていなかったからなー、思えば」
明羽もあっち側の人間だというのに俺と付き合うなんて、本当に物好きというか。興味本位くらいだったのかもしれないけど、もしくは罰ゲームだったり。
本当にそう言ってしまえるくらい、当時はいろんな人から驚かれた。
「で、肝心の織田さんから連絡は?」
「ぜーんっぜん。責任とか感じてんじゃないかな?」
未だに返信はない。
停学処分になっていないあたり、明羽は関与していないことを証明している。ただ自分の名前をダシに使われたこと、その一端は知っているのだろう。
だから勝手に思いつめている、らしくない振る舞いをするのだ。
「電話でも掛けてやれば?」
「こんな複雑な関係でよくその提案ができたな」
戸田という男は、時折デリカシーに欠ける発言を平然とする。たまに度肝を抜かれることもあるけど本人に悪気がないのは重々承知している。それがある意味厄介だったりするけど。
「一緒にライブ行っといてよく言うよ」
「痛い所を突かれた」
突かれたついでに写真も撮られたけどね。
「えーい! 黒歴史をハナホジーする奴はお呼びでないぞ!」
「やべ、暴れだしたぞ! ナースコールナースコール」
「ようこそ精神病棟へ」
そんなこんなで見舞いというよりは主に俺をイジりまくる為だけに現れただけのサッカー部二名でしたとさ。




